横浜に所縁がある有名なものといえば、
崎陽軒の焼売、中華街の豚まん、有明のハーバー、サンマーメン、そして、
忘れちゃいけないベイスターズ!!
ひとでは、ゆず、美空ひばり、そして、CKB横山剣ちゃん!にシェリー!!
文化系では、岡倉天心、大佛次郎、そして、根岸生まれの吉川英治などがいる
しかし、横浜の歴史を語る上で忘れてもらっては困る歴史的人物がいる
現在の横浜の基礎を作ったとされる“原三渓”だ
開港されたばかりの横浜は、幕府によって貿易が制限され、生糸などの重要産品は、
特権を持つ江戸の商人が独占販売していた
しかし、時代とともにこの旧態依然とした制度はなし崩し的に葬られていくなかで、
ついに!ハマに追い風が吹いた!!
カイコの伝染病によって“ヨーロッパで生糸が品薄”になったからだ
日本全国から横浜へと運ばれた生糸は高値で売れに売れた!!
生糸貿易は日本の富国強兵と近代化を支えたとよくいわれる
明治期に横浜の豪商達が扱った生糸の輸出額は国家予算に迫るものがあったそうだ
その豪商達が得た利益はべらぼうで、短期間のうちに王侯のような財力を手に入れる
そのため、ゴールドラッシュ!ならぬシルクラッシュ!!
成功を夢見る人々が横浜に多く集まるようになった
このように、幸先よくスタートを切った横浜であったが、莫大な財力を得たものは僅か
その当時、日本は外国相手に対等な取引など困難な状況であり、理不尽な行為ばかり
もし日本人がしてやられたと気づいても、お奉行様は外国人を裁けないのだから辛い!
百戦錬磨の外国商人に対抗するのは容易ではなかったという
こうしたなか、原善三郎(原三渓の義父)や茂木惣兵衛など、ほんのひとにぎりだけ
その一方で、大半が大きな損失を出して破滅する商人も続出した
さて、義父の死去に伴い「三渓」こと、原富太郎が「原家」の家督を相続する
三渓は、早稲田大学で政治学・経済学を学び、跡見女学校の教師を務めるほどの秀才
その経営手腕は群を抜いており、帝国蚕糸の社長、そして、現在の横浜銀行の初代頭取、
さらには、関東大震災後には、横浜市復興会、横浜貿易復興会の会長などを歴任する
また、日本で18件日の世界遺産に登録された「富岡製糸場」
三渓は、三井物産から富岡製糸場を譲り受け、36年の長きにわたり経営していた
この事実はあまり知られていない
さて、生糸貿易で莫大な資産を蓄えた実業家の「原三渓」
彼は、横浜郊外に東京ドーム4個分にもなる広大な庭園「三渓園」を造営する
京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、明治35年頃から造成が始まり、
大正3年に外苑、大正11年には内苑が完成するに至った
特に、三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「神輿振」、
横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が
園内で生まれる
元来、三溪園の土地は、原富三郎(三渓)の養祖父である原善三郎が購入したもの
その広大な敷地の起伏を生かし、庭園との調和を考慮した配置になっている
さらに、園内には、国の重要文化財建造物10件12棟をはじめ、歴史的価値のある
17棟の建築物を見ることができる(全て京都など他都市から移築した古建築)
画像は、蓮の花が美しい二つの池の向う、緑濃き小高い丘にある旧燈明寺の三重塔
オイラの秘密基地がある根岸の杜から車で10分!!
ここにくれば喧騒を忘れ、まるで日本画のような四季折々の景観を満喫できる
参考:2014.11.28 撮影 ※紅葉は、12月第1週までが見ごろ