濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

2015 DeNA横浜ベイスターズ

2015年02月26日 | ひとりごと・・

今週、沖縄キャンプから帰京したFさんから貴重なお土産を頂いた
地元でも「幻」というわれる泡盛の古酒

われらがDeNAベイスターズ!今年こそリーグ制覇を果たし、日本シリーズへ!!!
その瞬間まで頂いた泡盛を大事にとっておこうと思う

さて、ベテラン組から金城が抜け、多村、後藤(ゴメス)、そして荒波も故障中・・・
そんななか、若手のポジション争いが激化しているらしい

正二塁手が確実なグリエルの来日が遅れており、D3・倉本とD5の山下(幸)という
二人で、「DeNA初!新人開幕二遊間!」という報道を目にした

さらに、新人2人が二遊間で、レフト:石川、センター:梶谷、ライト:筒香という
ベイの若武者たちで外野を固めるという



去年は、ブランコ、グリエル、そしてバルさんと、助っ人に頼る場面が多すぎたかも!?
それに比べりゃ、生え抜きの若手の出場機会が増えることはとても喜ばしいこと
清さんには、耐えて、耐えぬき、時には目をつむってでも、若手起用をお願いしたい

本当のところ、オイラ的には、セカンド石川、サード筒香!というのが理想なんだよね
なんといっても彼らは内野手が本職!!慣れたポジションで活躍してほしい

しかし、プロの世界は「下剋上」、今年のポジション争いはより厳しくなるね
若手もベテランもなく、ハマのファンが狂喜乱舞するような試合を見せて欲しい



今年の開幕まであと29日・・・

神様が決めた寿命

2015年02月26日 | ひとりごと・・

人生の師、色川の大将が逝ってまもなく1年が経とうとしている
あまりにも急なことで、悲しんでる暇などなかった。未だに涙がでないのがやけに悲しい
それでも、時折、大将の“気配”を感じることが多々ある

さて、歌舞伎の名跡を継いだ十代目 坂東三津五郎さんが59歳という若さで旅立った
彼の祖父でもある8代目三津五郎さん、彼も人間国宝にも認定された名優であったが、
フグ毒にあたり、急逝してしまったひとだ

あるとき、色川の大将と話をしていたら、「8代目は俺の縁戚」と言う話をしていた
8代目には二人の御嬢さんがいて、ひとりは10代目三津五郎の母となる喜子さん
もうひとりは女優の池上季実子の母、慶子さんだ

つまり、十代目からすると8代目は祖父ということになる

いづれにしても、中村屋(勘三郎)、成田屋(団十郎)、そして大和屋(三津五郎)が
相次いでこの世を去ってしまった

一部では「歌舞伎座の祟り」というような噂もある
しかし、これはあくまでも噂に過ぎない。老いも若きも亡くなるのは神様が決めた寿命・・
その「神と寿命」について面白い逸話がある

神様が世界を創り、それぞれの生き物の寿命を定めようとした
ある日、ロバがやってきて、「神様、私はどのくらい生きますか?」と尋ねた
神は、「30年だ。」と答え、続けて、「それで満足か?」とロバに聞く

するとロバは、
「それは長いですね。私の骨の折れる毎日を考えてください。朝から晩まで重い荷物を運び、
他の人たちがパンを食べられるように粉ひき、小屋までなん袋も穀物を引きずって行か
なくちゃならないんです・・・少し減らしてください」

これをうけ、神様は、ロバを可哀そうに思い「18年」減らしてあげた
次に犬が現れ、「お前はどれくらい生きたいかね?」と神様は犬に聞いた

犬も、「ロバと同じく30年は多すぎます」
「私がどれだけ走らないといけないかお考えください。私の足はそんなに長くもちません」
神様は、犬の言うことをもっともだとわかり「12年」寿命を減らした

次は猿だ。神様は、「お前はきっと喜んで30年生きるだろうな。」と猿に言う
猿は、「私はいたずらをしたり、いろいろ変な顔をして人々を笑わせなくてはならない」
「どれだけ喜劇のかげに悲劇ありなことか・・・30年もとてももちません。」
神様はしかたなく「10年」減らしてやった

最後は人間だ
神様は、「お前は30年生かそう。」と言う
すると、「何て短いんでしょう。」と人間は叫ぶ!!

人間は、「私が家を建て、火を自分のかまどで燃やし、木を植え花が咲き実を結ぶとき、
私は死ななくてはなりません。ああ、神様、私の寿命を延ばしてください!」

神様は、「それではロバの18年をお前にに足そう。」
「それでも十分じゃありません。」と人間は答える

「それじゃ~犬の12年もお前にやろう。」
「まだ少なすぎます。」「ええと、それでは」と神様は言いいかけ、
「猿の12年もやろう。だがそれ以上はダメだっ!!」

満足する答えを得ることなく人間は去っていったが、約束通り、「70年」生きた
最初の30年は人間の年月。そのときは健康で明るく、楽しく働き、自分の人生を大い!に
楽しむことができた

次にロバの18年が続く。このときは次から次へと重荷を背負い、他の人に食べさせる
穀物をせっせ!と運ぶ・・・これで精一杯!

18年を経て、犬の12年が始まった
すでに、身体の衰えは著しく、唸ることも、ものを噛む歯すらなくなっていた

これが終わると、猿の10年が始まった。人間として生きる最後の10年でもある
しかし、すでに頭は衰え、ばかげたことをして、世の中の笑い者になり、最後を終える

オイラもできるだけ長生きしたいけど、「人生いろいろ」
すべては神様がきめる・・・

今日の芝浦運河

2015年02月26日 | ひとりごと・・

週明けはまるで初夏か?とおもえるほど気温も上がり、日差しを受けると眩しいほどに
しかし、火曜日以降、徐々に天気も気温も下り坂、そして、今日は朝から雨の一日

ここ数日、芝浦運河の上空には灰色の雲が立ち込め、なんとも不気味な様子・・・
雨雲?と思いきや、その原因は、遥か大陸からやってきたPM2.5!というから恐ろしい!
そこに若干の黄砂も混じり、さらには!スギ花粉もミックス・・・

そのため、都内はマスクマンばかり、女性は全部がザワチンに見えてしまう!!
幸い、雨は明日の朝までに上がり、明日は天気も回復!朝から晴れ間が期待できるらしい
週末は、お天道様の下で日光浴でもしようかな!?

さて、いまから79年前の今日、2月26日、東京は真っ白に雪化粧していたという
その雪に覆われた東京では、急進派の青年将校に率いられた千四百名余の歩兵部隊が、
反乱を起こす。日本史で習った「226事件」だ

青年将校は、首相官邸をはじめ、 国会議事堂、参謀本部、陸軍省などの要所を占拠、
それは未明のことだった。この反乱により、高橋是清をはじめ数人が殺害されたが、
3日後の29日に反乱軍は制圧された・・・

なぜこのような反乱が起きたのか、その大きな理由として、
当時、大日本帝国陸軍内には2大派閥があり、その一つである「皇道派」の影響を受けた
一部青年将校らは、「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに掲げていた

そして、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える
政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えた末、あのような行動にでたという
この事件には、彼らなりの大切な道義をもった行動だった

世の中の腐敗を一層!!国民のためという「大義」があった
金目当ての殺人集団や、日本でも、これを真似て簡単に人殺しするようなクソガキたちとは
その精神(志)が大きく異なる

日本では、幕末以降、たびたびこのような反が繰り返し起きてきた
明治・大正期に、外交官を務めた川上俊彦(かわかみとしつね)と言う人がいる

川上は、激動の時代のなかで、三人の歴史的人物の死に遭遇している

明治42年10月26日午前9時、伊藤博文はハルビン駅に到着した
列車を降りて各国外交団の前を進もうとした時、安重根の拳銃から閃光が走った
3発が伊藤に命中し絶命。随行の川上も流れ弾を受けて重傷だった

その後、川上は、乃木希典(大将)専属のロシア語通訳となる
乃木から絶大な信用があった川上は、日露戦争の旅順陥落で乃木とステッセルとの
水師営での会見のときもロシア語通訳を務めたが、大正元年9月13日、乃木希典は、
明治天皇が没すると、妻静子とともに殉死を遂げる

さらに、第一次大戦後のシベリア出兵でソ連との基本条約締結に向けた予備交渉を、
川上は後藤新平から命ぜられる。後藤は、台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、
逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市第7代市長などを歴任する大物政治家である

大正12年2月1日、断絶していた日ソ国交の回復交渉のため外交官ヨッフェが来日した
その後、川上が中心となり、ヨッフェと予備交渉を重ねるが、ヨッフェは、11月17日、
スターリンによるトロツキーの党除名・追放に抗議して自殺してしまう

たまたま、川上俊彦のお孫さん夫婦と家族ぐるみで親交があり、そこで川上という
外交官を知ることになった。因みに、画家であり、お孫さんのご主人が師事したのが
日本画壇の巨匠 安田靭彦(やすだゆきひこ)である
また、ご夫婦の結婚を取り持ったのが安田靭彦と懇意にしていた島崎藤村の妻「静子」

なにげなく話されていたが、登場人物はすべて「雲の上のひと」ばかり、
すでにお孫さん夫妻は天に召されたが、特に奥さんは江戸っ子で、歯切れがよかった!
もう少し時間があればもっとたくさんの話を聞きたかった