週明けはまるで初夏か?とおもえるほど気温も上がり、日差しを受けると眩しいほどに
しかし、火曜日以降、徐々に天気も気温も下り坂、そして、今日は朝から雨の一日
ここ数日、芝浦運河の上空には灰色の雲が立ち込め、なんとも不気味な様子・・・
雨雲?と思いきや、その原因は、遥か大陸からやってきたPM2.5!というから恐ろしい!
そこに若干の黄砂も混じり、さらには!スギ花粉もミックス・・・
そのため、都内はマスクマンばかり、女性は全部がザワチンに見えてしまう!!
幸い、雨は明日の朝までに上がり、明日は天気も回復!朝から晴れ間が期待できるらしい
週末は、お天道様の下で日光浴でもしようかな!?
さて、いまから79年前の今日、2月26日、東京は真っ白に雪化粧していたという
その雪に覆われた東京では、急進派の青年将校に率いられた千四百名余の歩兵部隊が、
反乱を起こす。日本史で習った「226事件」だ
青年将校は、首相官邸をはじめ、 国会議事堂、参謀本部、陸軍省などの要所を占拠、
それは未明のことだった。この反乱により、高橋是清をはじめ数人が殺害されたが、
3日後の29日に反乱軍は制圧された・・・
なぜこのような反乱が起きたのか、その大きな理由として、
当時、大日本帝国陸軍内には2大派閥があり、その一つである「皇道派」の影響を受けた
一部青年将校らは、「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに掲げていた
そして、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える
政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えた末、あのような行動にでたという
この事件には、彼らなりの大切な道義をもった行動だった
世の中の腐敗を一層!!国民のためという「大義」があった
金目当ての殺人集団や、日本でも、これを真似て簡単に人殺しするようなクソガキたちとは
その精神(志)が大きく異なる
日本では、幕末以降、たびたびこのような反が繰り返し起きてきた
明治・大正期に、外交官を務めた川上俊彦(かわかみとしつね)と言う人がいる
川上は、激動の時代のなかで、三人の歴史的人物の死に遭遇している
明治42年10月26日午前9時、伊藤博文はハルビン駅に到着した
列車を降りて各国外交団の前を進もうとした時、安重根の拳銃から閃光が走った
3発が伊藤に命中し絶命。随行の川上も流れ弾を受けて重傷だった
その後、川上は、乃木希典(大将)専属のロシア語通訳となる
乃木から絶大な信用があった川上は、日露戦争の旅順陥落で乃木とステッセルとの
水師営での会見のときもロシア語通訳を務めたが、大正元年9月13日、乃木希典は、
明治天皇が没すると、妻静子とともに殉死を遂げる
さらに、第一次大戦後のシベリア出兵でソ連との基本条約締結に向けた予備交渉を、
川上は後藤新平から命ぜられる。後藤は、台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、
逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市第7代市長などを歴任する大物政治家である
大正12年2月1日、断絶していた日ソ国交の回復交渉のため外交官ヨッフェが来日した
その後、川上が中心となり、ヨッフェと予備交渉を重ねるが、ヨッフェは、11月17日、
スターリンによるトロツキーの党除名・追放に抗議して自殺してしまう
たまたま、川上俊彦のお孫さん夫婦と家族ぐるみで親交があり、そこで川上という
外交官を知ることになった。因みに、画家であり、お孫さんのご主人が師事したのが
日本画壇の巨匠 安田靭彦(やすだゆきひこ)である
また、ご夫婦の結婚を取り持ったのが安田靭彦と懇意にしていた島崎藤村の妻「静子」
なにげなく話されていたが、登場人物はすべて「雲の上のひと」ばかり、
すでにお孫さん夫妻は天に召されたが、特に奥さんは江戸っ子で、歯切れがよかった!
もう少し時間があればもっとたくさんの話を聞きたかった
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