お相撲さんが、やってはいけない博打を打ったこと、ヤクザと関係を持ったことが問題視されている。
まず、博打のほうだが、刑法には、賭博罪とか常習賭博罪とか、賭博開帳罪とかが、ある。
これは、一応保護法益が、「健全な労働観念」とかいうものになっていて、「額に汗して働くこと」を善いものとして、博打でお金をもうけてしまうと働いてお金を稼ぐことが馬鹿らしくなってしまい、こういう風紀が蔓延すると、世の中が退廃的になってよくない、ということを根拠としている。
まあ、これには、おおいに異論のあるところで、じゃあ、公営ギャンブルはどうなんだ?万馬券とか出てるじゃないか?なぜ許されるんだ?と疑問符のつくところである。
それから、これから外国人に日本に観光旅行に来てもらうために、「カジノ特区」を創ったらどうか?なんて、石原都知事を筆頭に話をしてるところで、賭博罪を罰する根拠がますます希薄になっている現状では、お相撲さんが、賭博をしたこと自体が責められるのは、なんとなく違和感がある。
話の根幹は、おそらく、反社会的勢力と癒着していた、という点にあるのではないか?
反社会的勢力が、賭博を開帳していて、それにカモとなって、お相撲さんがズブズブになってしまった、ということが、大きな問題なのだろう。
ところで、歌舞伎の演目で、「極付幡随院長兵衛」というのがある。町奴の幡随院長兵衛が旗本奴の水野十郎左衛門と喧嘩して、仕舞いには水野に切り殺されてしまう話である。
幡随院長兵衛自体は、実在の人物で、大学入試にも出題されるくらいであるから、歴史上かなり有名な「ヤクザ」だったことになる。
この幡随院長兵衛が、水野十郎左衛門に殺されたのも史実らしい。
まあ、その直接の原因というのが、歴史上はよくわからない。
確かに、江戸の初期、町奴というヤクザ者が世間の迷惑になっていた。(あの、天下の悪法といわれた「生類憐みの令」も、実は、野良犬を殺して食す習慣があった町奴たちを取り締まるためのものだったという説もあるのである。)
そこのところを歌舞伎では、こんな風にしている。
当時、水野十郎左衛門が、ひいきにしていた黒鷲という力士が、幡随院長兵衛がひいきにしていた桜川(だったかな?)という力士に破れ、その腹いせに、黒鷲が桜川を殺そうとしたのを返り討ちにしてしまった。これに腹を立てた水野が長兵衛を切り殺してしまう。
(そういえば、「佐武と市」という石の森正太郎の漫画にも似たような話があった。その話では、もろに「賭け相撲」の話だったが・・・。)
これは創作だと思うのだが、全く根拠のないところに歌舞伎の筋書きの説得力も生じない。事実、相撲取りと町奴や旗本奴は結託し辻相撲などをして銭を稼いでいた。そこへ、幕府は辻相撲禁止令を出し、以後、厳格な要件の下にのみ相撲の興行を許した。当然、ここでもその興行を仕切っていたのは、地回りと呼ばれるヤクザであった。そして、この伝統は、地方巡業などの際、地元のヤクザが興行を仕切るスタイルとして現在に至っているのである。
とすれば、何をいまさら、ヤクザと癒着してけしからん、などと言うのか?
文部省管轄下の公益法人になったのは、明治天皇、昭和天皇の相撲好きが昂じて文部省所管になっただけである。国の管轄下にあるのにけしからんというならば、ならばどうしてもっと早く国が是正しなかったのか。みんな見て見ぬふりをしていただけではないのか?
私が思うのは、大部分のお相撲さんは、一生懸命稽古してるし、相撲以外のことは、ホントのところよくわからない、というのが実情だと思う。
ヤクザと接触するのがけしからんというなら、先に述べた大相撲の歴史上、協会の自浄作用に期待するのは無理だから、国などの公的機関がきちんと管理すべきだと思う。
その上で、不透明な茶屋制度を事実上もなくして、大相撲のチケットをどこの席でも、一般の人が買えるようにしてほしいと思う。
そうすれば、大相撲は、国技として今まで以上に盛り上がるのではないかと思う。
そのような徹底した改革を私は期待している。
まず、博打のほうだが、刑法には、賭博罪とか常習賭博罪とか、賭博開帳罪とかが、ある。
これは、一応保護法益が、「健全な労働観念」とかいうものになっていて、「額に汗して働くこと」を善いものとして、博打でお金をもうけてしまうと働いてお金を稼ぐことが馬鹿らしくなってしまい、こういう風紀が蔓延すると、世の中が退廃的になってよくない、ということを根拠としている。
まあ、これには、おおいに異論のあるところで、じゃあ、公営ギャンブルはどうなんだ?万馬券とか出てるじゃないか?なぜ許されるんだ?と疑問符のつくところである。
それから、これから外国人に日本に観光旅行に来てもらうために、「カジノ特区」を創ったらどうか?なんて、石原都知事を筆頭に話をしてるところで、賭博罪を罰する根拠がますます希薄になっている現状では、お相撲さんが、賭博をしたこと自体が責められるのは、なんとなく違和感がある。
話の根幹は、おそらく、反社会的勢力と癒着していた、という点にあるのではないか?
反社会的勢力が、賭博を開帳していて、それにカモとなって、お相撲さんがズブズブになってしまった、ということが、大きな問題なのだろう。
ところで、歌舞伎の演目で、「極付幡随院長兵衛」というのがある。町奴の幡随院長兵衛が旗本奴の水野十郎左衛門と喧嘩して、仕舞いには水野に切り殺されてしまう話である。
幡随院長兵衛自体は、実在の人物で、大学入試にも出題されるくらいであるから、歴史上かなり有名な「ヤクザ」だったことになる。
この幡随院長兵衛が、水野十郎左衛門に殺されたのも史実らしい。
まあ、その直接の原因というのが、歴史上はよくわからない。
確かに、江戸の初期、町奴というヤクザ者が世間の迷惑になっていた。(あの、天下の悪法といわれた「生類憐みの令」も、実は、野良犬を殺して食す習慣があった町奴たちを取り締まるためのものだったという説もあるのである。)
そこのところを歌舞伎では、こんな風にしている。
当時、水野十郎左衛門が、ひいきにしていた黒鷲という力士が、幡随院長兵衛がひいきにしていた桜川(だったかな?)という力士に破れ、その腹いせに、黒鷲が桜川を殺そうとしたのを返り討ちにしてしまった。これに腹を立てた水野が長兵衛を切り殺してしまう。
(そういえば、「佐武と市」という石の森正太郎の漫画にも似たような話があった。その話では、もろに「賭け相撲」の話だったが・・・。)
これは創作だと思うのだが、全く根拠のないところに歌舞伎の筋書きの説得力も生じない。事実、相撲取りと町奴や旗本奴は結託し辻相撲などをして銭を稼いでいた。そこへ、幕府は辻相撲禁止令を出し、以後、厳格な要件の下にのみ相撲の興行を許した。当然、ここでもその興行を仕切っていたのは、地回りと呼ばれるヤクザであった。そして、この伝統は、地方巡業などの際、地元のヤクザが興行を仕切るスタイルとして現在に至っているのである。
とすれば、何をいまさら、ヤクザと癒着してけしからん、などと言うのか?
文部省管轄下の公益法人になったのは、明治天皇、昭和天皇の相撲好きが昂じて文部省所管になっただけである。国の管轄下にあるのにけしからんというならば、ならばどうしてもっと早く国が是正しなかったのか。みんな見て見ぬふりをしていただけではないのか?
私が思うのは、大部分のお相撲さんは、一生懸命稽古してるし、相撲以外のことは、ホントのところよくわからない、というのが実情だと思う。
ヤクザと接触するのがけしからんというなら、先に述べた大相撲の歴史上、協会の自浄作用に期待するのは無理だから、国などの公的機関がきちんと管理すべきだと思う。
その上で、不透明な茶屋制度を事実上もなくして、大相撲のチケットをどこの席でも、一般の人が買えるようにしてほしいと思う。
そうすれば、大相撲は、国技として今まで以上に盛り上がるのではないかと思う。
そのような徹底した改革を私は期待している。