ずいぶん前の話だが、K山さんに、“他の日本人のポスドクの人たちに呼びかけるときは、先生ってつけなくちゃいけないんですかねえ?”と聞かれたことがあった。
確かに、初めてナッシュビルに来たときにはひどく面食らった。皆、単なるポスドクのはずなのに“先生”と呼びあっている。なぜか?理由は、お医者さんが多いからである。
Vandyの日本人ポスドクのうち、約半数はM.D.すなわち(日本の)医師免許を取得した人々である。日本では、M.D.たちはお互いを“先生”と呼ぶ(らしい)。“先生”と呼びかければ、名前を知っている(覚える)必要がないというもっともらしい話をよく聞くが、それは後でとってつけた理由であって、本来は“医師免許”を取得していることに対して敬意を払うという意味で、そう呼ぶものと推察する。
一方、テツが属するPh.D.の世界では事情が異なり、 “職位”を有する人に対して“先生”と呼びかけるのが慣わしである。“学生に対する教育・指導”あるいは“学部や研究室などの組織の運営に関わる雑務”を遂行していることに対して敬意を表している。Ph.D.であっても“助教”、“教授”などの職についていなければ “先生”とは呼ばれないし、逆にPh.D.を取得していなくても、“助教”であれば、“先生”と呼ばれる。
以上の原則にのっとってK山さんの質問に答えると、日本人M.D.の人たちは “先生”付けで呼ぶべきなのであろう。アメリカにおいて彼らの医師免許は無効なので、彼らは法的には医療行為を行うことができない。しかし、だからといって、彼らの知識が失われるわけではなく、日本における医師免許が失効するわけでもない。病気になったときにどんな対処をしたら良いか尋ねれば、適切なアドバイスをくれるし、彼らが砂漠の真ん中で、病人に出会った場合、彼らは病人を助けることができるであろう。したがって、医師としての能力を有していることに対して敬意を払って“先生”と呼んでもおかしくない。
一方、Ph.D.であってVandyで職位を有していないテツには、“先生”と呼ばれる理由は何もない。教育などの職責を負っていないからである。上に出てきたK山さんや、S野さんのように、VandyでFaculty Positionを有している人は、“先生”と呼ぶのが適当だろう。
実際には、ナッシュビルに来た当初はともかく、今となっては周囲のポスドクの人たちは皆友達なので、彼らから“先生”と呼ばれることはほとんどない。しかし、困ったことに、彼らの奥様方から“先生”と呼ばれることがある。いちいち、“かくかくしかじかで私は先生ではないんです”と説明できないので、多くの場合、そのまま流してしまうのだが、罪悪感を覚える。
今度K山さんに会ったら、“先生”と呼ばれない方法がないか聞いてみよう。
確かに、初めてナッシュビルに来たときにはひどく面食らった。皆、単なるポスドクのはずなのに“先生”と呼びあっている。なぜか?理由は、お医者さんが多いからである。
Vandyの日本人ポスドクのうち、約半数はM.D.すなわち(日本の)医師免許を取得した人々である。日本では、M.D.たちはお互いを“先生”と呼ぶ(らしい)。“先生”と呼びかければ、名前を知っている(覚える)必要がないというもっともらしい話をよく聞くが、それは後でとってつけた理由であって、本来は“医師免許”を取得していることに対して敬意を払うという意味で、そう呼ぶものと推察する。
一方、テツが属するPh.D.の世界では事情が異なり、 “職位”を有する人に対して“先生”と呼びかけるのが慣わしである。“学生に対する教育・指導”あるいは“学部や研究室などの組織の運営に関わる雑務”を遂行していることに対して敬意を表している。Ph.D.であっても“助教”、“教授”などの職についていなければ “先生”とは呼ばれないし、逆にPh.D.を取得していなくても、“助教”であれば、“先生”と呼ばれる。
以上の原則にのっとってK山さんの質問に答えると、日本人M.D.の人たちは “先生”付けで呼ぶべきなのであろう。アメリカにおいて彼らの医師免許は無効なので、彼らは法的には医療行為を行うことができない。しかし、だからといって、彼らの知識が失われるわけではなく、日本における医師免許が失効するわけでもない。病気になったときにどんな対処をしたら良いか尋ねれば、適切なアドバイスをくれるし、彼らが砂漠の真ん中で、病人に出会った場合、彼らは病人を助けることができるであろう。したがって、医師としての能力を有していることに対して敬意を払って“先生”と呼んでもおかしくない。
一方、Ph.D.であってVandyで職位を有していないテツには、“先生”と呼ばれる理由は何もない。教育などの職責を負っていないからである。上に出てきたK山さんや、S野さんのように、VandyでFaculty Positionを有している人は、“先生”と呼ぶのが適当だろう。
実際には、ナッシュビルに来た当初はともかく、今となっては周囲のポスドクの人たちは皆友達なので、彼らから“先生”と呼ばれることはほとんどない。しかし、困ったことに、彼らの奥様方から“先生”と呼ばれることがある。いちいち、“かくかくしかじかで私は先生ではないんです”と説明できないので、多くの場合、そのまま流してしまうのだが、罪悪感を覚える。
今度K山さんに会ったら、“先生”と呼ばれない方法がないか聞いてみよう。