はなこさん宅のパーティーに参加させてもらった(はなこさん、John、ありがとう!)。そろそろ帰ろうかという時間になって外を見ると、雪が積もっていた!雪の中を恐る恐る帰宅した。
(昨日の続き)
7時20分、Dallas発、9時Nashville着。
Paulに迎えに来てもらってラボへ直行。Chuckと話をして、一旦アパートに帰った。
ラボメンバーで映画を見て、その後Chuck邸でクリスマスパーティーの予定だったが、時間がなくて映画は断念。直接Chuckの家に行った。久しぶりにBeckyに会った。
さすがに3年目ともなると、パーティーでも気後れすることはない。ただし、英語が聞き取れなくなるので、アルコールには絶対に口をつけない。結局最後までChuckの家に残ってしまった。
7時20分、Dallas発、9時Nashville着。
Paulに迎えに来てもらってラボへ直行。Chuckと話をして、一旦アパートに帰った。
ラボメンバーで映画を見て、その後Chuck邸でクリスマスパーティーの予定だったが、時間がなくて映画は断念。直接Chuckの家に行った。久しぶりにBeckyに会った。
さすがに3年目ともなると、パーティーでも気後れすることはない。ただし、英語が聞き取れなくなるので、アルコールには絶対に口をつけない。結局最後までChuckの家に残ってしまった。
最終日は午前中のSession (New and Interesting Experimental & Theoretical Approaches。7時45分~11時45分)のみ。最初のK大S川研の発表は、彼らが1年前にNatureに発表したIn Cell NMRの話だった。Talkの後のdiscussionのとき、テツの前に座っていたアメリカ人と思しき研究者(若い人。PIなのかポスドクなのかは不明)が、“私もIn Cell NMRをやっている。あなた方の論文を読んが、In Cellで、こんなにきれいなスペクトルが取れるとは、unbelievableとだ”と発言した。この文脈でunbelievableは、明らかにquestionableを意味していて、極めて攻撃的なコメントだ。このような質問をされた場合には、自分のデータを守るために、徹底的に抗戦しなければならない。しかし、残念ながら演者(S川先生自身ではなく、代理の多分助教の人。)の回答は、しどろもどろで、到底納得のいくものではなかった。これが言語的な理由によるものなのか、日本語でやっても同じなのかは分からない。しかし、このやり取りを聞いた人は、ほぼ間違いなく、質問者の言うことが正しく、演者らは実験上何か間違ったことをやったと思っただろう。
学会終了後、I君と一緒にテツのホテルまで戻り、ホテルの裏にあると思い込んでいたラーメン屋(えぞ菊)を探しに行った。しかし、いくら探しても見つからない。仕方がないので、ホテルのパソコン(有料!)で再検索したところ、場所が全く違っていて、町の中心部だった。時間があったので、歩いていくことにした。
小雨がぱらつくWaikiki Beach。12時37分撮影。
えぞ菊のラーメンは普通においしかった。それなりに満足した。店の前でI君と別れて、ホテルに戻った。
Diamond Head。2時17分撮影。ちょっと登ってみたかった。
ホテルで荷物を回収し、昨日予約しておいた乗り合いバスで空港へ。
Monkey Pod(日立のCMに出てくる、この木何の木・・・の木)。空港の駐車場にて。4時45分撮影。CM撮影に使われた木は、空港の近くにあるらしい。
6時20分、Honolulu発、翌朝5時25分、Dallas着。(続く)
学会終了後、I君と一緒にテツのホテルまで戻り、ホテルの裏にあると思い込んでいたラーメン屋(えぞ菊)を探しに行った。しかし、いくら探しても見つからない。仕方がないので、ホテルのパソコン(有料!)で再検索したところ、場所が全く違っていて、町の中心部だった。時間があったので、歩いていくことにした。
小雨がぱらつくWaikiki Beach。12時37分撮影。
えぞ菊のラーメンは普通においしかった。それなりに満足した。店の前でI君と別れて、ホテルに戻った。
Diamond Head。2時17分撮影。ちょっと登ってみたかった。
ホテルで荷物を回収し、昨日予約しておいた乗り合いバスで空港へ。
Monkey Pod(日立のCMに出てくる、この木何の木・・・の木)。空港の駐車場にて。4時45分撮影。CM撮影に使われた木は、空港の近くにあるらしい。
6時20分、Honolulu発、翌朝5時25分、Dallas着。(続く)
午前(7時45分から11時15分)のSession(Nucleic Acid and Nucleic Acid Interactions)は、あまり興味のない分野なので、ただ聴いていただけ。Pervushinが持ち時間30分のところを、45分くらい話していた。しかも、大して面白い話でもなかった。
午後の前半(1時から3時)のSession titleは、membrane proteins and protein-lipid interactions。まずは、Baxのtalk。解析対象自体は、たかだか23残基の膜内ペプチドなのだが、Baxの緻密な解析結果に圧倒された。そして、自分の発表。普段は大して緊張しないのだが、Baxの後ということで、最初からかなり緊張していた。しかも、ふと目線を上げたときに、S田先生が目に入ってしまい(しかも、何やら不満そうに首をかしげているように見えた)、一時かなりあわててしまった。中盤からは落ち着いてやれた。質問は、I倉先生、Bax、K庄先生の3人から来たが、いずれも難しい質問ではなく、簡単に答えられた。アメリカ人から、もう少し突っ込んだ質問が来て欲しかった。一般的に、日本人の研究者が、あまり流暢でない英語で発表をすると、アメリカ人たちは、込み入った質問を控えるようである。これは、発表を完全に理解できなかったためというよりは、発表者に恥をかかせないように配慮しているように感じられる。自分も、質問をするには英語が下手すぎると思われたかもしれない。今回の学会で、自分以外で膜タンパク質の直接解析の話をした人はいなかったので、内容的にはインパクトのある話ができたと思う。しかし、もっとBiologicalなsupporting dataを集めていかないと、おもしろいけど信憑性がないという評価になるだろう。
午後の後半のSession(3時から4時45分)は、Pharmacologically Interesting Molecules & Approaches。ただ聴いていただけ。
Session終了後、成り行きで、I倉先生のホテルの部屋を見せてもらった。Hiltonの最上階(の1つ下の階?)のSweet Room。部屋の広さもさることながら、眺めが素晴らしい。その後、S田先生、I倉先生、K庄先生夫妻、Markley夫妻、I君と一緒に、タイレストランに行って夕食。先生方にご馳走していただいた(ありがとうございました)。食事後、学会会場に戻り、Poster Sessionに参加した。Bax Labから来ていたアメリカ人ポスドクと話をすることができた。Baxは、緻密なデータを要求してくるとのこと。そりゃそうだ。Biological NMR関連のポスターは、20演題しか出ておらず、あっという間に見終わってしまった。暇つぶしに、山のような有機化学関係のポスターの間をうろついていると、春までNashvilleにいたT本さんに会った。さらに、T大学のU野先生に会った。U野先生は最近医学部でラボを構えたすごい人だ。医学部で仕事をするのはなかなか大変だとおっしゃっていた。
今回の学会で、何より嬉しかったのは、3年以上ぶりにお会いした関係分野の先生方が、意外にも、テツのことを覚えていてくれたことだ。大変光栄なことだと思う。
午後の前半(1時から3時)のSession titleは、membrane proteins and protein-lipid interactions。まずは、Baxのtalk。解析対象自体は、たかだか23残基の膜内ペプチドなのだが、Baxの緻密な解析結果に圧倒された。そして、自分の発表。普段は大して緊張しないのだが、Baxの後ということで、最初からかなり緊張していた。しかも、ふと目線を上げたときに、S田先生が目に入ってしまい(しかも、何やら不満そうに首をかしげているように見えた)、一時かなりあわててしまった。中盤からは落ち着いてやれた。質問は、I倉先生、Bax、K庄先生の3人から来たが、いずれも難しい質問ではなく、簡単に答えられた。アメリカ人から、もう少し突っ込んだ質問が来て欲しかった。一般的に、日本人の研究者が、あまり流暢でない英語で発表をすると、アメリカ人たちは、込み入った質問を控えるようである。これは、発表を完全に理解できなかったためというよりは、発表者に恥をかかせないように配慮しているように感じられる。自分も、質問をするには英語が下手すぎると思われたかもしれない。今回の学会で、自分以外で膜タンパク質の直接解析の話をした人はいなかったので、内容的にはインパクトのある話ができたと思う。しかし、もっとBiologicalなsupporting dataを集めていかないと、おもしろいけど信憑性がないという評価になるだろう。
午後の後半のSession(3時から4時45分)は、Pharmacologically Interesting Molecules & Approaches。ただ聴いていただけ。
Session終了後、成り行きで、I倉先生のホテルの部屋を見せてもらった。Hiltonの最上階(の1つ下の階?)のSweet Room。部屋の広さもさることながら、眺めが素晴らしい。その後、S田先生、I倉先生、K庄先生夫妻、Markley夫妻、I君と一緒に、タイレストランに行って夕食。先生方にご馳走していただいた(ありがとうございました)。食事後、学会会場に戻り、Poster Sessionに参加した。Bax Labから来ていたアメリカ人ポスドクと話をすることができた。Baxは、緻密なデータを要求してくるとのこと。そりゃそうだ。Biological NMR関連のポスターは、20演題しか出ておらず、あっという間に見終わってしまった。暇つぶしに、山のような有機化学関係のポスターの間をうろついていると、春までNashvilleにいたT本さんに会った。さらに、T大学のU野先生に会った。U野先生は最近医学部でラボを構えたすごい人だ。医学部で仕事をするのはなかなか大変だとおっしゃっていた。
今回の学会で、何より嬉しかったのは、3年以上ぶりにお会いした関係分野の先生方が、意外にも、テツのことを覚えていてくれたことだ。大変光栄なことだと思う。
Pacifichem 2010(環太平洋化学会)に参加した。基本的にはchemistryの学会なのだが、少しだけbiologyに関係したsessionがある。テツが参加したのは、”Biomolecular Structure and Dynamics: Recent Advances in NMR”というsessionである。うわさによると、Pacifichemは5年に1回の有機化学者のお祭り的学会で、真面目に参加する人は少ないらしい。とあるSessionでは、Speaker, Chair, Next speakerの3人しかいなかったとか(注:真偽不明!)。しかし、テツが参加したSessionは極めてseriousで、常時40人程度は聴衆がいた。それだけ質の高いInvited speakerが揃っていた。
さて、午前(7時30分から11時30分)のSessionのtitleはProtein Complexes and Signaling。Andrew Byrdのtalkが特にimpressiveだった。とにかくありとあらゆる構造制限情報を集めて、タンパク質の高次集合体の構造を決めてやろうという試み。最近よく聞く話題だが、Andy(とみんなに呼ばれていた)は話がうまい。Wagnerは、methodologyの話で、膜タンパクの話はなかった。
昼は、元ボスのS田先生と近くのFood Courtに行って密談。
午後(12時30分から16時30分)のSession titleはProtein Dynamics, Folded and Unfolded States。恥ずかしながら、Jane Dysonの話を初めてまともに聞いて、非常に面白かった。さすが、Protein Foldingの第一人者だけある。Molten Globule状態は、自分の研究対象にも関係しているので、彼女の論文はしっかり読んでおかなければなるまい。午後のSessionの最後に中国の研究者が2人連続して出てきた。二人とも、特別新しいことを発表したわけではないが、この10~20年の間にestablishされたmodern NMRのテクニックを使って、丁寧にタンパク質の構造決定を行っていた。中国のscienceがすごいスピードで進化していることを窺わせる内容だった。ちなみに最後に発表した若い女性ポスドクは、ほとんどnativeかと思わせるような、流暢な英語を話し、発表の内容も質疑応答も、素晴らしい出来だった。
Session終了後、S田先生、テツ同様S研出身のI君とお茶を飲み、引き続き夜のReception兼poster sessionに参加した。ここでI倉先生をつかまえて、I倉研が解析しているタンパク質の一つと、テツの研究対象が相互作用している可能性について語らせて頂いた(日本語で)。I倉先生は、真剣に話を聞いて下さり、大変面白いと言って下さった。日本語なら、ここまでできるんだが・・・。
さて、午前(7時30分から11時30分)のSessionのtitleはProtein Complexes and Signaling。Andrew Byrdのtalkが特にimpressiveだった。とにかくありとあらゆる構造制限情報を集めて、タンパク質の高次集合体の構造を決めてやろうという試み。最近よく聞く話題だが、Andy(とみんなに呼ばれていた)は話がうまい。Wagnerは、methodologyの話で、膜タンパクの話はなかった。
昼は、元ボスのS田先生と近くのFood Courtに行って密談。
午後(12時30分から16時30分)のSession titleはProtein Dynamics, Folded and Unfolded States。恥ずかしながら、Jane Dysonの話を初めてまともに聞いて、非常に面白かった。さすが、Protein Foldingの第一人者だけある。Molten Globule状態は、自分の研究対象にも関係しているので、彼女の論文はしっかり読んでおかなければなるまい。午後のSessionの最後に中国の研究者が2人連続して出てきた。二人とも、特別新しいことを発表したわけではないが、この10~20年の間にestablishされたmodern NMRのテクニックを使って、丁寧にタンパク質の構造決定を行っていた。中国のscienceがすごいスピードで進化していることを窺わせる内容だった。ちなみに最後に発表した若い女性ポスドクは、ほとんどnativeかと思わせるような、流暢な英語を話し、発表の内容も質疑応答も、素晴らしい出来だった。
Session終了後、S田先生、テツ同様S研出身のI君とお茶を飲み、引き続き夜のReception兼poster sessionに参加した。ここでI倉先生をつかまえて、I倉研が解析しているタンパク質の一つと、テツの研究対象が相互作用している可能性について語らせて頂いた(日本語で)。I倉先生は、真剣に話を聞いて下さり、大変面白いと言って下さった。日本語なら、ここまでできるんだが・・・。
4時半ごろ(といってもNashville時間で8時半)ホテルを出発して、タクシーで空港へ戻った。
5時55分、Honolulu発、6時44分、ハワイ島(The Island of Hawai’i or The Big Island)のHiloに到着。あっという間に着いた。
Mauna Kea。6時57分撮影。
標高13796 feet=4205 m。富士山より高いが、富士山ほど高さを感じない。それだけ山体が大きく、裾野が広いのだろう。頂上の天文台も、ここからはっきり見えるということは、相当大きいということだ。
空港で車を借り、Hawai’i Volcanoes National Parkに向かった。車は予め予約しておいた。飛び込みで空車がないか聞いている人がいたが、holiday seasonなので空車はないと断られていた。
Hawai’i Volcanoes National Parkの入り口にて。8時5分撮影。
Bamboo Orchid。8時10分撮影。
名前不明の花。8時13分撮影。
ゲートで$10を払い、まずはVisitor Centerで情報収集を行った。一旦公園を出て、Volcano Villageへ行き、Volcano Storeで水・食料などを揃えた。となりのCafe Ohiaでサンドイッチを買った。公園へ戻り、Kilauea Iki Crater Overlookへ。ここから、Kilauea Iki Trailのハイキングを開始した。
Kilauea Iki Crater Overlookからの眺め。9時28分撮影。火口の縁から底までの標高差は122m。
Kilauea Iki Craterの縁から眺めたHalema’uma’u Crater。9時49分撮影。
Craterの縁の急斜面を下り、火口の底へ。
‘Ama’u Fern(シダの一種)。10時27分撮影。
砕けた溶岩が工事現場のアスファルトのように見えた。10時30分撮影。
砕けた溶岩。10時31分撮影。
‘Ohi’a Lehua。10時33分撮影。
溶岩の山、Pu’u Pua’i。10時50分撮影。
Kilauea Iki Craterの底の溶岩平原。11時4分撮影。
Craterの縁のSwitch Backを登って崖の上に戻った。
‘Apapane。11時21分撮影。一部拡大。
Thurston Lava Tube(溶岩トンネル)。11時30分撮影。
11時45分、車まで戻り、ハイク終了。4 miles = 6.4 kmを2時間17分かけて歩いた。車でサンドイッチを食べながら休憩した。このサンドイッチは、特筆に価するほど美味かった。休憩後は、Chain of Craters Roadを海岸に向かって下った。
Kealakomo Overlookからの眺め。12時52分撮影。溶岩の流れた跡が、くっきりと見える。
1時5分、Pu’u Loa Petroglyph TrailのTrailheadに到着。早速ハイク開始。冷えた溶岩の上を歩くが、日陰がなく、暑い。1時19分、Petroglyphの密集地に到着した。
Pu’u Loa Petroglyph Siteの眺め。1時19分撮影。
Pu’u Loa Petroglyphs。1時20分撮影。
これらのPetroglyphsは、 400~700年前に流れた溶岩の上に彫られている。
Pu’u Loa Petroglyphs。1時26分撮影。
Petroglyph siteの周囲の風景。1時32分撮影。
Pu’u Loa Petroglyphs。1時37分撮影。
Pu’u Loa Petroglyphs。1時38分撮影。
1時55分、Trailheadに戻り、ハイク終了。Trailは、往復で1.4 mile = 2.3 km。
Chain of Craters Roadをさらに下り、Holei Sea Archの車止めまで行った。ここから、道が溶岩でふさがれているところまで、1 mileほど歩かなければならない。
ヤシの木。2時11分撮影。
この辺りは風が強く、歩いているときに、目にごみが入った。通常はひとしきり涙を流せば痛みが引くのだが、このときは、どれだけ泣いても痛みが引かず、とても目を開けていられない状態になった。
溶岩によって遮断された道路。2時17分撮影。
目が痛いので、急いで来た道を引き返した。
溶岩の断崖。2時33分撮影。
Holei Sea Arch。2時34分撮影。
車に戻り、左目のコンタクトレンズを外す。水で洗ってはめ直そうとしたが、痛くて目に入れていられない。仕方がないので、左目裸眼のまま、Visitor Centerまで戻った。Visitor Centerのトイレで、目とレンズをきれいに洗い、再度コンタクトを目に入れてみたが、やはり痛くて、とても装着できなかった。止むを得ず、左目は裸眼で過ごすことにした。
3時20分ごろ、Visitor Centerを出発し、Punalu’uへ向かった。4時5分ごろ、Punalu’uの黒砂海岸に到着。ウミガメとの遭遇確立が高いとの情報を得たため、ここに来たのだが、あまり期待はしていなかった。ところが、あまりにもあっさりとウミガメを発見した。ざっと見渡しただけで、6匹はいた。
アオウミガメ。4時10分撮影。
アオウミガメ。4時28分撮影。
Punalu’u黒砂海岸。4時33分撮影。
アオウミガメ。4時35分撮影。死体かと思ったら、生きていた。
アオウミガメ。4時35分撮影。
カメを見ることができたので、大満足だった。来た道を戻り、再びVolcanoes National Parkへ。Visitor Centerを通り過ぎ、Jaggar Museumに行った。5時45分に日が暮れ、周囲が暗くなるとともに、Halema’uma’u Craterの底の溶岩の光が見え始めた。
Halema’uma’u Crater。6時23分撮影。クリックで拡大可。
さすがに裸眼で空港まで戻るわけにはいかず、痛みを我慢してコンタクトを装着し、6時45分ごろ、Jaggar Museumを出発した。7時15分ごろ、空港に到着。車を返却した。8時21分、Hilo発の予定が遅れ、9時ごろ出発した。10時ごろ、Honoluluに到着。乗り合いバスでホテルに戻った。
5時55分、Honolulu発、6時44分、ハワイ島(The Island of Hawai’i or The Big Island)のHiloに到着。あっという間に着いた。
Mauna Kea。6時57分撮影。
標高13796 feet=4205 m。富士山より高いが、富士山ほど高さを感じない。それだけ山体が大きく、裾野が広いのだろう。頂上の天文台も、ここからはっきり見えるということは、相当大きいということだ。
空港で車を借り、Hawai’i Volcanoes National Parkに向かった。車は予め予約しておいた。飛び込みで空車がないか聞いている人がいたが、holiday seasonなので空車はないと断られていた。
Hawai’i Volcanoes National Parkの入り口にて。8時5分撮影。
Bamboo Orchid。8時10分撮影。
名前不明の花。8時13分撮影。
ゲートで$10を払い、まずはVisitor Centerで情報収集を行った。一旦公園を出て、Volcano Villageへ行き、Volcano Storeで水・食料などを揃えた。となりのCafe Ohiaでサンドイッチを買った。公園へ戻り、Kilauea Iki Crater Overlookへ。ここから、Kilauea Iki Trailのハイキングを開始した。
Kilauea Iki Crater Overlookからの眺め。9時28分撮影。火口の縁から底までの標高差は122m。
Kilauea Iki Craterの縁から眺めたHalema’uma’u Crater。9時49分撮影。
Craterの縁の急斜面を下り、火口の底へ。
‘Ama’u Fern(シダの一種)。10時27分撮影。
砕けた溶岩が工事現場のアスファルトのように見えた。10時30分撮影。
砕けた溶岩。10時31分撮影。
‘Ohi’a Lehua。10時33分撮影。
溶岩の山、Pu’u Pua’i。10時50分撮影。
Kilauea Iki Craterの底の溶岩平原。11時4分撮影。
Craterの縁のSwitch Backを登って崖の上に戻った。
‘Apapane。11時21分撮影。一部拡大。
Thurston Lava Tube(溶岩トンネル)。11時30分撮影。
11時45分、車まで戻り、ハイク終了。4 miles = 6.4 kmを2時間17分かけて歩いた。車でサンドイッチを食べながら休憩した。このサンドイッチは、特筆に価するほど美味かった。休憩後は、Chain of Craters Roadを海岸に向かって下った。
Kealakomo Overlookからの眺め。12時52分撮影。溶岩の流れた跡が、くっきりと見える。
1時5分、Pu’u Loa Petroglyph TrailのTrailheadに到着。早速ハイク開始。冷えた溶岩の上を歩くが、日陰がなく、暑い。1時19分、Petroglyphの密集地に到着した。
Pu’u Loa Petroglyph Siteの眺め。1時19分撮影。
Pu’u Loa Petroglyphs。1時20分撮影。
これらのPetroglyphsは、 400~700年前に流れた溶岩の上に彫られている。
Pu’u Loa Petroglyphs。1時26分撮影。
Petroglyph siteの周囲の風景。1時32分撮影。
Pu’u Loa Petroglyphs。1時37分撮影。
Pu’u Loa Petroglyphs。1時38分撮影。
1時55分、Trailheadに戻り、ハイク終了。Trailは、往復で1.4 mile = 2.3 km。
Chain of Craters Roadをさらに下り、Holei Sea Archの車止めまで行った。ここから、道が溶岩でふさがれているところまで、1 mileほど歩かなければならない。
ヤシの木。2時11分撮影。
この辺りは風が強く、歩いているときに、目にごみが入った。通常はひとしきり涙を流せば痛みが引くのだが、このときは、どれだけ泣いても痛みが引かず、とても目を開けていられない状態になった。
溶岩によって遮断された道路。2時17分撮影。
目が痛いので、急いで来た道を引き返した。
溶岩の断崖。2時33分撮影。
Holei Sea Arch。2時34分撮影。
車に戻り、左目のコンタクトレンズを外す。水で洗ってはめ直そうとしたが、痛くて目に入れていられない。仕方がないので、左目裸眼のまま、Visitor Centerまで戻った。Visitor Centerのトイレで、目とレンズをきれいに洗い、再度コンタクトを目に入れてみたが、やはり痛くて、とても装着できなかった。止むを得ず、左目は裸眼で過ごすことにした。
3時20分ごろ、Visitor Centerを出発し、Punalu’uへ向かった。4時5分ごろ、Punalu’uの黒砂海岸に到着。ウミガメとの遭遇確立が高いとの情報を得たため、ここに来たのだが、あまり期待はしていなかった。ところが、あまりにもあっさりとウミガメを発見した。ざっと見渡しただけで、6匹はいた。
アオウミガメ。4時10分撮影。
アオウミガメ。4時28分撮影。
Punalu’u黒砂海岸。4時33分撮影。
アオウミガメ。4時35分撮影。死体かと思ったら、生きていた。
アオウミガメ。4時35分撮影。
カメを見ることができたので、大満足だった。来た道を戻り、再びVolcanoes National Parkへ。Visitor Centerを通り過ぎ、Jaggar Museumに行った。5時45分に日が暮れ、周囲が暗くなるとともに、Halema’uma’u Craterの底の溶岩の光が見え始めた。
Halema’uma’u Crater。6時23分撮影。クリックで拡大可。
さすがに裸眼で空港まで戻るわけにはいかず、痛みを我慢してコンタクトを装着し、6時45分ごろ、Jaggar Museumを出発した。7時15分ごろ、空港に到着。車を返却した。8時21分、Hilo発の予定が遅れ、9時ごろ出発した。10時ごろ、Honoluluに到着。乗り合いバスでホテルに戻った。
S京さんの車で空港へ(ありがとうございました)。前日の夜にみぞれが降ったため、道路状況が心配だったが、全く問題なかった。
8時35分、Nashville発、10時45分、Dallas着。
12時20分、Dallas発、1時40分(Nashville時間で3時40分)、Los Angels着。
4時35分、Los Angels発、8時40分(Nashville時間で0時40分)、Honolulu着。
空港から乗り合いバスでホテルに移動したが、45分くらいかかった(10時ごろホテル着)。すぐに寝た。
8時35分、Nashville発、10時45分、Dallas着。
12時20分、Dallas発、1時40分(Nashville時間で3時40分)、Los Angels着。
4時35分、Los Angels発、8時40分(Nashville時間で0時40分)、Honolulu着。
空港から乗り合いバスでホテルに移動したが、45分くらいかかった(10時ごろホテル着)。すぐに寝た。
今日は10時からpresentationを行うことになっていたので、7時ごろ家を出た。雪は止んで晴れていたが、気温が-11℃。昨日降った雪は、がちがちに凍りついていた。昨夕車を停めた所までまで歩いていくと、坂道の両側に、車がたくさん停めてあった。“この車の間を縫ってアパートの外に出るのは不可能だ“などと考えていると、上から車が一台下りてきた。しかし、よく見るとタイヤが回転していない。この車は、他の車に衝突する寸前で止まったが、先に進むことも、来た道を戻ることもできず、そのまま立ち往生することとなった。
仕方がないので、presentationをキャンセルしようとラボに電話をかけると、Wadeが出た。Wadeがラボにたどり着けたということは、一旦主要道に出れば、道は除雪されているのだろう。アパートから外に出るのが一番難しい。
12時ごろに様子を見に行くと、坂道の氷が溶けていたので、ラボに行った。
仕方がないので、presentationをキャンセルしようとラボに電話をかけると、Wadeが出た。Wadeがラボにたどり着けたということは、一旦主要道に出れば、道は除雪されているのだろう。アパートから外に出るのが一番難しい。
12時ごろに様子を見に行くと、坂道の氷が溶けていたので、ラボに行った。
朝、雪がちらついていると思ったら、あっという間に積もった。
アパートの裏庭。3時24分撮影。
タイミングの悪いことに、食料が尽きたため、雪の中買出しに出た。道はまだ除雪されていなた。アパートから最寄のスーパー(Kroger)に行くには、丘を一つ越えなければならない。この丘の峠付近で車が何台か立ち往生していた。しかし、テツは特に問題なく越えることができた。これで調子に乗ってしまい、下り道で充分スピードを落とさなかった。この結果、Old Hickoryと70Sが交わる交差点の100mほど手前でブレーキを踏んだとたんスリップし、ブレーキもハンドルも効かなくなった。交差点で信号待ちをしていた前の車にぶつかる寸前、車が左に流れ、かろじて衝突を避けることができた。寿命が縮んだ。買い物をすませ、来るとき通った峠に戻ると、パトカーが道を封鎖していた。道がつるつるになっているらしい。仕方がないので一旦先ほどスリップした交差点まで戻り、右折して70Sを進み、I40に入った。1区間だけ走って、Old HickoryのExitに入ろうとした瞬間、またスリップした。今回はスリップを予期して充分スピードを落としていたし、周囲に車もいなかったので、大事には至らなかった。アパートまで戻ると、今度はアパートの敷地内の坂がつるつるに凍っていた。結局この坂を車で越えることができず、坂の下の方にある建物の前の駐車場に車をおいて、自分の建物まで歩いて帰った。
アパートの裏庭。3時24分撮影。
タイミングの悪いことに、食料が尽きたため、雪の中買出しに出た。道はまだ除雪されていなた。アパートから最寄のスーパー(Kroger)に行くには、丘を一つ越えなければならない。この丘の峠付近で車が何台か立ち往生していた。しかし、テツは特に問題なく越えることができた。これで調子に乗ってしまい、下り道で充分スピードを落とさなかった。この結果、Old Hickoryと70Sが交わる交差点の100mほど手前でブレーキを踏んだとたんスリップし、ブレーキもハンドルも効かなくなった。交差点で信号待ちをしていた前の車にぶつかる寸前、車が左に流れ、かろじて衝突を避けることができた。寿命が縮んだ。買い物をすませ、来るとき通った峠に戻ると、パトカーが道を封鎖していた。道がつるつるになっているらしい。仕方がないので一旦先ほどスリップした交差点まで戻り、右折して70Sを進み、I40に入った。1区間だけ走って、Old HickoryのExitに入ろうとした瞬間、またスリップした。今回はスリップを予期して充分スピードを落としていたし、周囲に車もいなかったので、大事には至らなかった。アパートまで戻ると、今度はアパートの敷地内の坂がつるつるに凍っていた。結局この坂を車で越えることができず、坂の下の方にある建物の前の駐車場に車をおいて、自分の建物まで歩いて帰った。
アパートの契約更新にあたり、高額な家賃を提示されたため、引っ越すことにした。
Thanks givingの辺りから、1週間ほどかけて、本とがらくたを徐々に梱包した。
12月1日に新アパートの鍵を受け取り、朝と夜に、自分の車でダンボールを何箱か移動させた。この日は、ラボのgroup meetingでpresentationもあったため、crazily busy dayであった。
12月2日は、朝ダンボールをさらに何箱か移動させた後、新しいアパートのすぐ下のBudget Truck Rentalで16’ (16 feet = 4.88m)のトラックを借りた。10時から、Wade, Min-Kyu, Steffenの3人に手伝ってもらって家具を移動させた。自分でも信じられないほど物がたくさんあって、トラックがほぼ一杯になった。新しい部屋は、前の部屋より2回りくらい狭いため、入りきるかどうか心配だったが、余裕だった。狭いといっても、東京のアパートとは比べものにならないくらいゆったりしている。手伝ってくれた3人、ありがとう!
新しい部屋には暖炉がある。ただし、薪を燃やすわけではなく、実は単なるガスストーブだ。
自慢のマグネットコレクションを大公開!
搬入が終わった後、前のアパートに戻り、1時間と時間を決めて、掃除をした。キッチンとバスルームの水回りを中心に掃除をした。ショックなことに、テレビ台の下のカーペットにカビが生えていて、直径約30 cmの円状のエリアが変色していた。これは運が悪かったと思うしかない。
さて、引っ越すにあたって厄介なのがinternetの再接続だ。Comcastに頼めばやってくれるのだが、約束の時間に来てくれないなど、たいへん評判が悪い。今回は、1週間前に電話で予約をとり、夜7時ごろに来てもらうことになっていた。ところが、朝10時半ごろ、トラックに荷詰めしているときに電話がかかってきて、今から行くと言われた。対応できないので1時間くらい後にしてくれと頼んだところ、11時半ごろ、搬入の最中に現れて、ケーブルを繋いでくれた。この時点でTVが映り、internetが繋がっていることを確認した。しかし、夜になって改めてネットに接続しようとすると、繋がらない。モデムが認識されない。自分で解決しようとしたがうまく行かず、翌日(12月3日)の夜にComcastに電話した。電話口でしばらく待たされた後、遠隔で操作するからしばらく待てと言われた。今日中に直るのか、明日以降になるのか聞いたところ、今日中に直る、直ったら電話するという返事が帰ってきた。そして、当然直りもしなかったし、連絡も来なかった。12月4日の朝にComcastに連絡すると、テツの担当になった人が今日は出社しないので、明日まで待てと言われた。そして、12月5日の朝、Comcastのエンジニアが部屋に来て、ようやくinternetが再開通した。モデムを交換しなければならなかったようだ。結局12月2日に引っ越して、3日後にネット環境が整ったことになる。アメリカでは早いほうかも。この3日分の料金も後日しっかり請求された。
今回の引越しでかかった経費
新アパートのadministration + application fee = $ 150.00
新アパートのdeposit = $ 50.00
前のアパートのクリーニング費 = $ 122.50
Truck rental = $ 42.26
Comcast再接続の手数料 = $ 44.61
Piedmont Natural Gasとの契約手数料 = $ 106.95
住所変更に伴う車の保険料の値上げ = $ 50.12
合計 = $ 566.44
旧アパートと新アパートの家賃差 = $ 182.00
4ヶ月住めば元が取れる。
Thanks givingの辺りから、1週間ほどかけて、本とがらくたを徐々に梱包した。
12月1日に新アパートの鍵を受け取り、朝と夜に、自分の車でダンボールを何箱か移動させた。この日は、ラボのgroup meetingでpresentationもあったため、crazily busy dayであった。
12月2日は、朝ダンボールをさらに何箱か移動させた後、新しいアパートのすぐ下のBudget Truck Rentalで16’ (16 feet = 4.88m)のトラックを借りた。10時から、Wade, Min-Kyu, Steffenの3人に手伝ってもらって家具を移動させた。自分でも信じられないほど物がたくさんあって、トラックがほぼ一杯になった。新しい部屋は、前の部屋より2回りくらい狭いため、入りきるかどうか心配だったが、余裕だった。狭いといっても、東京のアパートとは比べものにならないくらいゆったりしている。手伝ってくれた3人、ありがとう!
新しい部屋には暖炉がある。ただし、薪を燃やすわけではなく、実は単なるガスストーブだ。
自慢のマグネットコレクションを大公開!
搬入が終わった後、前のアパートに戻り、1時間と時間を決めて、掃除をした。キッチンとバスルームの水回りを中心に掃除をした。ショックなことに、テレビ台の下のカーペットにカビが生えていて、直径約30 cmの円状のエリアが変色していた。これは運が悪かったと思うしかない。
さて、引っ越すにあたって厄介なのがinternetの再接続だ。Comcastに頼めばやってくれるのだが、約束の時間に来てくれないなど、たいへん評判が悪い。今回は、1週間前に電話で予約をとり、夜7時ごろに来てもらうことになっていた。ところが、朝10時半ごろ、トラックに荷詰めしているときに電話がかかってきて、今から行くと言われた。対応できないので1時間くらい後にしてくれと頼んだところ、11時半ごろ、搬入の最中に現れて、ケーブルを繋いでくれた。この時点でTVが映り、internetが繋がっていることを確認した。しかし、夜になって改めてネットに接続しようとすると、繋がらない。モデムが認識されない。自分で解決しようとしたがうまく行かず、翌日(12月3日)の夜にComcastに電話した。電話口でしばらく待たされた後、遠隔で操作するからしばらく待てと言われた。今日中に直るのか、明日以降になるのか聞いたところ、今日中に直る、直ったら電話するという返事が帰ってきた。そして、当然直りもしなかったし、連絡も来なかった。12月4日の朝にComcastに連絡すると、テツの担当になった人が今日は出社しないので、明日まで待てと言われた。そして、12月5日の朝、Comcastのエンジニアが部屋に来て、ようやくinternetが再開通した。モデムを交換しなければならなかったようだ。結局12月2日に引っ越して、3日後にネット環境が整ったことになる。アメリカでは早いほうかも。この3日分の料金も後日しっかり請求された。
今回の引越しでかかった経費
新アパートのadministration + application fee = $ 150.00
新アパートのdeposit = $ 50.00
前のアパートのクリーニング費 = $ 122.50
Truck rental = $ 42.26
Comcast再接続の手数料 = $ 44.61
Piedmont Natural Gasとの契約手数料 = $ 106.95
住所変更に伴う車の保険料の値上げ = $ 50.12
合計 = $ 566.44
旧アパートと新アパートの家賃差 = $ 182.00
4ヶ月住めば元が取れる。