羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

言葉の実感

2007年11月26日 14時15分27秒 | Weblog
 来年度の仕事の関係上、履歴書と業績書を書かなければならなくなった。
 今は、手書きではなくパソコンで書くことも可となった。
 
 で、業績書には著書について書いている。
「書名・単著or共著・年月日・出版社名総ページ数・概略」までつけるのだ。
 これが結構大事だった。やっと先ほど書き上げた。
 そこで履歴書・業績書を読み直してみると、野口三千三先生没後の10年間の記録であることに気づかされた。
 野口体操一色に染め上げられた10年だった。
 いや、26歳から数えれば30数年の歳月だ。
 しかし、ここ5・6年は、結果として野口体操を相対化しながら社会化してきたと思う。
 
 とにもかくにも皆様に支えられて、ここまでやってこられたことに、感謝の気持ちが沸々と湧いてきた。

 ひたすら野口三千三の価値観や身体哲学、そして野口体操を残したい一心で歩いてきた。野口先生が亡くなる10年前に始め、佐治嘉隆さんの献身的な協力を得て活動しつづけた「野口三千三授業記録の会」の記録を活かすためにも、野口体操の理論や哲学・実技を社会化するにはどうしたらよいかと、手探りしながら活動した没後の10年間だった。
 
 新しい価値を社会的に認知してもらうのは、並大抵のことではない。そのことをいちばんご存知だったのは、野口三千三先生ご自身に他ならない。私はその跡を引き継いだだけなのだが、それでもなかなかに大変だった。それだけに遣り甲斐のある10年間だったともいえる。
 
 まったく一人では何も出来ない。身近にいて支えてくださる人は勿論のこと、会ったこともない人々の存在があってこそ、価値が価値として活かされていく。そして時代の移り変わりのなかで「流れ」の方向性というものもかかわってくる。
 目に見える人や現象だけでなく、目に見えない「何か」の力に引き寄せられてここまでこられたと思っている。

 そこで思い出すことがある。
 野口先生が大病をされて生還し、再び教える場に戻られた翌年の年賀状には「お蔭さま」と記されていた。本心から衷心から、いや先生の場合は‘丸ごと全体のからだ’から発せられた「お蔭さま」だった。

 その年から佐治さんが、先生の原稿をもとに年賀状を作ってくれるようになったと記憶している。

 すでに12月まで一週間をきった。
 2007年最後に、思いがけず来し方を振り返る書類を書いているのも、何かの導きかもしれない。
 書き終わって思うことは、個として自立することも大切だが、人は人との関係のなかで活かされていくものだ、と。
‘お蔭さま・ありがとう’という言葉の重さは、年を重ねるごとにはっきりとした実感となって膨らんでいく。
コメント (2)
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