羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

もらわなかった年賀状

2007年11月30日 16時00分56秒 | Weblog
 明日は師走。
 今日までで昨年の喪中の葉書の枚数を、今年はすでに越えてしまった。
 ご高齢の親御さんをなくされた方が多い。
 85歳、90歳という年齢の方もおられる。
 私の世代は、ほとんどの方が介護を経験しているか、もしくはその真っ最中である。

 年老いた親が自分で立って歩いて、身の回りのことだけでも一人で出来るのは、すごく恵まれているのだ。
 おかげさまで春に‘脊椎骨粗鬆症椎体圧迫骨折’で、二ヶ月間患った母は、普通に暮らせるようにまで回復した。一度はどうなることかと心配したが、今のところ少しほっとしている。

 さて、12月と言えば年賀状書きだ。
 野口三千三先生のやり方に習って、私もいただいた年賀状を「あかさたな……」といった行で分けて束ねている。つまり住所録を持っていない。直接先方からいただいた賀状を見ながら、住所と名前を手書きにしている。

 最近ではほとんどがパソコンの住所録からの印刷が多い。
 でも、宛名と住所だけでも自分で書きたいと思って実行している。
 なかに一言添えることとこれだけは譲れない。

 12月も半ばになると野口先生はこつこつと年賀状書きをなさっておられた。
「今、さ行まで書き終えたところ」
 そんな電話を生前は毎年いただいた。電話をかけることで気分転換をはかっておられたのだ。
 確か80歳になられたところで、年賀状を出さなくなっただろうか。
 すっかり記憶が薄れてしまった。

 実は、高齢になってたくさんの枚数をこなすのは大事だった。
「待っていてくれる人がいるからね」 
 ふーふ~おっしゃりながら、3・4日かけて書かれておられた。
 宛名と住所だけでも野口先生手書きの賀状は、受け取った方にとっては嬉しかったに違いない。

 大晦日には、毎年、我が家で作ったおせち料理を取りにいらした。はじめのうちはお届けしていた。そのうちに先生から、取りに行きたいという申し出を受けてそうするようになった。しかし、亡くなる前の5・6年は、先生のご自宅まで、私がお届けするようになっていた。
 すると元日には、「今、いただきました」と、野口先生から早朝に電話がかかる。そのとき新年の挨拶を両親にもしてくださった。
 というわけで私は先生から賀状をいただくことがなかったのだ。
 
コメント
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