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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

11回+1の鐘

2012年03月12日 19時23分29秒 | Weblog
 2時46分、四丁目の和光の鐘が11回打ち鳴らされた。
 交差点は、人で埋め尽くされ、身動きができないほど。
 居合わせた人々は、半旗が掲げられている時計台に向かって、思いを込めて手を合わせた。
 銀座三越の前で、私も祈りを捧げた。
 復興を祈りつつ、生かされている命の重さを感じさせてくれる祈りだった。
 
 そして1分たったところでもう1回鳴らされて、黙祷は終わった。
 人々はすぐには動き出さなかった。しばらく時計台を眺めたり、写真をとったりしていたのだ。
 
 それから開店したばかりのSOFT BANKに立ち寄った。店内を埋め尽くす人・人・人だった。
 午前中に孫さんの壮大な夢の話を聞いたこもあって行ってみる気持ちになったのだ。
 夢の話は、モンゴルから日本まで、自然エネルギー発電による送電網を引く計画だ。
 自然エネルギー発電を具体化する活動に乗り出す、という。誰かがはじめなければ何も始まらない。
 
 時間の余裕もあって、有楽町まで歩くことにした。
 歩きながら、朝日新聞のオピニオンで読んだことを思い出した。
 日本はこれまで三回、震災に遭っている。一回目は関東大震災。二回目は阪神大震災。そして三回目が東日本大震災である。この三回の震災で人々の行動が顕著に変化した、という話だ。
 まず、関東大震災では、朝鮮や中国の人々への人種差別から、悲しい出来事を起こした。そして軍国主義への道を歩き始める日本だった。そのとき国民の命は、国に捧げることを当然のことと教育され、事実、その道を突き進むことになった。

 二回目の阪神大震災を機に、ボランティアの活動が定着するきっかけとなった。しかし、何事も自粛ムードが先行していった。
 
 そして今回の東日本大震災では、ボランティアの活動は勿論のこと、自粛ムードはあったものの出来るだけ普段の消費は続ける方向へと向かった。そして芸能関係者が被災地に入ったり、各地の祭りも可能な範囲で開催された。戦後の民主主義が、或る意味で成熟してきた方向をみせたのではないか、というおおざっぱだが、そうした内容だった。
 確かに。よい傾向にある。

 その上、日本はもとより、世界各地で追悼の祈りが捧げられ、鎮魂と復興の為の演奏会が催されていることが報道された。
 原発事故に対しては、政府にも東電にも、怒りを覚える。
 しかし、被災者の方々も含めて一般人と呼ばれる日本人の素晴らしさが示された今回の大災害後に救われる。
 
 寄付をするくらいしかこれと言って何も出来ない自分だが、所用で出かけた先で見知らぬ人々と祈りを捧げることが偶然にも出来て、何かが変わったような気がしている。
 11回+1の鐘の音に心を沿わせて、安全な国づくりは急務だ、と言う思いをより強くした“3・11”日曜日だった。