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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

人生八十年、戦後半世紀の資料デジタル化作業に思うこと多し!

2012年03月16日 18時57分57秒 | Weblog
 今週は、野口資料のデジタル化をすすめた。
 全体の三分二くらいは出来ただろうか。
 没後の分が残っているが、はっきり一つの山を越えることができた安堵感を持てた。

 野口三千三、享年八十三歳。
 戦後だけでも半世紀を超えて「野口体操」を、十全に生きた先生だった。
 とりわけ芸大を六十七歳で退官してからは、体操三昧の日々を送られた。
 資料は、1949年(昭和24年)から亡くなるまで四十九年間。
 さらに没後の資料も含めての整理だから、簡単には終了しなくて当然といえば当然のこと。

 中身は、ご自身が書かれたものと、月刊誌や週刊誌等々の取材を受けた記事など、多岐にわたっている。
 本日、デジタル化したなかに懐かしい資料を発見した。
《1977年3月2日(昭和52年、野口63歳)『第9回 キリンファミリースポーツ講演会』場所は、有楽町・朝日講堂 講演『野口体操―西洋体操とは違う日本が生んだ体操』》
 リーフレットの隅に、「抽選番号333」とあった。応募して当選した証拠だ。
 体操をはじめてまだ日が浅い頃で、何も動けない状態だった。
 ステージ上の助手は池田潤子さんがなさっていたが、細身の体つきで非常に若く可憐に見えたことが印象に残っている。
 彼女は事前に用意されていた“もの”を、順番に手渡していらした。
 明るい雰囲気のなか、先生は話し、そして動き、はつらつとした姿が昨日のことのように思い出される。
 講演する方が、もうひとりいらして、二人目の登壇が先生だったのだ。
 会場はびっしり埋まっていて、熱気が伝わってきたことを記憶している。

 早春の肌寒い夜、35年前のことだ。
 これまでデジタル化した資料を、パソコンに記録している作業は、半分くらい終わった。
 打ち込み作業をしながら、さまざまな記憶がよみがえって、なかなかに楽しい。正直、ちょっと疲れますが!