短刀 長舩忠光
短刀 長舩忠光永正九年
ちょっと磨り上げられていて光の字が失われている。永正頃だから、総体に比較して茎が長かったものだが、区送りによりさらに長くなったことから切り縮めたのであろう。身幅が狭いことから鎧通しとされたに違いない。地鉄は板目肌が地景によって綺麗に立って現れている小板目鍛え。刃文が互の目の連続に砂流が掛かり、帽子は小丸に返り、区まで棟焼が連なっている。棟焼の中にも小互の目が交じっており、かなり特殊な出来。もう一つ、忠光には直刃が多いことから直刃が得意であることは理解しているのだが、互の目乱も優れたものを遺していることがわかる。
短刀 長舩忠光永正九年
ちょっと磨り上げられていて光の字が失われている。永正頃だから、総体に比較して茎が長かったものだが、区送りによりさらに長くなったことから切り縮めたのであろう。身幅が狭いことから鎧通しとされたに違いない。地鉄は板目肌が地景によって綺麗に立って現れている小板目鍛え。刃文が互の目の連続に砂流が掛かり、帽子は小丸に返り、区まで棟焼が連なっている。棟焼の中にも小互の目が交じっており、かなり特殊な出来。もう一つ、忠光には直刃が多いことから直刃が得意であることは理解しているのだが、互の目乱も優れたものを遺していることがわかる。