短刀 長舩祐光
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短刀 長舩祐光永禄八年
七寸五分、元幅七分六厘、重ね二分七厘だから、厚手の鎧通しだ。地鉄は縮緬状に細やかに揺れる板目肌で、地景により肌目が立っているにもかかわらず総体に均質である。直状の映りが立ち、質は特に優れている。刃文は細直刃で、堅い鎧の隙間から用いることを想定したもの。面白いのは、祐光の銘。祐光は勝光や宗光の父として知られている。この祐光は茎に五郎左衛門尉清光の子と記されている。即ち祐光の古銘を復活させようと考えたもの。祐定と清光の二大流派が隆盛の時代、このような長舩鍛冶の多くの刀工は、祐定家や清光家にのみ込まれていたのであろうか。
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短刀 長舩祐光永禄八年
七寸五分、元幅七分六厘、重ね二分七厘だから、厚手の鎧通しだ。地鉄は縮緬状に細やかに揺れる板目肌で、地景により肌目が立っているにもかかわらず総体に均質である。直状の映りが立ち、質は特に優れている。刃文は細直刃で、堅い鎧の隙間から用いることを想定したもの。面白いのは、祐光の銘。祐光は勝光や宗光の父として知られている。この祐光は茎に五郎左衛門尉清光の子と記されている。即ち祐光の古銘を復活させようと考えたもの。祐定と清光の二大流派が隆盛の時代、このような長舩鍛冶の多くの刀工は、祐定家や清光家にのみ込まれていたのであろうか。
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