石瀬地区の石仏の写真撮影に同行・・これは地元の歴史愛好家の自宅に保存されている壁掛け型の道祖神。
年末になると長男がこの像を清めるしきたりであったそうだ。
その庭に鎮座していた道祖神・・このいわれが中々で、司馬遼太郎の「峠」に登場する幕末の長岡藩医師、小山良運をここ石瀬の地に匿った山田新太郎楼(遊郭)の屋敷神として祀られていたものとか。
今はこの家で守られていて、供えられている穴の開いた石は縄文期のもので「キンカサマ」と呼ばれ耳の神として信仰されているそうだ・・山沿いの畑からは土器が今でも出て来ます。
いくつかの地蔵はこれも新太郎楼の屋敷地蔵ではないかと言われ、遊女が客と別れる場所に建てられていたらしい(遊女地蔵と伝えられているそうだ)
県道の矢川放水路の橋柱に近年設置された道祖神というよりも芸術的な彫刻で、信仰とは関係ない様です・・橋の両脇に同じものが四体有るのできっと機械掘りでしょう。
地元の昔話”お杉とお松の伊勢参り”に登場する巨大な杉の木。
話の中の松は既に枯れてしまって現在は子孫でしょうか新しい松が植えられている・・良寛の”田中の松”の石碑が脇に建てられています。
*写真は石瀬側の石碑で近くの丸小山公園(岩室側)にも同じ石碑が有るのです・・片方が本家?で、もう片方は総本家? とにかくややこしい話です。
巨大杉からほど遠くない山裾の五輪塔・・はっきりとした事は不明だが、南北朝時代の南朝方の小国政光の墓と言う説が有力とされている。
南朝と北朝?・・昔習った気がします、アメリカの南北戦争よりはるかに古い話です。
国の重要文化財”種月寺”の本堂の奥の開山堂に祀られている「霊石 火防石」・・普段は本堂の奥の為見ることは出来ません。
龍の姿を思わせる紋様が浮かび上がっているのです・・特別にお願いして来月のまち歩きの際には見ることが出来ます。
種月寺の寺宝「火防石」(かぼうせき)は寺を建てる敷地を一夜にして造成してくれた竜神から授かったとされる石で「竜神石」とも呼ばれている。
雨乞いや火伏せにご利益があると伝えられている。 新潟名刹紀行より
*文章は歴史愛好家の資料を参考及び引用しています。
途中・・続きます
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