のぶまさのヒザシマツヤマ(申松山)備忘録

日差しあふれるわが街、東松山を
日を串刺ししてる字「申」をあて
申松山でヒザシマツヤマと褒めたたえています

こちらも10周年

2022年10月02日 07時16分05秒 | スカルプ日記

2012年の9月末に『真・スカルプ日記はじまる』というブログを書きました。
それによると、
いよいよ本命、真打ち登場

U-MAシャンプー
2回ほど使いましたが、今までのスカルプシャンプーとは、ちっと違うようです。

いままでは、洗髪してすすぐと、髪の油が全部取られてしまったような感触で
リンスしないと、危険!って思いましたが、
U-MAは、馬油だからでしょうか、洗っても脂分がのこるような触感です。

脂性の頭の私には・・・
脂がのこってても大丈夫なの?
ちょち心配ですが・・・

これが、おそらく最後のスカルプ日記・・・
無くなるまで、亡くなるまで経過観察してみましょ。

新から真へ
真スカルプ日記の始まり・・・


今時で言えば、『シン・スカルプ日記』でしょうが・・・(^-^;
UMAシャンプーは、それから10年、今も使わせてもらっています。
2013年に旅立った親父が、ちょんまげなしの月代状態でしたので、
そのY遺伝子を直接引き継いだ私も将来は月代かと覚悟をしていたときに、
『ザビエル』だの『鳥の巣』だのと妻子にいわれ(T_T)
一念発起、いろいろなスカルプシャンプーを試しましたが、
3種類目のUMAにたどり着きました。

おかげさまで今は

※自撮り棒で登頂もとい頭頂を撮影してみました(^^)/

・・・かわらないかぁ(^-^;

現状維持でもいい(^_-)-☆

今年は、
日中国交正常化50周年
日中非正常化10周年
沖縄返還50周年
沖縄県と福建省の友好都市締結25周年
でしたが、
UMAシャンプー10周年
も加わりました(^_-)-☆

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はまから上がったかっぱが

2022年10月02日 05時58分40秒 | ニュース・記事

湖の中のお宝を見つけて、はまから上がったかっぱが捕まったというニュース

記事によると、
カッパ・クリエイトの社長が、ライバル「はま寿司」の親会社から転職した前後の
2020年9月から12月にかけて「はま寿司」の商品の原価などの営業秘密を不正に持ち出したとして、
不正競争防止法違反の疑いで2022年9月30日逮捕された。
カッパ・クリエイトの商品企画部長もデータを不正に利用した疑いで逮捕され、
社内のほかの幹部2人にもデータが共有されていた。
社長から受け取ったデータを部長が2人にメールで共有し、自社の商品の原価と比較していた疑い。

とのこと。

これを見て、『不正競争防止法』だから
ドラマ『競争の番人』で知ったばかりの公正取引委員会の活躍かなと思いましたが
検索してみると
不正競争防止法は、刑事罰・民事的措置が課され警察
独占禁止法は、行政による規制が中心の公正取引委員会が担当。
どちらの法律も公正な競争の実現を目指す法律。
とのこと。なるほど・・・

それはともかく。
私もサラリーマン時代には設計者としてライバル会社の製品の原価調査はよくやりました。
わが社の場合は、対象となる製品を実際に購入して
分解し、どんな部品をつかっているのか
プリント板もICに刻印されている形式名などをノートに書き込み、
回路図を想像したものです。いまでいうリバースエンジニアリング。
そしてライバル会社の設計者のレベルを思い浮かべたものです。

うわっ、さらに思い出しました。
大学の教授から『ここを受けてきなさい』と言われたのがそのライバル会社でした。
でも・・・結果として違う会社に就職したということは・・・そう、落ちました(T_T)
3人の面接官の前で、お決まりの質問に答えた後、問題を出されました。
それを後ろの黒板(当時ホワイトボードなどありません)で考えましたが、
ガリレオ・湯川博士のようにすらすら解けませんでした(T_T)
いやいや、実際、その問題が解けませんでした・・・
解が・・・Xが計算の途中で消えちゃうのでした・・・
容疑者Xの献身』、容疑者はどこ行ったってか・・・
で、結局・・・落ちました。

あとで、じっくり考えてみると、『絵画不定』もとい解が不定
Xは何でもよかったのでした。
『くそっ、そんな問題を出しやがって』というくやしい思いを覚え、
そのライバル(といっても業界1位に対して4位か5位)の会社に入社したのです。

それから『どうしてあの会社を抜いてやる!』と
いろいろな製品を設計したものです。
結局・・・抜けませんでした。

なので、ライバル会社の製品の原価調査や出願特許調査をするたびに、
もしあの時、『Xは不定です』とサラッと言えたなら、
いまごろこの製品の設計や特許を出願していたのにと
くやしいまま、設計者人生を終えました(T_T)

2008年、中国の生産工場に駐在を申し出たのは、
異国の地で設計部門を立ち上げて、いちからやり直し
やはり異国でも子会社を持つライバル会社と
競走してみたかったからでした。
あはっ、結局その夢も半ばで帰国してしまいました・・・(^_-)-☆

今回、ライバル会社同士の事件のニュースをみて
24年前を14年前を思い出しました。・・・くやしい!

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