のぶまさのヒザシマツヤマ(申松山)備忘録

日差しあふれるわが街、東松山を
日を串刺ししてる字「申」をあて
申松山でヒザシマツヤマと褒めたたえています

謝罪する方向は、それだけ?

2022年10月05日 07時18分33秒 | ニュース・記事

国葬めぐり事実に基づかない発言で出勤停止10日の謹慎』というニュース

朝の情報番組を騙ったバラエティ番組のコメンテータ役の社員が事実に基づかない発言により
会社社長さんから謹慎処分を受けました。

記事によると、
テレ朝は、平日朝の情報番組にコメンテーターとして出演する、
報道局情報番組センターの社員(59)を5日から出勤停止10日の謹慎、
同センター長と同番組のチーフプロデューサーもけん責の懲戒処分にした。
社員は9月28日放送の番組内で、『国葬に大手広告会社が関与している』と、
事実に基づかない発言を行い、番組及び会社の信用を傷つけ、損害を与えた
センター長らには管理監督責任を問うた。
定例記者会見で篠塚浩社長は、大手広告会社側に謝罪したことを明かした。


叱られちゃいましたね(^_-)-☆
やっぱ、お得意様への暴言はいけませんネ。・・・ん?

5日から10日の出勤停止って、土日祝日含んでいるんですかね?
出勤停止のあと番組に復帰する予定とのこと。
土日祝日含んで10日なら14日までなので番組復帰は17日
土日含まず10日(テレビ局なので祝日は出勤として)なら18日までなので番組復帰は19日
どちらか楽しみです(^_-)-☆

聴いたところによると、夏休みが残っているようなので
それの消化でしょう。
『夏休みだと思って、ほとぼりが冷めるまで・・・』
とでも言われ説得されたのかもしれませんね。
※あくまで個人の予想です。

本人も来年は定年、かつて『それで会社人生はいい。』とおっしゃっていますから
定年後は、お得意様に媚びず、歯に衣着せぬフリーのコメンテーターとして
ご活躍を期待します。・・・ん?

今回のコメントは、前首相の弔辞の文面に対してでしたが、
・・・前首相へのお詫びはしないんですね"(-""-)"


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが社も30年

2022年10月05日 06時34分52秒 | ニュース・記事

先月末に『日中国交正常化50年』というニュース

記事によると、
1972年に日本と中国が国交を正常化して29日で50年。
当時の両国のGDPは中国1136億ドルに対し、日本は3180億ドル。
高度成長期を経てアメリカに次ぐ世界2位の経済大国となっていた日本との経済力の差は歴然だった。が、
1978年10月に鄧小平(当時、副首相)氏が来日し、日本企業の工場を視察・経済人との面会をきっかけに、
「改革開放」を国家目標に掲げ、中国は市場経済化に大きくかじを切った。
それから、
1988年 日本企業の中国進出による対中直接投資が進み、中国のGDPは10年間で2倍近くに伸びた。
1991年 海部総理大臣の訪中で再び中国への投資熱が高まり、
2001年 中国はWTOに加盟し、「世界の工場」としてめざましいを発展を続けた。
2008年 リーマンショックの際の中国政府の4兆人民元(当時のレートで50兆円)の経済対策が
     各国から大きな期待を集め、中国経済は一段とその地位を高めた。
2010年 中国の貿易額は2000年から10年間で3倍以上に拡大。
     日本の対中国貿易額は、対米を上回り、中国が世界最大の貿易相手国となった。
     同時に日本のGDPは中国に抜かれ、中国に「世界2位の経済大国」の地位を明け渡した。
     日本政府の中国観光ビザの発給要件緩和で、中国で日本旅行ブームが訪れ、「爆買い」という言葉も生まれた。


その記念式典に、羽生くんが一生懸命中国語でスピーチしていました。
なつかしい・・・
私もあんなふうでした。

私が勤めていた会社も早くから中国に進出し、
1993年と2003年に2つの兄弟関係の合弁会社を設立していました。
私は2007年あたりから兄の会社(販売プラス一部生産)に何度か出張し、
2009年に弟の会社(生産)に2013年まで駐在することになりました
駐在1年目には、中国でリーマンショックの不況を経験し、
2年目には、中国が祖国を抜きGDP世界2位になりました。
そして2つの会社の設立20周年と10周年の年でした。

わが社も(もう退社しましたが)、来年で中国進出30年になります。

経済面では、深い交流があった国ですが、「政冷経熱」、
外交面では冷え込んでしまいました。
2010年に尖閣問題が勃発し、2012年日本の国有化決定で
大規模な統制されたデモもありました。

私が住んでいたアパートのエレベータに

保釣行』という謎の中国語が書かれ、尖閣の島は『釣魚島』なので、
『釣』と言う文字にビビったこともありました。

でも、無事に帰ってくることができました。

その問題は、今も続いているし、ここ2年の流行り病対策もあり、
すでに退職してしまった今は、弟会社がどうなっているのか
弟会社のお世話になった中国の人たちがどうしているのか
とても心配です。

今年は
日中国交正常化50周年
日中非正常化10周年
沖縄返還50周年
沖縄県と福建省の友好都市締結25周年
UMAシャンプー10周年

ですが、来年は
兄の合弁会社設立30周年
弟の合弁会社設立20周年
中国駐在終了10周年

に当たります。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする