「音楽は呼吸しているのだ」
昨晩のピーター・ウィスペルウェイのリサイタルから感じた第一の感想。その一週間前にアンサンブルで素晴らしい演奏を、そしてマスタークラスでは充実したレッスンを披露してくれた彼。そんな彼がチェロ一本で演奏を披露してくれるのだ。曲目は以下の通り無伴奏の名曲集の勢揃い。
レーガー 無伴奏チェロ組曲第2番 ニ短調 Op.131c No.2
バッハ 無伴奏チェロ組曲第6番 ニ長調 BWV1012
休 憩
レーガー 無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 Op.131c No.1
バッハ 無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV1009
レーガー(1873~1916)はドイツ後期ロマン派の作曲家で、バッハの影響を多大に受けた人である。彼の無伴奏チェロ組曲は聴いたことはなかったが、オルガン曲をottavaで聴いたとき、なんと壮大で魅力的な曲なのだろうと感じ好印象を抱いていた。そしてさらに最近知った事実はワーグナーのオペラ、トリスタンとイゾルデの「イゾルデの愛と死」をレーガーはピアノ曲に編曲していてその演奏が素敵だということ。リスト編曲の演奏でこの曲を知った私としては非常に親近感を覚えた。
そんなレーガーの無伴奏チェロ組曲。いきなり哀愁に溢れたバッハらしい雰囲気の出だしだが、半音階やジプシーのようなところが次々に出てきて、音楽に没入するのはこわいけれど没入しないと弾けるようにならないだろうと思えるところがたくさん。ウィスペルウェイは音楽の中にすっかり入り込んでいるように見えた。その後の曲も、解説には20世紀初頭と書かれているが、もっと古い時代の曲としてとらえてもいいのではないかと思えそうな曲がたくさんあった。初めて聴いた人はバロック時代の曲だと思う人も多そうだ(弦楽器に詳しくないから一概にそうとは言えないかもしれないが)
いけない、曲の解説になってしまっていた。彼の演奏やチェロについて書きたいことがたくさんあるのに。
弓を右から左に左から右にと擦って音を鳴らすチェロ。しかし彼は弓の擦り方を曲に合わせたものにしていた。おおざっぱな見方かもしれないが、プレリュードのような華やかな曲、ブーレ、ジーグのような快速な舞曲など、動きやスピードのある曲では右下から左上へ擦り付けるところと、左下から右上へ擦るところとを、明確に分けていた。拍頭は右下から左上で強く擦り付け、そしてそれ以降は左下から右上へゆるやかに擦るようなところが多いような気がした。曲の構造にあった弓捌きをしているような気がしたので、楽譜を見ながら聴いたらさらに面白いのではないか、と思った。その一方でラルゴのようなゆったりとした曲では、左から右へ右から左へと弓を弦から離さない状態を長く長く保ちながら美しいレガートを作り上げていたような気がした。弓を弦からつけたまま長い音を保っているとき、彼の呼吸はどうなっているのだろうかと思った。かなり長い息で演奏しているに違いない、少しでも下手な息をして右手がぐらついてしまうと、あのレガートはもろくも崩れ去ってしまうだろうだから。弓を動かしながらも一定の角度で支えるためには肩や腕の力が相当いりそうな気がした。
音楽の構造と弓の動かし方とに関連性がしっかり感じられたのがすごいと思った。弓の動かし方については楽譜には書かれていないようだから、曲の研究への成果が見られたのでは。
右手の弓だけではなく左手の指もかなりさまざまなことをしていたと思う。微妙な音程をぴったりと調節するために強さや角度も曲に合わせて変えていたのではないかしら。ちなみにチェロを習われている方の話によると、音程を作るのは左手、そして右手では音色とリズムということだが。あれだけの動きをする右手の弓で弦を擦りつけてもぐらつかない音程を保つためには、左指で弦をしっかり押さえないといけないだろう、こちらは指の力がかなりいりそうだな。その抑える細かい位置や角度によって、音程がかなり変わるということだから。
それからチェロは単音楽器のはずだがとんでもない。遠くの音、近くの音が明確にあり、立体的な建造物のようになっていた。直線的に遠近の線引きがされているところもあれば、ゆるやかに遠くから音が近づいてきたり、近くから音がどんどん遠ざかって行ったりと、遠近感がたくさんあった。しかもそれが彼を取り巻く空間からダイレクトに伝わってきたのがすごいと思った。楽器を取り巻く立体的な音空間があらゆる感覚器から感じ取れるなんて、なんていうことだ、もう。ちなみにレーガーには「フーガ」なんていう曲もある。単音楽器ではフーガなんかできないはず。確かに音数は鍵盤楽器のフーガよりは少なかったが明らかにこの曲はフーガだった。
バッハの無伴奏組曲は非常に難曲で高度な技術を要するものなのだそうだが、それぞれの組曲の味わいが感じ取れる演奏に思えた。音が開いたり閉じたり反り返ったり丸まったりと多種多様、音楽のベクトルに合わせて音の方向も多彩に変えていて聴いていて楽しかった。音程的に難しいところも本当にたくさんあるだろうなと思った。左手の指も的確な位置を押さえるのは並大抵ではないだろうにものすごい快速で微妙な位置の調整をとりながら音程をとっていたところもあった。鍵盤楽器ではあまり感じなくてもすみそうな音程への責任を伴うというのは相当なものだろうと思った(だから鍵盤楽器はもう一つの旋律や伴奏が必要なんだと思う)チェロでは左手を弦から離すこともあるのですね、それには驚いたが、開放弦といって実際の演奏でも行われるらしい。
彼には演奏を通して「こうしたい」ということがはっきりしていたような気がした。だから演奏から伝わってくるものもダイレクトで大きかった。メッセージをすべて受け止めきれたとはいえないかもしれないが、それでも、多くのものを彼から受け取ることができたと思った。疲れていただろうにサイン会でも笑顔で話を聞いてくださった。本当に彼の生演奏を聴けてよかった。また来日した折にはぜひ演奏を聴きに行きたいと思う。