いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

開国記念博物館で新たに気になった三名

2012年05月02日 | 気になる場所、風景

 今日は開国記念博物館に行きました。開国時に函館とともに開港された下田。開国にまつわる貴重な資料が豊富においてあり非常に面白かったです。ペリー、ハリスなどの開国時の主要人物については言うまでもないのですが、今回特に気になった人物が以下の三人。(Wikiから引用しています。)

斎藤きち(1841~1890年) 下田一の人気芸者。米国から来日し精力的に外交を行っていたハリスが領事館で体調を崩したため、ハリスの通訳ヒュースケンがハリスの世話をする日本人看護婦の斡旋を地元の役人に依頼したところ、看護婦の概念が分からない役人は妾の斡旋以来だと判断し、きちに候補があがった。婚約者のいた彼女は固辞したが、幕府の執拗な説得に折れハリスのところに出向くことになった。しかし幕府の思惑を見抜いたハリスに結局3日で解雇された。当時の日本では外国人に身を任せることに偏見があったため彼女は「唐人お吉」とよばれ侮蔑の目を向けられ、酒におぼれてしまったという。

下岡蓮杖(1823~1914年) 日本で最初に写真技術を学んだ人物。幼いころから絵を好んだ。オランダ船のもたらした銀板写真に感銘を受け、来航する外国人から写真の技術を学ぼうとしたがうまくいかず、結局横浜開港の談判のためにハリスの通訳であったヒュースケンから技術を学んだ。当時の日本では写真は、姿かたちをそのまま再現するので撮影すると寿命が縮まるといって嫌われていたが、次第に迷信はなくなった。博物館には彼が命がけで撮影した江戸城の写真が掲示してあり、当時の苦労がしのばれた気がした。日本での写真の祖であり、ベンチャービジネスの先駆けの人物とも言われているそうだ。(リンク先のサイトより)ちなみに横浜の馬車道に「下岡蓮杖顕彰碑」があるという。ぜひ行かなくては。彼の生誕祭も横浜であるというし。

ヘンリ・ヒュースケン (1832~1861年)アムステルダム生まれのオランダ人で、玉泉寺に設置された駐日アメリカ総領事館の通訳。アメリカに渡航すると、英語だけでなくドイツ語、フランス語もできるという語学力をハリスに買われ、通訳として日本に赴任した。ハリスの看護婦の斡旋を依頼したり、下岡蓮杖に写真の技術を伝えたりもしているし、日本に深い理解を示していた人物であった。しかしプロシア使節と日本人側との通訳として通っていた赤羽根接遇所からの帰り道、刺客の一団に襲われ若くして亡くなってしまった。

 日本の開国、いや、歴史上で重要な役割を果たしながらも歴史の教科書には出てきておらず(実は高校の日本史には出てきているかもしれませんね)恥ずかしいことに今まで知らなかったこの三人に心動かされた今朝のひととき。本も出ているみたいなので読んでみようかな。

 その後水族館に行ったのですが、横殴りの雨がどんどんひどくなり交通面でも心配になってきたので、少し残念だったのですが、帰る時間を繰り上げて早めに帰りました。


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