ガリラヤ湖 | |
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所在地 |
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166 km2 |
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周囲長 |
53 km |
最大水深 |
43 m |
水面の標高 |
海抜 -213 m |
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ガリラヤ湖は、イスラエル北部地区に位
置する、国内最大の湖である。周囲53キ
ロメートル、南北に21キロメートル、東
西に13キロメートルの大きさであり、166
平方キロメートルの面積を持つ。最大深
度は43m。海抜マイナス213mで、湖として
は死海につぐ海抜の低さを誇る。ローマ
帝国統治時代に用いられた呼び名に由来
する「ティベリアス湖」とも呼ばれる。
イエス・キリストゆかりの場所としても
有名。
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琵琶湖と比較すると(1)面積比:0.25 (2)
周囲長比:0.22 (3)最大水深:0.42 (4)
標高差:▼105.7m 伝統的には「ガリラヤ
の海」など「海」と呼ばれることもあっ
たが、琵琶湖と同様に淡水湖であるがか
なり小さい。ガリラヤ湖という名前は湖
があるガリラヤ地方に由来している。近
代ヘブライ語で竪琴に似ているため「ヤ
ム・キネレット」 と呼ばれ竪琴を意味す
る「キノル」に由来している。新約聖書
の『ルカによる福音書』では「ゲネサレ
ト湖」とも呼ばれている。ゲネサレトと
は湖の西側にある平原地帯の名であった。
アラビア語では「ティベリアス湖」とい
う意味のアラビア語に置き換えた「ブハ
イレット・タバリヤ」という名前で呼ば
れた。旧約聖書の『民数記』『ヨシュア
記』では『キネレト湖』とも呼ばれてい
る。
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ガリラヤ湖の水は地下水とヨルダン川に
よって得られている。ガリラヤ湖はアフ
リカとアラビアのプレートの境界である
ヨルダン大峡谷帯という谷の中にある。
このような地質学的特質から湖一帯は長
きにわたって地震と火山活動の影響を受
けてきた。この事実は周辺にみられる多
くの火成岩や玄武岩からもわかる。ガリ
ラヤ湖は谷底にあり、東西を高地に挟ま
れた形になっているため、しばしば強烈
な風が湖に吹きつけてくる。福音書で、
ガリラヤ湖に出たイエスが嵐をしずめる
場面があるのはそのような理由による。
また、ガリラヤ湖では多くの魚がとれる
が、特にティラピアという魚がよく取れ
る。この魚は、使徒ペトロがガリラヤ湖
の漁師であったという福音書の記述にち
なんで「聖ペトロの魚」とも呼ばれる。
ガリラヤ湖周辺は古代以来、交通の要衝
であった。湖がエジプトとヨーロッパを
結んでいたマリス街道と呼ばれる道筋に
位置していたため、その周辺にはギリシ
ア人やハスモン朝の人々、あるいはロー
マ人たちが数々の都市を築き、栄華を誇
った。それらの都市の中で有名なものに
ガダラ、ヒッポス、ティベリアなどがあ
ったといわれる。
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1909年、ユダヤ人開拓者たちが入植し「
キュツァト・キネレット」の最初の共同
農場(キブツ)をガリラヤ湖畔に起こし
た。やがて最初の共同農場から「キブツ・
デガニア・キネレット」が生まれ、ここ
が後のキブツのモデルとなった。そこで
は有名な詩人ナオミ・シェメルが生まれ
たことでも知られている。 1923年、大
英帝国とフランスの間で協定が結ばれ、
パレスティナの英国委任統治領とシリア
のフランス委任統治領の境界が確定した。
英国はゴラン高原をフランスに譲る代わ
りに北ヨルダン渓谷を受け取った。後に
この境界線はヨルダン川両岸とガリラヤ
湖全域がパレスティナに含まれるよう
変更された。1947年に国際連合が示した
分割案ではこの地域はユダヤ人地域とさ
れている。 1948年のイスラエル建国に
よって勃発したイスラエルとアラブ諸国
の抗争(第一次中東戦争)では、シリア
がガリラヤ湖の北岸を占領した。1949年
の停戦協定ではガリラヤ湖北岸は非武装
地帯とされたが、1967年の第三次中東戦
争(六日戦争)ではイスラエルが武力に
物を言わせてガリラヤ湖全域とゴラン高
原を制圧した。 イスラエルは1964年に
ガリラヤ湖畔に国立給水センターを建設
し、国内の主要な地域に飲料水の供給を
行う設備を完成させた。しかし、ガリラ
ヤ湖から大量の水をくみ上げたため、水
位が著しく低下することもあった。現代
では、ガリラヤ湖畔は再び観光地として
の賑わいを取り戻している。歴史の荒波
を乗り切って存続した古都ティベリアに
は国内外から多くの観光客が訪れている。
また、イエスの時代と変わらず漁業が営
まれ、湖岸ではバナナの栽培なども行わ
れているという。
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【水辺と宗教】
「水が欠乏している風土、つまり砂漠に
生きる人々にとって、唯一価値のある源
泉は地上にはない。地上には何もない砂
漠だからこそ、天上の彼方に唯一の絶対
価値を求めるようになる。一神教の風土
的背景というのは、まさにここにある。
これは理屈ではない。行ってみたら実感
として分かる。水の有無というのは、そ
こに住んでいる人間の信仰から死生観、
自然観から美意識まで、何から何まで方
向づけている決定的なも。水は人類の文
化や文明のもっとも根底に横たわってい
るものではないか」とイスラエルを旅行
した宗教学者の山折哲雄は、インタビュ
ーで応えている。「今から 2千年~2千5
百年前、人類を救済するための優れた思
想・宗教というものは、砂漠化している
風土の中から生まれたのです(中略)そ
ういうことを、最近の環境論者は忘れて
いるのではないかと思います。日本は水
や森が豊かにありますが、そういう森と
水の風土からは、歴史的にいえば真に創
造的な人類を救うような骨のある思想は
出てこなかった。ですから日本は、いつ
までたってもモノの輸出しかできない。
この豊かな、飽食に慣れきった日本とい
うのは、本当の意味で豊かになれないの
ではないか。もっと砂漠化が進んで、そ
の困難を引き受けるような生き方をしな
ければ、いつまでたっても甘い環境論の
域を出られないのではないかと思ってい
ます」「われわれの神道の伝統は、その
ような可能性を持っていると思います。
今から一万年以上前に遡れば、キリスト
教も仏教も存在していない。『万物に命
あり』という原始神道的な信仰だけが存
在していたはずです(中略)現代の日本
人がイメージする神道のいけない点は、
国家と結びついてしまうこと。国家と結
びついた時に、原始神道的な感覚は堕落
してしまう。そういう危険性、弱さが本
来的にあります。ですから、文明の側で、
それをよく自覚していないといけない」
「涙は水でしょう。その涙はきわめて人
間的なもので、しかも根元的なものに通
じているという気がしますね。毎日の生
活で涙を流すことなしには生きていけな
いという、そのわれわれ自身の体験に戻
らないといけないと思いますね。そこを
きちんと見つめることが、水の根元的な
問題に目を向けるという今日的な問題に
もつながる」と述べている。
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【エピソードⅠ】
この様に、物理的な側面と人文的な側面
関係を考えると様々な興味が湧いてくる。
話はかわるが、当会の中心メンバであっ
た故・田中豊一氏がスナックの経営をは
じめた25年前に店の名前の相談を受けた
ので「美味しい水」としてはどうかと提
案していた記憶がある。その時、ウイス
キ用の水は世界の湖の水を使ってみては
どうか、そのためにわたしが世界の湖沼
を採って周って来るよと半ば真剣に話し
ていたこともあった。そんこともあり、
『世界の湖沼』『日本の湖沼』を旅する
あるいは考察する記録を残することで水
辺の生活思想を深耕させてゆきたい。
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※出典:フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』
脚注及びリンク集
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(1)「世界の大湖沼」
(2)「世界湖沼会議」、財団法人 国際湖沼環
境委員会
(3)「世界の湖と琵琶湖」