【邪馬台国時代の鉄器工房遺構】
● 鍛冶工房群・大型建物の遺構確認
10月17日、彦根市教委は、市内の「稲部(いなべ)
遺跡」(同市稲部、彦富両町)で弥生時代終末から古墳
時代初め(3世紀前半)の鉄器工房群の遺構が見つかっ
たと発表。同時代では他にない規模という。大規模な建
物の跡も確認された。当時、鉄製品の原料は大陸からの
調達に頼っており、同時代の邪馬台国について記した中
国の史書「魏志倭人伝」で、大陸と交易があったとされ
る「三十国」のうちの一つともみられるという(毎日新
聞 2016.10.17)。
この記事によると、鉄器工房は30棟以上ある竪穴建物
群で、各棟は一辺3.5〜5.3メートルの方形。うち
23棟の床面から鉄片や鉄塊が見つかった。一部に土な
ども含んだ状態だが、全体の重さは計約6キロに上ると
いう。同時に鍛冶や鉄を加工する際に使ったと思われる
台石や、鉄製矢尻2個なども見つかった。国内には当時、
製鉄技術がなく、鉄の延べ板を朝鮮半島から取り寄せ、
武器や農具、工具を造っていたと考えられる。
、
一方、鉄器製造が始まった直後に大型の建物が現れた他
鉄器製造が終了した3世紀後半には、一辺十数メートル
規模の大型の建物2棟が相次ぎ出現。首長の居館や巨大
な倉庫として利用され、他の国との物流拠点だった可能
性があるとしている。邪馬台国畿内説の有力候補地とさ
れる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)では、より
大規模な同時代の建物跡が確認されている。
「魏志倭人伝」では、倭人は現在の韓国・ソウル辺りに
あった帯方郡の東南の大海の中にいて、もとは「百余国
」あったが、同書が書かれた3世紀には「使訳(使者や
言葉)通ずる所三十国」と伝えている。福永伸哉・大阪
大教授(日本考古学)は「稲部遺跡は東西日本の結節点
にあり、近江勢力の大きさを物語ると共に日本の国の成
り立ちを考えるうえで貴重」と話す。
また、18日の朝日新聞によると、滋賀県彦根市の稲部
遺跡で弥生時代末(3世紀初め)~古墳時代初め(同中
ごろ)の鍛冶工房群や大型建物の遺構が確認された。市
教委が17日発表した。建物は何度か建て替えられたとみ
られ、邪馬台国の時代からヤマト政権の成立期にかけて、
この地域の拠点的な集落だったと推定している、と報じ、
この遺跡では1981年に発掘調査が始まり、直径数百
ぴの範囲内に弥生時代後期(2世紀ごろ)~古墳時代中
期(5世紀ごろ)の遺構が発掘されている。古墳時代初
頭ごろとみられる30棟以上の竪穴建物跡からは、鉄の
破片や鉄を加工する際に出る不純物の鉄滓が計約6キロ
見つかった。この時期では国内最大規模の鍛冶工房群と
考えられるという。
琵琶湖東岸は強力な地域勢力があった近畿、東海、北陸
を結ぶ水陸交通の「結節点」。福永伸哉・大阪大教授(
考古学)は「稲部遺跡は近畿と東海両勢力の間で独自の
スタンスを取り、日本海側から鉄素材を入手するルート
を確保していた可能性がある」と話す。また、古墳時代
初期ごろの大型建物(推定面積約188平方メートル)
とみられる跡もあったといい、首長の邸宅や倉庫などに
使われた可能性があるという。その後に大型倉庫(同約
145平方メート)に建て替えられていたという。
● 現地説明会:22日午後1時半〜午後3時。小雨決行。
【脚注及びリンク】
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- 御稲部遺跡:大規模な鉄器工房遺構 「邪馬台国」
時代 毎日新聞 2016.10.17 - 鉄器工房群発見に「邪馬台国時代とは…」毎日新
聞 2016.10.17 - 稲部遺跡で鍛冶工房跡 邪馬台国期の拠点集落か
朝日新聞デジタル 2016.10.18 - 稲部遺跡から巨大建物跡を発掘 NHKオンライ
ンニュース 2016.10.18 - 彦根市埋蔵文化財調査報告 稲部遺跡 発掘調査
概要報告書 2011.01.30 - 邪馬台国時代、彦根に一大勢力存在か 稲部遺跡
で国内最大級の建物跡、鍛冶工房跡出土 産経ウエ
スト 2016.10.17 - 稲部西遺跡で現地説明会 しが彦根新聞 2013.11.23
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