● 稲部遺跡の現地説明会に千人来場
彦根市稲部町と彦富町にかけての稲部遺跡で22日、現
地説明会が行われ、市民や県外の考古学ファンら計約千
人が訪れた。市教委文化財課の発掘調査により、稲部遺
跡が弥生時代から古墳時代にかけての大規模集落跡で、
国内最大級の鍛冶工房や巨大倉庫、首長の居館跡などと
みられる遺構が確認された。
要な遺構」と確認された。ただ、稲部遺跡の発掘調査は
市道芹橋・彦富線の道路改良工事に伴って実施されたた
め、今後は保存か市道整備かの調整協議に入る。
稲部遺跡周辺での市道の整備範囲は約800㍍で、市は
2010年から用地買収を始めており、市道路河川課に
よると、これまでに63%の買収を終え、事業費としてす
でに約1億5500万円(2015年度末)使っており
整備完成時期は平成31年度内を目指す。
一方で文化財課は稲部遺跡の第7次調査をしていた今年
から、道路河川課に対して「相談していた」といい、遺
跡周辺の道路計画の見直しを暗に求めていた。文化財課
の担当者は、稲部遺跡の保存と市道の整備、どちらも実
現できる着地点の模索にはいる。
稲部遺跡が重要な遺構だった報道を受けて、今後は「保
存」に向けた動きがあるとみられるが、道路河川課の担
当者は「まだ協議を始めるかどうかもわからないため、
こちらとしては計画を着々と進めるしかない」としてい
る。専門家からは「邪馬台国時代の国家形成の有り様を
考える重要な遺跡なため、抜本的な保護対策を早急に講
ずるべきで、保存と活用の要望がある(奈良県立橿原考
古学研究所共同研究員森岡秀人談)。今後は保存に向け
た議論が広がるのは必至、最終的には市長判断が必要と
される。
【エピソード】
● 稲部遺跡発掘調査現地説明会>が開催されました
10月22日(土)、彦根市稲部町・彦富町にまたがる
稲部遺跡で、発掘調査現地説明会が開催され、県内外か
ら約千人が参加しました。稲部遺跡は、平成25年度から
実施された調査で発見された、2世紀~4世紀(弥生時
代後期中葉から古墳時代前期)の大規模な集落跡です。
中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場する邪馬台国と同時
期に栄えた国とされています。
彦根市
調査地は標高約 90.00m 前後の旧愛知川の微高地上に
あたり ます。 微高地の北には旧愛知川である 文緑川
が、やや南には同様に旧愛知川である 来迎川が流れて
いますの 周辺では弥生時代後期から 古墳時代前期の
遺構が密集て分布しています。
稲部遺跡と 稲部西遺跡を含む稲部遺跡群は 昭和56年
(1981) の宅地造成工事に伴ってはじめて調査されま
した。その後、平成25年 (2013)から開始された市
道改良工事に関わる 調査において独立棟持柱建物 大
型建物、方形区画、 金属器工房などが発見され 、現
在までに 180棟を超える 竪穴建物が検出さ れていま
すが、第6次調査で大型建物棟が、第7次調査で大型
建物棟、超大型建物2棟、大規模な鍛冶工房群が確認
されたことにより、稲部遺跡群の全体的な遺構の変遷
が明らかとなりました。また、稲部遺跡群調査指導検
討会(平成28年9月7日開催)における調査成果の審議
を差て 、稲部遺跡群が 弥生時代から 古墳時代 にか
けての日本の国家形成期を 考える 上で極めて重要な
遺跡である 評価されています。
―― 中略 ――
4 ま と め
北陸や美濃・尾張などの東日本方面と畿内の大きな地
域をつなぐ 、地理的に重要な位置にある 3 世紀の近
畿北部の中心的な遺跡です。これは、大村 (奈良県) 、
伯香(鳥取県) 、越前(福井県) 湖南地域(滋賀県
南部)、美濃 (岐阜県)、尾張(愛知県)、伊勢 (
三重県)、東遠江から駿河(静岡県東部)の各地域の
土器の出土からも各地からの交渉があり 、交流の要
物流の中心地となっていることが裏付けられます。朝
鮮半島の渡来人と の関係を 示す韓式系土器も 出土して
います。
①直径数百メートル、面積約20万平方メートル、弥
生時代後期中葉(2世紀)から古墳時代中期(5世紀)
にかけて継続 する 巨大な集落です。
②0青銅器の鋳造、朝鮮半島から運ばれた鉄素材をも
とに鉄器の大規模な生産を行っており、大型建物・超
大型建物や独立棟持柱建物という首長層が居住したり 、
儀礼に使用したと考えられる建物と 区画が時代を経る
ごとに出現し、王権と の関わりによっ て政治色を強
めていく過程を示しています。
③祭杷都市・政治都市としての面を強く持ち、工業都
市としての面もあわせ持つ近江の巨大勢力・クニの中
枢部であり、3世紀の園内屈指の遺跡です。
④3世紀前半を中 心とする ヤマト政権が成立しつつ
ある時代、日本の歴史上でも非常に重要な時期の大集
落です。日本列島における倭国の成り立ちを考える上
で、今までにない極めて重要な遺跡です。
⑤3世紀の時代にとどまらず、4世紀から5世紀には 、
巨大倉庫の出現によっ て物流拠点として発展・ 継続
し、韓式系土器(三国時代・3~7世紀の朝鮮半島南
部地域から 渡来人が持ち運んだり、すでに日本に住ん
でいた人々が朝鮮半島の土器を まねて作った土器)の
出土から朝鮮半島と交流し、当時の最先端技術を渡来
人から 導入していた可能性があります。
⑥ヤマト政権との関係を前提として、荒神山古墳の築
造に関わる巨大勢力の本拠地である可能性を含め、荒
神山古墳との深いつながりをもっ遺跡です。
⑦稲部遺跡では、縄文時代後期(今から 4,500年前)
から 中世(今から 500 年ほど前)までの遺構と 遺
物が 見つかっています。 中でも、弥生時代後期中葉
(紀元2世紀)から、古墳時代前期(4世紀)にかけ
ての非常におおきな集落がみつかりました。 これは、
「ムラ」というよりも、むしろ「クニ」の中枢部のよ
うな集落で、非常に学術的価値の高いものです。
教科書にも載っている「魏志倭人伝」(中国の歴史書)
が伝える「邪馬台国J とほぼ同じ 時代の遺跡です。
「魏志倭人伝」に警かれる「倭(日本のこと)」には、
「邪馬台国」という大きな国があり、「卑弥呼」とい
う 女王がいたと書かれていることがよく知ら れます
が、 その続きには日本の中に邪馬台国の他に魏と 外
交関係をもっ三十か国があるとあります。その三十か
国のうちの一つが、稲部遺跡である 可能性が出てき
ました。ただし、まだ遺跡全体の2割程度しか明らか
になっておらず、周辺にはさらに重要な遺構が存在し
ている可能性が高いものと考えられます。大型建物や
超大型建物の上部 構造、方形区画内の遺構の解明 、
鍛冶工房群の実態とその広がり、集落の構造などにつ
いてもさらに検討していく必要があります。荒神山古
墳の築造背景や被葬者との関係についても大きな課題
です。
(説明会資料)
【脚注及びリンク】
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- 御稲部遺跡:大規模な鉄器工房遺構 「邪馬台国」
時代 毎日新聞 2016.10.17 - 鉄器工房群発見に「邪馬台国時代とは…」毎日新
聞 2016.10.17 - 稲部遺跡で鍛冶工房跡 邪馬台国期の拠点集落か
朝日新聞デジタル 2016.10.18 - 稲部遺跡から巨大建物跡を発掘 NHKオンライ
ンニュース 2016.10.18 - 彦根市埋蔵文化財調査報告 稲部遺跡 発掘調査
概要報告書 2011.01.30 - 邪馬台国時代、彦根に一大勢力存在か 稲部遺跡
で国内最大級の建物跡、鍛冶工房跡出土 産経ウエ
スト 2016.10.17 - 稲部西遺跡で現地説明会 しが彦根新聞 2013.11.23
- 稲部遺跡の現地説明会に1000人来場 しが彦根
新聞 2016.10.26 - 稲部遺跡発掘調査現地説明会の当日配布資料 2016.
10.25.23
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