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「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

1月2日に話したこと

2019-01-03 07:30:00 | 日記
夫は、相変わらず具合が悪くて、夜はリビングに寝ています。

退院してからずっとですから、もう10日以上になりますね。


ということで、私はなかなか振り子を持つことが出来ません。

いつもは、1日に替える四隅に置いた金龍さんの塩を替えないといけないので、1月2日に早く起きて替えてから、そのまま振り子を持ってみました。

塩は、昨年の9月から劣化しなくなり、リビングの塩はプラス60を指すので、必要な方に渡したりしています。


誰が話してくるのかわからないので、とりあえず、


明けましておめでとうございます。


と言うと、


明けましておめでとう。と答えてくれた神様がいました。



どなたですか?

忘れないでと言ったクナシリの神だ。
昨年は、私が言った通り利尻島に来てくれてありがとう。
北方領土のことは、解決してくれると嬉しいよ。
元々は、私は国後島(くなしりとう)にいたからな。
今は、利尻島にいたり知床にいたりするよ。
縄文の頃は、忘れてしまったかもしれないが、森の中で暮らしていたからな。
森の中で木の実を集めたり、海に行って、魚とか貝を採って暮らしていた。
熊の肉は、食べるというより毛皮が欲しかったからだ。
大地の中で人は生きていた。


私は、ずいぶん前に「イオマンテ」の話を記事にしていたと思い出していました。

🐶クナシリの神の話


改めて調べてみると、


🌟イオマンテ (iomante) とはアイヌの儀礼のひとつで、ヒグマなどの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界 (kamuy mosir) に送り帰す祭りのことである。



冬の終わりに、まだ穴で冬眠しているヒグマを狩る猟を行う。
冬ごもりの間に生まれた小熊がいた場合、母熊は殺すが、小熊は集落に連れ帰って育てる。
最初は、人間の子供と同じように家の中で育て、赤ん坊と同様に母乳をやることもあったという。
大きくなってくると屋外の丸太で組んだ檻に移すが、やはり上等の食事を与える。
1年か2年ほど育てた後に、集落をあげての盛大な送り儀礼を行い、丸太の間で首を挟んでヒグマをし、解体してその肉を人々にふるまう。



宗教的には、ヒグマの姿を借りて人間の世界にやってきたカムイを一定期間大切にもてなした後、見送りの宴を行って神々の世界にお帰り頂くものと解釈している。
ヒグマをして得られた肉や毛皮は、もてなしの礼としてカムイが置いて行った置き土産であり、皆でありがたく頂くというわけである。
地上で大切にされた熊のカムイは、天界に帰った後も再度肉と毛皮を土産に携え、人間界を訪れる。
さらに人間界の素晴らしさを伝え聞いたほかの神々も、肉や毛皮とともに人間界を訪れる。こうして村は豊猟に恵まれるのである。

北海道におけるイオマンテの儀式は1955年に北海道知事名による通達によって「野蛮な儀式」として事実上禁止となった。
2007年4月、通達を撤回している。


🌟日本神道における、「山の神・年神・屋敷神・田の神・稲の神・祖霊神」などの概念とイオマンテの概念との間には、類似性がみられる。

「山の神・年神・田の神・屋敷神・稲の神・祖霊神」は同一の存在の「豊穣神」であり、季節ごとにその名と姿と居場所を変える。
まず、山の神が、冬の新年になると、年神となって、山から麓の村(=地上=人界)に降りて来て(年神を屋敷に迎え入れる行事が「正月」=冬祭り)、屋敷神となって屋敷と一族を守り、春になると、田に出て、田の神となり、田植え(=予祝祭や水口祭や田植祭などの春祭り)が行われ、夏の間、田の神=稲の神は、稲を見守り育て(お盆=夏祭り)、秋になると、田の神=稲の神は豊かな実りを齎し、神霊(稲霊)の宿る稲が収穫され、収穫祭(=秋祭り)が行われ、人は田の神=稲の神に収穫物を捧げて、神とともに収穫を祝い、田の神を屋敷に迎え入れて、風呂やご馳走でもてなして労をねぎらい、神を山(=辺境+高い場所=異界=天=神の国=死者の国)に送り出し、神は山に帰っていき、山の神となる。

以後も、この1年の循環(サイクル)を、毎年繰り返す。


私が、2011年の春から話している神様達は、いつも野良仕事をしていると言っていました。

今は、丁度お正月で屋敷の中にいる神様達は、春になると、稲を作るために野良仕事をしていたのかと、この文章を読んで思いました。

縄文の頃は、森の中で生活をしていたので、「イオマンテ」のような話になっていたのでしょうか。


クナシリの神の話の続きです。


たった150年の間に、本当に変わってしまったのだよ。
たった150年だよ。
スゴい早さだよな。
世界の国々もそうだから、仕方がないのだが、せめて人は変わらないで欲しかったよ。
M子は、いつも私達の言葉を正確に聞いてくれている。
誰でもいいという訳ではないが、少しでもわかってくれる人が増えて欲しいので、伝えてくれよ。
「あわつ」のことを。
「あわつ」の心は、自然との共存で成り立つことだよ。
自然の中で人は生きているのだからな。


最近、神様達から150年とよく言われます。

明治時代が始まって150年ということでしょうか。


🌟平成30年(2018年)は、明治元年(1868年)から満150年の年に当たります

明治以降、近代国民国家への第一歩を踏み出した日本は、明治期において多岐にわたる近代化への取組を行い、国の基本的な形を築き上げていきました。
内閣制度の導入、大日本帝国憲法の制定、立憲政治・議会政治の導入、鉄道の開業や郵便制度の施行など技術革新と産業化の推進、義務教育の導入や女子師範学校の設立といった教育の充実を始めとして、多くの取組が進められました。
また、若者や女性等が海外に留学して知識を吸収し、外国人から学んだ知識を活かしつつ、単なる西洋の真似ではない、日本の良さや伝統を活かした技術や文化も生み出されました。
政府では、「明治150 年」を迎える平成30 年(2018 年)を節目として、改めて明治期を振り返り、将来につなげていくために、地方公共団体や民間企業とも一緒になって様々な取組をしています。


そして、北海道が始まって150年もあるみたいです。


🌟北海道150年事業

【基本理念】

未来へつなぐ、みんなでつなぐ。
2018年、北海道は命名150年。

縄文文化やアイヌ文化をはじめとする本道独自の歴史や文化、国内外に誇る豊かな自然環境は、かけがえのない道民の精神的豊かさの源です。

本道が「北海道」と命名されてから150年目とな2018(平成30)年を節目と捉え、積み重ねてきた歴史や先人の偉業を振り返り、感謝し、道民・企業・団体などと一体となってマイルストーン(節目の年)として祝うとともに、未来を展望しながら、互いを認め合う共生の社会を目指して、次の50年に向けた北海道づくりに継承していきます。

また、道民一人ひとりが、新しい北海道を自分達の力で創っていく気概を持ち、北海道の新しい価値、誇るべき価値を共有し、国内外に発信することにより、文化や経済など様々な交流を広げていきます。


皆様は、どちらも150年の節目だったことをご存知でしたか?

私自身は、昨年の暮れになって知りました。


続きます。
コメント (6)
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