芝丸山古墳で、「幸せのトラ」の前にみたらし団子を置いてから、頂上にある石のところに行きました。
石の真ん中の窪んだところには、土があったので取り除いて、家から持って行ったフィジー水を撒きました。
石は、水を飲んでいるように、コポコポ音を立てて水を吸い込んでいました。
私が、Iさんに写真を送ると、
Iさんは、その頃逗子にいると言っていて、
おお!
今こっちに神様3柱降りたよ。
光が眩しくて目が開けられない。
ハワイの神様もいるね。
逗子は来る?
ということで、逗子に向かうことになりました。
「幸せのトラ」のところから、振り返ると家族連れの人達がいて、オレンジ色の風船が映えていました。
私は、お昼ご飯を食べていなかったので、「幸せのトラ」の前に置いてあった「みたらし団子」を丸山古墳の下に降りてベンチに座って食べてから、すぐ近くにあった芝公園の駅から、地下鉄に乗りました。
芝公園から三田線に乗って、そのまま京急で新逗子に向かいました。
私は、新逗子でもいいと思ったのが間違いで、IさんはJRの逗子にいたのと、敏腕マネージャーのKIKOさんも一緒だったので、車で私のいる場所に来た時は、
ねーさんはーー
逗子って言ったじゃん。
新逗子と逗子は違うんだよ。
と、言われてしまいました。
何で、IさんがKIKOさんと逗子にいたかというと、サニーさんとお会いすることになったそうで、車でそのお店に向かうことになりました。
KIKOさんについては、以前にIさんと、恐山に一緒に行ってくれて、その時にいろいろ感じる方なのだと思っていました。
その後も彼と一緒に金華山に行っていたりしていたので、彼にとっては気の合う人だという印象でしたが、私は初対面で、思った通りキビキビした背の高い美人さんでした。
🐷恐山徒然 2
KIKOさんが、サニーさんと親しいので、昨年の夏にIさんはサニーさんと初めてお会いすることになり、とても感動していました。
その後に、ハワイ島のポリアフが行って欲しいと言っていた、葉山の森戸神社にも行っていました。
🐶森戸神社
そして、私はサニーさんの本「ハワイ島 宙の音 星空ガイド物語」を購入しました。
本の案内から抜粋すると、
🌟今まで25 万人以上を案内してきた星空ガイド・サニー武石による、ハワイ島の自然ガイドブック。
ハワイ島という島を通して、人が自然、そして地球と宇宙がつながっている本来の姿を本人のエピソードなどを通して伝えていきます。
ハワイはポリネシアの文化圏にありタヒチから移り住んだ先住民族(ハワイアン)が培ってきた、自然と融合しながら生きる(アミニズム的)文化の上に成り立っています。
そんなハワイのもう一つの側面が未だに色濃く残されているのがハワイ島であり、最近就航されたハワイアンエアラインの日本からの直行便、そして、9 月にはJAL の直行便も就航。
さらに注目度も高まってきています。この本は、ガイドブックとは一線を画し、星空ガイドという特殊な職業を通して感じた自然との関わり方を、今まで撮りためてきた星空や大自然の写真をベースに、共著のアートディレクター藤田恒三により、簡潔な文章、イラストで表現。
サニーの口癖である、「マウナケアは宇宙の入り口」という言葉を、大げさでなく感じることのできる本を作り上げています。
🌟著者プロフィール
サニー 武石 (サニー タケイシ) (著/文)
ハワイ島で、マウナケア山頂(4,205m)にて星空やサンセット、サンライズを見学する星空ツアーを日本人で初めて行った元祖星空ガイド。
ツアー会社、太公望ハワイの代表でハワイ島星空ガイドの代表。
いままでに25 万人以上の日本人を宇宙の入り口といわれるマウナケアの山頂へ誘い、大自然の美しさ、宇宙の神秘を伝えている。
サニーさんは、生粋の日本人で、逗子で生まれ育ったのだそうです。
その方が、なぜハワイ島の星空ガイドを始めることになったのかは、とても興味深いですね。
サニーさんは、たまたま帰国していて、時間が合ったら会いましょうとのことになっていたそうです。
Iさんの車で、KIKOさんと私は待ち合わせのお店に向かったのですが、逗子の道は狭くて一方通行が多くて、かなりグルグルと回りながらでした。
私が、新逗子にいたからだったかと思います。
目的地のお店は、道から突き出たような場所にあるので、手前の駐車場に停めて、しばらく歩いて行きました。
夕陽がとてもキレイでした。
続きます。
石の真ん中の窪んだところには、土があったので取り除いて、家から持って行ったフィジー水を撒きました。
石は、水を飲んでいるように、コポコポ音を立てて水を吸い込んでいました。
私が、Iさんに写真を送ると、
Iさんは、その頃逗子にいると言っていて、
おお!
今こっちに神様3柱降りたよ。
光が眩しくて目が開けられない。
ハワイの神様もいるね。
逗子は来る?
ということで、逗子に向かうことになりました。
「幸せのトラ」のところから、振り返ると家族連れの人達がいて、オレンジ色の風船が映えていました。
私は、お昼ご飯を食べていなかったので、「幸せのトラ」の前に置いてあった「みたらし団子」を丸山古墳の下に降りてベンチに座って食べてから、すぐ近くにあった芝公園の駅から、地下鉄に乗りました。
芝公園から三田線に乗って、そのまま京急で新逗子に向かいました。
私は、新逗子でもいいと思ったのが間違いで、IさんはJRの逗子にいたのと、敏腕マネージャーのKIKOさんも一緒だったので、車で私のいる場所に来た時は、
ねーさんはーー
逗子って言ったじゃん。
新逗子と逗子は違うんだよ。
と、言われてしまいました。
何で、IさんがKIKOさんと逗子にいたかというと、サニーさんとお会いすることになったそうで、車でそのお店に向かうことになりました。
KIKOさんについては、以前にIさんと、恐山に一緒に行ってくれて、その時にいろいろ感じる方なのだと思っていました。
その後も彼と一緒に金華山に行っていたりしていたので、彼にとっては気の合う人だという印象でしたが、私は初対面で、思った通りキビキビした背の高い美人さんでした。
🐷恐山徒然 2
KIKOさんが、サニーさんと親しいので、昨年の夏にIさんはサニーさんと初めてお会いすることになり、とても感動していました。
その後に、ハワイ島のポリアフが行って欲しいと言っていた、葉山の森戸神社にも行っていました。
🐶森戸神社
そして、私はサニーさんの本「ハワイ島 宙の音 星空ガイド物語」を購入しました。
本の案内から抜粋すると、
🌟今まで25 万人以上を案内してきた星空ガイド・サニー武石による、ハワイ島の自然ガイドブック。
ハワイ島という島を通して、人が自然、そして地球と宇宙がつながっている本来の姿を本人のエピソードなどを通して伝えていきます。
ハワイはポリネシアの文化圏にありタヒチから移り住んだ先住民族(ハワイアン)が培ってきた、自然と融合しながら生きる(アミニズム的)文化の上に成り立っています。
そんなハワイのもう一つの側面が未だに色濃く残されているのがハワイ島であり、最近就航されたハワイアンエアラインの日本からの直行便、そして、9 月にはJAL の直行便も就航。
さらに注目度も高まってきています。この本は、ガイドブックとは一線を画し、星空ガイドという特殊な職業を通して感じた自然との関わり方を、今まで撮りためてきた星空や大自然の写真をベースに、共著のアートディレクター藤田恒三により、簡潔な文章、イラストで表現。
サニーの口癖である、「マウナケアは宇宙の入り口」という言葉を、大げさでなく感じることのできる本を作り上げています。
🌟著者プロフィール
サニー 武石 (サニー タケイシ) (著/文)
ハワイ島で、マウナケア山頂(4,205m)にて星空やサンセット、サンライズを見学する星空ツアーを日本人で初めて行った元祖星空ガイド。
ツアー会社、太公望ハワイの代表でハワイ島星空ガイドの代表。
いままでに25 万人以上の日本人を宇宙の入り口といわれるマウナケアの山頂へ誘い、大自然の美しさ、宇宙の神秘を伝えている。
サニーさんは、生粋の日本人で、逗子で生まれ育ったのだそうです。
その方が、なぜハワイ島の星空ガイドを始めることになったのかは、とても興味深いですね。
サニーさんは、たまたま帰国していて、時間が合ったら会いましょうとのことになっていたそうです。
Iさんの車で、KIKOさんと私は待ち合わせのお店に向かったのですが、逗子の道は狭くて一方通行が多くて、かなりグルグルと回りながらでした。
私が、新逗子にいたからだったかと思います。
目的地のお店は、道から突き出たような場所にあるので、手前の駐車場に停めて、しばらく歩いて行きました。
夕陽がとてもキレイでした。
続きます。