「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

竹生島の話

2019-06-10 07:30:55 | 日記

Nさんの📩の続きです。

竹生島に行かれた時の話ですね。

私は、もちろん行ったことはないのですが、以前に記事にしたことがあったと思い出していました。

2015,1,19に記事はありました。


🐶弁財天の話

https://blogs.yahoo.co.jp/minako_aragami/70074833.html


まだ、Iさんとお会いする少し前でしたが、彼がコメント入れてくれていたのだなと思いました。


Nさんの📩


竹生島は船便の関係で、基本的には上陸時間は75分なのだそうです。
私は友達と会う約束があったので、今津港を出て彦根港に帰る上陸時間95分のルートを取りました。

75分で時間を持て余している人もいましたが、私には95分でも足りませんでした。
水辺の鳥たちの営巣地になっているのか、鳥と小さな生き物の楽園といった感じの島で、とても気持ちがよかったです。



帰り道、竹生島を後にする船の中から遠ざかってゆく島を見て、寂しいというのか去りがたいというのか、涙が出ました。そのくらい素敵な島でした。



「面向不背の珠」は、ガラス玉を4つに割ってそれぞれにご本尊と脇侍を配し、つなぎ目を金具で装飾してわからないように玉に仕立てなおしたような造りでした。

今の技術や素材を使えば簡単に作れそうなものでしたが、あの時代にこの透明度を保ったままどうやって作ったのだろうと、とても不思議です。










志度から来たと言うと、係のおじさまが、ご親切に、以前興福寺であった志度寺縁起の展示の時のパンフレットのコピーをわざわざくださいました。

現在、香川県立ミュージアムで同じ志度寺縁起絵巻の修復記念展示がされていますが、そのパンフレットの内容とは微妙に違っていました。
龍神に奪われた説と、荒天を鎮めるために珠を差し出した説があるようです。


珠の大きさは直径12cmくらいでしょうか、大きく見えました。
これを乳房に隠そうと思えば、相当の覚悟で身を切らねばなりません。私も乳房は一般より大きい部類だと思いますが、それでもこれ入るかな?簡単には隠せないだろうな、というサイズ感のものでした。

けれどもふと、電話でお聞きした「死んでもなお好きだった」というフレーズが思い出され、私がもし彼女なら、やはり迷った末に愛する人の願いを受け入れ、決死の覚悟でもってそれを遂行しただろうと思います。

先日、恐怖心と闘いながら、これで何かが変わるのならと、壁から龍を下ろした時のことを思い出していました。

竹生島の弁天さんが、なぜ一族の女性の中で、叔母でも姉でもなく私を呼んでくださっているのか、真珠島の弁天さんを訪ねただけで真珠島の弁天さんが私が来てくれたと喜んでくださるのか、私にはわかりませんが素直に嬉しいです。


もしかして私、前世でこの海女さんとなにかご縁があったのでしょうか。
今はもう海女の墓は柵で囲われ、顔出しパネルが置かれて観光の種にされているような感じです。

子供の頃楽しみにしていた、海女の命日を偲ぶ十六度市は何十年も前に取りやめられ、市が立っていた場所はお寺が経営する老人施設になっています。
ただの伝説と思っていましたが、本当にあったことで、誰かがなにかを必要とされているのなら、教えてくださいね。

できる範囲で対応・努力します。


小田和正さんのコンサートは来週の四日市公演からの伊勢神宮初参拝と、愛媛公演を残すのみとなりました。


時代の変わり目が私の人生の中での大きな大きな変わり目ともなりました。


実家は無くなってしまったけれども、悪い龍のお蔭でM子さんとのご縁をいただけたこと、ミクネの神様から教えていただけたこと、シドの神様の加護を知れたこと、代々お世話になってきたであろう弁天さんたちにご挨拶ができたこと、Iさんにご縁を繋いでもらえたこと、瀬田のおじさまや満濃池の龍神さんたち眷属の皆様にもなんだか親近感を持ってウキウキできること、どれもこれも有り難く、私にとってはひとつひとつのお話が大切な宝ものになりました。


お忙しい中長くていつもすみません。本当にありがとうございました。


その後の📩


6月2日に四日市でコンサートがあり、友達と熱田神宮にお参りします。
3日は同じく2人で伊勢神宮にお参りしてからその友達とは分かれ、
翌4日は後から来る主人と合流して荒熊神社さんに伺う予定です。

夫が子供の頃、祖父母の保養地?かなにかでよく訪れていたという浜名湖を前から見たいと言っていたのですが、今回名古屋まで行くなら近いからと、連れて行ってくれることになりました。


そこの最寄駅が「弁天島駅」でちょっとびっくりしています。そこも弁天さんが祀られているようなので、お社が分かればご挨拶してこようと思います。


Nさんは、本当に激しく動いていました。

まさか、私は荒熊神社さんにも行かれるとは思いませんでした。

つぶて浦の鳥居では日輪が出たそうです。



そして、私の建てた鳥居と並んだ写真も送ってくれて、ずっと悩んでいたことから、解放されたような明るい笑顔でした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする