セカヒロ「魂の会」について、ご応募いただきました方は、ありがとうございました。
これで人数が固まりましたので、グループ分けなど、ご連絡はそれぞれにお伝え致します。
さて、前回の続きの話になります。
「かつこ内親王」のブログの初期に出てきたことで、在原業平(ありはらのなりひら)と在原行平(ありはらのゆきひら)の話がありました。
私は、何度も繰り返し伝えられた百人一首に出てくる二人の歌について当時調べていました。
第51代平城天皇(在位806年~809年)の子供の阿保親王の子供達なので、二人は、兄弟で天皇家の血筋の人達です。
行平が兄(818年~893年)で、業平(825年~880年)が弟ですね。
前回出てきた
世の中にたえて桜のなかりせば
春の心は のどけからまし
について、8月11日に在原業平が話してきました。
在原業平だった、なりひらの神だ。
今も神界にいますか?
神界にいて、今はなんとか六階層に上がったよ。
お兄さんも一緒ですか?
行平も同じだ。
「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」は、私の歌だ。
昔は、春に朝廷から発表される人事があったのだが、兄も須磨に行かされたり、信じられないことがあったことを読んだのだよ。
桜は咲いたら嬉しいが、散ったら悲しいからな。
桜がなかったら良かったのに、、、という話だよ。
地位も名誉も無ければ悲しむことはない。
人は、それが欲しいということだな。
ずいぶん前に話しましたね。
10年前くらいか。
私も就いていいか?
はい。
兄とも話してやってくれ。
10年前に話した時は、八階層の神様になったばかりだったと思いました。
ずっとがんばっていたのですね。
なりひらの神は、私の260番目の神様になりました。
そして、在原行平だったゆきひらの神も話してきました。
ゆきひらの神だ。
私も頼むよ。
はい。
最近、須磨の人と会っただろう。
ミホさんのことですか?
松風の前世の人だよ。
だから、私も守るからな。
よろしくお願いします。
ゆきひらの神は、私の261番目の神様になりましたが、「須磨の人」とは8月1日にロンドンのカズさんとお会いした時に一緒にお会いしたミホさんのことだと思いました。
「松風」とは、これもずいぶん前に調べたことです。
2013,7,4の記事にありました。
★謡曲『松風』の松風・村雨
画像は、「中納言 行平朝臣、須磨の浦に左遷され村雨・松風二(ふたり)の蜑(あま)に逢ひ、戯れるの図」。月岡芳年画。
須磨に伝わる土地の伝説によれば、姉妹は多井畑の村長の娘たちで本来の名は「もしほ」と「こふじ」、須磨に汐汲みに出たところ、天皇の勘気を蒙り須磨に流されていた在原行平と出会い、「松風」「村雨」と名づけられて愛された。
のちに行平は赦されて都に帰る際、松の木に形見の烏帽子・狩衣を掛けて残した。
謡曲『松風』以後、松風・村雨の悲恋の物語は人口に膾炙し、浄瑠璃や歌舞伎、近代には映画などにも取り入れられた。
須磨には衣掛松や「松風村雨堂」など、彼女たちの伝承に基づく遺跡がいくつかあり、須磨区内には村雨町・松風町・行平町・衣掛町と名付けられた地名もある。
画像は、「中納言 行平朝臣、須磨の浦に左遷され村雨・松風二(ふたり)の蜑(あま)に逢ひ、戯れるの図」。月岡芳年画。
須磨に伝わる土地の伝説によれば、姉妹は多井畑の村長の娘たちで本来の名は「もしほ」と「こふじ」、須磨に汐汲みに出たところ、天皇の勘気を蒙り須磨に流されていた在原行平と出会い、「松風」「村雨」と名づけられて愛された。
のちに行平は赦されて都に帰る際、松の木に形見の烏帽子・狩衣を掛けて残した。
謡曲『松風』以後、松風・村雨の悲恋の物語は人口に膾炙し、浄瑠璃や歌舞伎、近代には映画などにも取り入れられた。
須磨には衣掛松や「松風村雨堂」など、彼女たちの伝承に基づく遺跡がいくつかあり、須磨区内には村雨町・松風町・行平町・衣掛町と名付けられた地名もある。
🐶 在原行平(ありはらのゆきひら)の話
行平が読んだ歌が
立ち別れいなばの山の峰に生ふる
まつとし聞かば今帰りこむ
で、須磨に左遷された時に別れの歌として読んだ物ですね。
調べてみると、須磨にいたのは2年間くらいで、ずっと要職にいたので、優秀な方だったみたいです。
当時としては長生きでしたね。
兄弟は、少し前に記事にした陽成天皇の時代いわゆる貞観の大地震や富士山の噴火のあった時の人達なので、神様達から伝えられることが多かったのかと思いました。
それにしても、8月1日に出会ったミホさんのことは、まさかの展開でした。
続きます。
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