5月27日の四国のつさかの神の次に話してきたのは、渋谷栄一さんだったえいいちの神でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/02/0acd22fe6b769aed9c3b6315b58c286a.jpg?1626890544)
私は、相変わらずNHKの大河ドラマの「青天を衝け」を毎週観ていますが、幕末は本当に大混乱の時代だったのだと思います。
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しーーーーずーーーーおか(静岡)の熱海にいるそうだな。
どなたですか?
埼玉の渋沢栄一だよ。
えいいちの神だ。
ちーーーーかーーーーいーーーーところに、Iがいたそうだな。
はい。そうですね。
悪ガキだったらしいな。
そうみたいです。
私も、若い時はいつも怒られてばかりいた。
いつもだよ。ハハハハハ。
家族には悪いことをしたと思っている。
先日、紫蘭(シラン)を持って来てくれたな。
はい。行ってました。
まさか、伝わるとは思わなかったよ。
渋沢というか、村の人達は都会に行ってしまっているから聞いてくれるとは思わなかったのだ。
深谷は、江戸と近かったのだよ。
川があったからな。
だから、私は江戸に行ってみたかった。
江戸で勝負したかったのだ。
Iさんは、渋沢栄一さんの生家の近くに生まれたので、今もそこはお母様のお散歩コースなのですね。
紫蘭の話は、Iさんも記事にしていました。
🐷 春の日
深谷の地形については、ブラタモリでやっていたので、それも観ていましたが、江戸時代は、陸路より水路で人々は動いていて、丁度深谷の辺りは、利根川の往来で大きな船がたどり着く限界点だったらしいです。
もっと上流に行くとすれば、小さい船に乗り換えないといけなかったようで、これは上流の浅間山から流れてきた溶岩が貯まって出来た扇状地で、砂と粘土が絶妙に混じりあっていて、ネギの栽培に向いていたらしいです。
だから、深谷に港があり江戸に行くのは、比較的楽だったのですね。
渋沢栄一さんの出身地がなぜ、埼玉の奥地にある深谷だったのかと思いましたが、タモリさんも、地形に詳しいのでとても驚いていました。
えいいちの神の話の続きです。
だから、運がいいと思っている。
やっぱり、人の繋がりが大事だと思う。
(平岡)円四郎様は、本当に無念だったよ。
切られてしまうとは思わなかった。
私は命の儚さを知った。
私は生き残ってやると、誓ったのだ。
おーーーー寿司食べたいな。
お寿司ですか?
何のお寿司ですか?
つまみたいよ。
私は鯖寿司が好きだったよ。
コハダもね。
平岡円四郎さんは、一橋(のちの徳川)慶喜の側近中の側近だったので、円四郎さんと栄一さんが会わなければ、栄一さんは農民のままの生涯だったと思えば、本当に人の繋がりが大事だったということですね。
平岡円四郎さんは頭が切れ過ぎて、誤解されてしまったようで、水戸浪士は慶喜公は円四郎にそそのかされていると思ったようで、なんと43才で暗殺されてしまいました。
慶喜にとっては、本当に手痛いことだったのでしょう。
渋沢栄一さんが平岡円四郎さんを評した文章です。
この人は全く以て一を聞いて十を知るといふ質で、客が来ると其顔色を見た丈けでも早や、何の用事で来たのか、チヤンと察するほどのものであつた。
然し、斯る性質の人は、余りに前途が見え過ぎて、兎角他人のさき回りばかりを為すことになるから、自然、他人に嫌はれ、往々にして非業の最期を遂げたりなぞ致すものである。
平岡が水戸浪士の為に暗殺せられてしまうやうになつたのも、一を聞いて十を知る能力のあるにまかせ、余りに他人のさき廻りばかりした結果では無からうかとも思ふ。
ドラマでは、西郷隆盛役の華丸さんがこの言葉を話していました。
渋沢栄一さんが、お寿司が好きだったのかはよくわからないと思っていた時に、NHKEテレで、たまたま観た番組に出演された渋沢栄一さんのお孫さんの鮫島純子(さめじますみこ)さんに、私は興味を持ちました。
とても上品な笑顔の方で、渋沢栄一さんのエピソードを話していらっしゃったのですが、鮫島純子さんは、現在98才で今年亡くなった私の父より1つ年上の大正11年生まれなのですが、丁度「青天を衝け」に出てきた公家の岩倉具視(いわくらともみ)さんの曾孫さんと結婚をして、そのご主人が亡くなられた後に78才からエッセイストになられたそうです。
渋沢栄一さんは、とても優しいお祖父様で、日曜日に孫がみんなで挨拶に行くと、一人一人頭を撫でて、飴を口に入れてくれたそうで、91才まで生きられたのは、若い時に命の儚さを感じたからなのかもしれませんね。
渋沢栄一さんは、本当に大変な時代を生きていたと思いますが、人生について聞かれた時に「楽しかったよ~」とおっしゃったとのことで、やっぱりステキな方だったのだと思いました。
最近、大谷翔平選手が渋沢栄一さんの「論語と算盤」を読んでいたという話が話題になっていましたが、これは日ハムの栗山監督が選手達に読むように勧めたそうです。
「目先にすぐ成果が出ないとしても、それはまだ機が熟していないだけだ。タイミングがまだ合っていないだけなのだ。事をあきらめることなく、忍耐強く進めるべき」
という言葉から、「見えない未来を信じる力」で栗山監督は、大谷選手を育ててくれたのですね。
栗山監督がいなければ、「二刀流」の概念はなかったのかもしれません。
大谷選手も、「論語と算盤」を素直に読んでいたようで、やっぱり、人の出会いは大事だということですね。
続きます。
大きな意味での魂の永遠性というか・・・
縁とはすごいことだと思いました
昨日、えいいちの神がまさに同じことを言っていました。
がんばって下書き作りますね。