4月の終わり頃は、水戸に行ったからかIさんは、また具合が悪くなっていたようでした。
そして、5月1日に水戸光圀が話してきました。
体が重くなっていたそうで、それがやっと楽になった時に話してきたのは、水戸光圀でした。
くす玉が割れたのだよ。
くす玉?
Iの中で、くす玉が割れたのだよ。
どなたですか?
光國だよ。
スミが入っていたから、無くなったということだな。
スミですか?
黒い思いだな。
ずーーーーっと溜まっていた黒い思いがくす玉で、弾けたのだよ。
その後に、Iさんの魂も話してきました。
ねーさん、断っておくけど、本当に大変だったのだよ。
だから、今日は軽くなって良かったよ。
いつも、ありがとう。
とりあえず、落ち着いたようでしたが、その少し後に、なぜくす玉の話になったのかのことになっていきました。
そして、Iさんからはいきなり写真が送られてきて、いつもの如く、どこに行っているのかわかりませんでした。
急に、静岡県の賤機山(しずはたやま)に行きたくなったそうで、過去記事も送られてきましたが、私は知らない場所でした。
2013,7,27の記事なので、私と出会うずいぶん前のことですね。
賤機山は、静岡県の語源になっている山で、静岡県は横に長いですが、まさに真ん中当たりにある山です。
🐷 ややミステリアス
Iさんは、この賤機山の神社を丁寧に巡った後に、三保の松原と久能山の東照宮にも行ったようでした。
Iさんの📩
とても良い日でした。
ありがとう。
光圀さんの為に、
東照宮にも登りました。
そして、5月1日に水戸光圀が話してきました。
たーーーーかーーーーらーーーー(宝)だな。
どなたですか?
先の副将軍、水戸光圀だよ。
Iと静岡に一緒に行けて良かったよ。
東照宮にも行ってくれたからな。
テーーーーストに合格したので、私は飛び級で、六階層に上がったよ。
だから、ありがとう。
去年、八階層になったばかりだから、異例の出世ということみたいだよ。
おめでとうございます。
幕末の志士達が、推薦してくれたと聞いたよ。
水戸の学問が知れ渡っていたからだろうな。
徳川斉昭(とくがわなりあき)は、継承してくれたから、飽くなき水戸の伝統になったのは、良かったよ。
光圀様は、諸国を巡っていたのですか?
私が諸国を巡っていた訳ではないが、助さん、格さんのような人はいたのだよ。
いろんな国に行って話をしてくれる人がね。
だから、隠居しても退屈はしなかったよ。
時がずいぶん経ったのだな。
先の副将軍と、テレビで観ていたよ。
ありがたいことだな。
覚えてもらってね。
光圀が言っていた話は、「水戸学」と呼ばれていることのようです。
🌟水戸学とは、第2代水戸藩主の徳川光圀によって始められた歴史書『大日本史』の編纂を通じて形成された。
特に天保期以降、第9代藩主徳川斉昭のもとで尊皇攘夷(そんのうじょうい)思想を発展させ、明治維新の思想的原動力となった。
私は、最近毎週NHKの大河ドラマの「青天を衝け」を観ていますが、徳川斉昭による尊皇攘夷思想により、当時の若者達が動かされていた様子が描かれています。
主人公の渋沢栄一も、それによって徒党を組んで横浜の外国人居留地を焼き討ちしようとしていたのですからね。
光圀が言っていた幕末の志士達というのも、やっぱり繋がりがあったのだと思いました。
今のように、情報がすぐ伝わる時代ではなかったのですから、伝達するのは、大変なことで、幕末は海外からの船がどんどん押し寄せてきて、どこもかしこも大混乱状態だったのだろうと思います。
渋沢栄一を一橋家の家来に取り立てた、平岡円四郎も、優秀だったようですが、水戸藩士に暗殺されてしまいました。
その後も徳川慶喜の側近の家来達は、どんどん暗殺されてしまったようで、渋沢栄一が生き残ったのは、奇跡だったのかもしれませんね。
次に話してきたのは、笠間稲荷の四兄弟の末娘だと言っていたシズカでした。
Iさんが、夢でキツネ達とサッカーをしたと言っていたからだと思います。
笠間(稲荷)のシズカです。
お兄さん達は、話さないのですか?
兄達は、恥ずかしがり屋なので、いつも私が代表して話しています。
四兄弟だと、わかった人は最近いなかったので、驚いています。
静岡に行きましたよ。
しーーーーとーーーー(使徒)達が。
沢山、ついて行ったので、Iさんは大変だったと思います。
サッカーやったと言っていたでしょう?
はい。言っていました。
あれは、蹴鞠(けまり)ですよ。
使徒達は、いつもやっているのです。
たーーーーかーーーーらーーーー(宝)ですね。
使徒という言い方が最近出てきて、たつやさんから、質問もありました。
丁度話していた熱海のマンションの裏山にいると言っていた、ツナの龍神に聞いてみると、
眷属と妖精みんなです。
と、教えてくれました。
エヴァンゲリオンとは関係ないようですよ。
しばらくして、続きます。
眷属や妖精など、神様の遣いのような存在を総称していたという事ですね。
僕も大河ファンなので、渋沢栄一さんに絡んだお話はいつも興味深く読ませて頂いております。
幕末の志士は神様の話に出てこず、こちらのブログであまり話題になった事が無いと記憶しておりますが、何か理由があるのかと前々より疑問に感じておりました。
ただ栄一さんを通じて少し幕末に触れられたので、今後は繋がりも出てくるのかと期待しております^ ^
平成から令和に変わる時に、幕末の志士達の話は、ありました。
Iさんが、山口県の松陰神社に行ったりした頃ですね。
イラタの神によると、この時にも友達の輪があったということで、私がいろいろ話を聞いているのも、平成から令和に変わる変革の時だからかと思えました。
令和はまだ三年目ですか、生活がコロナによって、大きく変わっていますね。
幕末の時は、外国人が入ってきて、戦争もあちこちであり、渋沢栄一さんが、91才まで生きたというのは、本当に奇跡的だったと思います。
吉田松陰は、たった29才だったと思うと。
そう言えば令和に変わるタイミングでイラタの神のお話がありましたね。Iさんの吉田松陰さんの話もスゴイお話でした。
いつか龍馬さんや西郷さんが登場するのも期待してしまいます^ ^
幕末の志士達の繋がりは、きっとあったのだと思いますね。
これから下書きをする話に、少し出てきます。