Iさんが、シーサーを買いに行った夜は、満月ではなかったのに、スゴい月の光だったそうです。
その次の日の朝に話してきたのは、スサノオノミコトでした。
スサノオノミコトだ。サンとも言う。
忘れているかもしれないが、友達の輪が広がっているので嬉しいよ。
M子は変わらないからいいのだよ。
ずっと、変わらないからな。
きっと、スサノオノミコト様に「若返りの薬を頂いているからですね。
今年はなかったが、来年は作るよ。
長く生きて欲しいからな。
後、30年はね。
誰も悲しんで欲しくはないからな。
繋がりがあるだけで、心が落ち着く人がいると思うよ。
Iは、石垣島にいるな。
はい。
命の洗濯が出来たと思うよ。
イシガキの神と、娘のタミラが話したいと言っているよ。
スサノオノミコトは、一年おきに「若返りの薬」をくれます。
それが、いつも正確なのが不思議な感じですね。
必ず、8月1日から毎日1個を10日までくれるのですが、今年は、くれる年だと昨年から言ってくれていました。
そして、イシガキの神(於茂登の神)を呼んでみました。
イシガキの神だ。
昨日、Iは私のことがわかったようだな。
はい。そうだと思います。
月がキレイだっただろう。
スゴかったです。
「時の扉」が開いたよ。
どこにあったのですか?
山の上にあった。
沢山の精霊達が、唐揚げ喜んでいたよ。
ライオンと虎がいるようになったよ。
石垣島は、ライオンと虎の人がいるということで、騒ぎになっているよ。
「時の扉」は、マーペーにあったのでしょうか。
確かにピラミッドのような山でしたからね。
次に娘のタミラが話してきました。
タミラです。
昨日は、夜にケンタッキーフライドチキン食べてくれましたね。
ケンタッキーフライドチキンは、石垣島というより沖縄の精霊達が好きなのです。
お祭りやお祝いの時は、いつも出ますよ。
沖縄の人達には、キジムナーが就いているので、耳元で囁くのです。
なぜ、囁くのですか?
沖縄は、しばらくはアメリカでしたからね。
昔は、鶏肉は食べませんでしたが、アメリカの人達が食べていたので、キジムナーは気に入ったみたいですよ。
シーサーもです。
シーサーは家にいるのですが、キジムナーは人にいるのです。
伝えてくれて、ありがとうございます。
セミナーで聞いた通りでした。
境(さかい)がない人達で、良かったです。
私は、下書きをするのに、沖縄でケンタッキーフライドチキンが売れているのは何故か?を調べてみて、タミラが言っていた通りだったことに驚いています。
🌟沖縄大百科事典によると、戦前の沖縄には、鶏肉文化はなかったようだ。
1935年の沖縄には、家畜としてのニワトリが35万羽いたものの、産業には発展せず、庭先で育てる程度。
そして、沖縄戦で4万羽のニワトリが生き残り、そこから沖縄の鶏の歴史はスタートする。1961年、戦前の飼育頭数と並んだものの、このころは「卵」が主だった。
沖縄の鶏肉事情に詳しい沖縄県食鳥処理協業組合の赤嶺浩理事長によると、沖縄で鶏肉が流通するようになったのは、時期ははっきりしないものの米軍統治のころ。
米国産の冷凍品から始まったという。
確かに、沖縄は豚肉料理が有名ですよね。
今でも鶏肉の消費量は、全国で44位だそうです。
やっぱり、アメリカ軍がしばらくいた時期に、広まった感じですね。
アメリカ軍が統治していたのは、昭和20年から昭和47年の27年間だったのですが、確かに主力の年代の人達が、ケンタッキーフライドチキンを食べていた感じなのでしょうか。
まさか、キジムナーが囁いていたからとは思いませんでしたけどね。(笑)
着いてすぐに雨予報で行って、白い虎が就いてきたということですが、その時に行けなかった場所に再度行ったようです。
続きます。
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