湯河原の五所神社の次に行ったのは、幕山(まくやま)公園の近くにある、五郎神社でした。
静かな神社でしたが、キレイになっていて、五所神社が管理しているようです。
やっぱりここにも「鎌倉殿の13人」の「北条義時ゆかりの地」の幟(のぼり)がはためいていました。
私は北条政子が、初めて頼朝に会ったのは、4才の時だったと、伊豆山神社にある「郷土資料館」の館長さんがおっしゃっていたことを思い出していました。
梛の葉を鏡の裏に入れておくと、願いが叶う(結ばれる)という話が、ここにも書いてありました。
私達がいた「蛭ヶ島」は、伊豆の国市の真ん中辺りにあり、近くには「鎌倉殿の13人」の北条義時(小栗旬)と八重(新垣結衣)が住んでいたらしいイチゴで有名な江間や墓所のある北條寺がありました。
鎌倉の祖である、鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)を祀っているのかと思ったので行きましたが、立看板にはその名前はなく、ご祭神は金山彦尊(かなやまひこのみこと)と面足尊(おもだるのみこと)と書いてありました。
調べてみると、鎌倉権五郎を祀っていたという話もありましたが、詳細は不明とのことです。
静かな神社でしたが、キレイになっていて、五所神社が管理しているようです。
最近、ビニールの紐で出来た注連縄をよく見ますが、ここの注連縄はとても立派で、
紙垂(しで)が、ヒラヒラしていたので、神様も来てくれたのかなと思いました。
私達が五郎神社にいたのは、3時くらいでSさんがまだ早いから、「蛭ヶ島」に行こうと連れて行ってくれました。
やっぱりここにも「鎌倉殿の13人」の「北条義時ゆかりの地」の幟(のぼり)がはためいていました。
今週15回目になった「鎌倉殿の13人」は、かなり話題になっていましたね。
「神回」と言われているようです。
私は、いつもふざけているような源頼朝役の大泉洋さんが、ものスゴく冷酷な目をしていてその氷のような目が忘れられませんでした。
SNSでは「大泉洋のせい」というキーワードがトレンドの上位になっていたりして、彼の役者としての力量の大きさということで、脚本家の三谷幸喜さんの思い通りだった訳ですね。
実際の源頼朝は、14才の時から伊豆の真ん中辺りのこの地に流罪となっていて、挙兵した34才まで20年間もいた場所なのです。
私は北条政子が、初めて頼朝に会ったのは、4才の時だったと、伊豆山神社にある「郷土資料館」の館長さんがおっしゃっていたことを思い出していました。
10才違いなので、話は合っていますね。
伊豆山神社の御神木は、梛(なぎ)の木で、以前は、梛の葉のお守りも出していたそうですが、梛は成長が遅いので、あまり葉を取りすぎるのはいけないとのことで、お守りはずいぶん前に取り止めになったそうです。
梛の葉を鏡の裏に入れておくと、願いが叶う(結ばれる)という話が、ここにも書いてありました。
当時は伊豆山で、結ばれた源頼朝と政子の話が、憧れの的だったのでしょうか。
私達がいた「蛭ヶ島」は、伊豆の国市の真ん中辺りにあり、近くには「鎌倉殿の13人」の北条義時(小栗旬)と八重(新垣結衣)が住んでいたらしいイチゴで有名な江間や墓所のある北條寺がありました。
地図を見ながらSさんが、
次はどこに行こか?
と言ったので、ミクネの神(天之常立之神)に聞いてみると、
「コナ」
と言っていて、調べてみると
「古奈」
のことらしく、
湯谷(ゆたに)神社に行ったらいい。
と言われたので、もう夕方になってきましたが、古奈の湯谷神社に向かいました。
続きます。
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