岐阜城に行った次の日は、荒熊神社に久しぶりに行く予定でした。
階段の上から、先に行っていたIさんが、やっとの思いで歩いている姿が見えました。
前日に清洲城と岐阜城に繋いで行った「剣菱」を「つぶて岩」の上に乗せて三人でお祈りしました。
雨はしとしとと降っていました。
🐷 南知多徒然
海が窓から見える「シーサイドカプリ」さんです。
禰宜さんの面白い話や、宮司さんの修行時代の話をお聞きすることも出来ました。
実は、K会長は一緒に行けないとの話でしたが、私達が名古屋に泊まっていた頃に、知多半島にいたようで、何とか都合をつけて来てくれたのですね。
前日はひとりで椿大神社(つばきおおかみやしろ)などを巡っていたそうです。
そして、朝の4時くらいに、Iさんが「痛い!」と言ったのが始まりで、そこから彼が苦しみ出して本当に大変なことになってしまいました。
私は、今回の旅にみこちゃんとK会長が都合が合わなくて、二人で行くことになった時に、何とも言えない不安な気持ちになったのは、このことだったのかと思う程の苦しみようで、私とみこちゃんもどうしてあげたらいいのかわからない状態でした。
みこちゃんが、K会長に電話をしてどうしたらいいか聞いていて、「代わって!」と言われたので代わろうとすると、絞り出すような声で「無理、、」と言って代われませんでした。
その後は、私が持って行ったプラス80の塩と前日に買った「剣菱」を使って何とかしようとIさんはお風呂でもがき苦しんでいました。
しかも、あいにくの雨が降って来ていて、このままでは荒熊神社まで行けないのではないかと本当に思いました。
Iさんは右足の足首がかなり痛いようで、足を引き摺りながら歩いていて、それでも力を振り絞って何とか運転して、知多半島に向かってくれました。
荒熊神社に近づいた時に、Iさんが海にまず行った方がいいみたいだ、海に行きたいと伝わってくると言っていて、後ろに座っていたみこちゃんが、
ねーさん、私の手を握ってもらっていいですか?
と言いながら泣いていて、
これは、私の涙ではなく、誰かのなので。。
という感じで、私は特に何も感じないので、私が変なのか?と思いました。
ということで、荒熊神社の近くにある「つぶて浦」にまずは行くことになりました。
階段の上から、先に行っていたIさんが、やっとの思いで歩いている姿が見えました。
前日に清洲城と岐阜城に繋いで行った「剣菱」を「つぶて岩」の上に乗せて三人でお祈りしました。
雨はしとしとと降っていました。
Iさんは、これで少し軽くなったようで、荒熊神社に向かいました。
私達が荒熊神社の清水宮司さんのお宅に着くと、K会長は既に着いていて、連絡してあった釣り師のOさんと、初対面になって話していました。
丁度、信者さんの方で神社の塗装をしてくださっているご夫妻がご祈祷のためにいらしていて、その方達を交えていろいろお話しをしていて、禰宜さんに私達は順番にコロナウィルスを撃退するご祈祷もしていただきました。
清水宮司さんも、本当にお元気で、私とIさんが二人で5年前の2016年10月1日に初めて伺った時より、若返っているように思いました。
🐶 知多半島の話 その4
🐷 南知多徒然
もう、5年も前のことなのかと感慨無量ですが、その後私は還暦の記念に鳥居を建てさせていただいたりして、いつも気に掛けていただいているので、本当にありがたいことだと思います。
5年前に来た時は、知る人ぞ知る「つぶて浦」も整備されて、駐車場も出来てインスタ映えスポットとなっているようですし、私達のブログをご覧になった方達も荒熊神社に訪ねて来ているようで、少しは宣伝になったのかと思っています。
その後に、宮司さんと禰宜さんと私達5人で、近くのステキなレストランに行って、お食事となりました。
海が窓から見える「シーサイドカプリ」さんです。
天気がイマイチだったのは、残念でした。
ワタリガニのパスタが出て、私がカニが食べられないと言っていると、別にシラスのパスタを作ってくださってありがたかったです。
禰宜さんの面白い話や、宮司さんの修行時代の話をお聞きすることも出来ました。
宮司さんの普段着も、とてもかわいらしかったですよ。
続きます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます