「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
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大嘗祭(だいじょうさい)の話

2020-01-16 07:30:00 | 日記
11月10日の天皇皇后様のパレードの後に、14日から「大嘗宮の儀」がありましたね。


🌟天皇皇后両陛下は14日夜から大嘗祭(だいじょうさい)の中心的儀式「大嘗宮の儀」に臨み、15日未明にお住まいの赤坂御所に戻られました。

大嘗宮の儀を終えた両陛下は午前4時すぎ、剣と勾玉(まがたま)とともに皇居の正門を出て赤坂御所に戻られました。
皇居・東御苑に建てられた大嘗宮では、14日午後6時すぎから「悠紀殿供饌(ゆきでんきょうせん)の儀」、15日午前0時すぎから「主基殿(すきでん)供饌の儀」が行われました。
天皇陛下は神事に用いる最も神聖な装束とされる御祭服を着て、かがり火のなか、ゆっくりと歩みを進めて悠紀殿、主基殿の中で国の安寧や五穀豊穣(ほうじょう)を祈られました。
皇后さまも白い十二単(ひとえ)を着て陛下が入った神殿の傍らにある帳殿で拝礼されました。
宮内庁によりますと、悠紀殿供饌の儀に510人、主基殿供饌の儀に425人が参列しました。


まずは、簡単に調べてみました。


🌟大嘗祭(だいじょうさい、おおにえまつり、おおなめまつり)は、日本の天皇が皇位継承に際して行う宮中祭祀であり、皇室行事。

新天皇が即位(現代では国事行為となる即位の礼の各儀式が終了)した後に新穀を神々に供え、自身もそれを食する。
その意義は、大嘗宮において、国家、国民のために、その安寧、五穀豊穣を皇祖天照大神及び天神地祇に感謝し、また祈念することである。

古くは「おほにへまつり」「おほなめまつり」とも訓じたが、現代においては「だいじょうさい」と音読みする。



私は、平成元年の時は、もう30才になっていたので、もちろん記憶はありますが、昭和天皇が亡くなってからの話だったので、やっぱり今回とは趣が違っていたように感じますし、報道も詳しくされていたので、国民の関心も高まっていたように思います。

11月14日から15日に掛けて、Iさんは独自にお供え物を用意して、お祈りしていたようで、朝の5時くらいまで、起きていたみたいでした。
私は、逆に5時くらいに目が覚めました。

そして、その時に話してきたのは、ナシタの神(天照大御神)でした。


大嘗祭(だいじょうさい)は、無事に終わったよ。

どなたですか?

ナシタの神だ。
新たな天皇の誕生だな。
私は日本国が大好きだからな。
うわついている人もいるが、国民は素晴らしい人が多いと思う。
パレードの時に、あの人数がずっとお行儀よくしている国はないだろう。
一瞬しか見えないのに、沿道でずっと立っていた人達は、私も感動して見ていたよ。
弱くならないで欲しいのだよ。
絆が弱くならないで欲しいのだよ。
三鷹、熱海、東尋坊、真脇、富士、五島列島、室戸岬、十津川、利尻、羅臼、次は四国の志度かな。
その前に、竹生島に行って欲しいよ。
来年でいいからな。


次に話してきたのは、スサノオノミコトでした。


スサノオノミコトだ。
カラスになって行くからと、Iに伝えておいてくれ。
理解してくれたようだからな。
お疲れ様だったな。
ありがとうと、伝えてくれ。
寝たと思うからな。
やっと。。。


次に話してきたのは、座敷わらしのツカヘイでした。


ツカヘイです。
大嘗祭が終わってホッとしました。
私達、精霊も沢山集まったのですよ。
イビサも連れて行きました。
感動していましたよ。


イビサは、Iさんが9月にスペインのイビサ島に行った時に一緒について来たらしい精霊の女の子ですね。
やっぱり、そのままいるみたいです。
イビサも久しぶりに話してきました。


イビサです。
新しい朝がきた。
希望の朝だ。
喜びに胸を開け。
大空仰げ。
毎日歌っているので、覚えました。
ラジオ体操しているのですよ。
どんどん日本が好きになっています。
イビサ島は美しいですが、怠惰な人が多いので、人間は好きになれませんでした。
Iさんの家にいる、片目のおじさん達に、武道も習っています。
「武道は礼から始まる。今年は令和だから良かったな」と言われました。
ヤスケとキミと稽古しているのですよ。
ハトの飾りがいいと思いますよ。


まさかのイビサの話でした。
やっぱり、ラジオ体操をやっていて、歌っているようですね。
スペインのイビサ島は、沢尻エリカ様がいたことのある島だったと、あの騒ぎで知りました。
美しい島ではありますが、いろいろな物が混在している場所なのだと感じますね。

イビサは、Iさんの家にいて楽しんでいるようで良かったです。
ハトの飾りは、Iさんがみんなにお土産で買ってきてくれた物で、私は熱海の部屋に置いています。



そして、この日はラジオ体操の歌の通りのような新しい朝を感じる美しい朝日でしたよ。





この時のIさんの記事

🐷 大嘗祭


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5 コメント

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Unknown (みみ)
2020-01-17 00:26:58
当時ローカルニュースで、阿波忌部氏が調進する「麁服(あらたえ)」=麻で織り上げた反物、について紹介していました。 古代の氏族と思っていた忌部氏が、剣山の麓に今も直系で続いていると知り驚きました。
今回は次の御代にも継ぐべく、織り女に女子高生も参加したそうです。 夏の暑い盛りに長時間、慣れない巫女さんの装束を付け、心を込めて機織りしている姿に感動しました。

麻の畑は収穫まで24 時間体制で監視していたとか。
大嘗祭が無事に終わってよかったと、記事を読んで改めて思いました。
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Unknown (nonahouse)
2020-01-18 05:44:14
みみさん、おはようございます。

剣山のwordが、なんだか沢山きているので、やっぱり行くようになるのだと思います。

忌部氏についても、以前に出てきていたので、また繋げていただいてありがとうございます。
返信する
Unknown (細木梅吉)
2020-01-19 21:16:13
M子さんこんばんは
先日連絡させていただいた者です。
コメントは初めてします。
神様方志度の前に竹生島へって何度もおっしゃってるようですが、それって多分https://www.chikubushima.jp/story/story6.html
が関係してるんじゃないでしょうかね?なんでも藤原不比等の妹が高宗皇帝に嫁いだのでその氏寺である興福寺に贈られたものだとか。興福寺にあるべきものが竹生島にあるのも不思議ですが、神様方はこれは志度にあるべきものだと言ってますね???この辺よくわからないところです。龍宮側の言い分も聞いてみたいところです。

経緯は能の謡曲に「海士」(あま)というのがあって、それに詳しいです。志度寺縁起というのが元になってるようです。↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E4%BA%BA_(%E8%83%BD)
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Unknown (細木梅吉)
2020-01-20 00:18:19
連投スミマセン。
既に記事がありましたね。
6/9に。
ググってて見つけました。
余計なことスミマセンでした(^▽^;)
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Unknown (nonahouse)
2020-01-21 07:21:11
細木梅吉さん、おはようございます。

ご連絡は、違うお名前でしたでしょうか?
わからなかったことでしたので、すみません。

沢山調べていただいて、ありがとうございました。
おっしゃるように、以前に記事ありきの続きの話です。

私のブログは、本当に初期の頃からの続きだったりするので、私自身が驚いているのです。

四国の話も、読者の方からの繋がりだったので、神様達は、人と繋がるようにと言うのかもしれませんね。
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