今日。
明日のP様の映画の座席予約をして、
息子とランチをして帰ったら。
郵便受けに、長女と三女が受けた私立大(同大学・別学部)から封筒が届いていて。
気になること、気になること(笑)
受験番号を教えてもらっていなかったので、
ネットでの合否確認も出来ないし、
ましてや開けることも出来ないし。
娘が帰ってくるまでの、長かったこと。

無事、どうにか二人とも受け皿を確保出来ました。
長女は、ここが私立の本命だったので、一安心。
期日までに一次納入をして、国公立に臨みます。
三女は、本命私立は他にあるので、とりあえず、といったところ。
次女の当落は、まだ少し先の話です。
だから、なかなか家の中ではおおっぴらに喜んでもいられないんだけど。
つい。
つい、嬉しくって。
ツイッターでもつぶやいちゃった母です。
いろんな方から「おめでとう」をもらって、単純に嬉しかったの。
まだ大本番はこれからなんだけどね、ホントは。
集中力を切らすな、って高校の先生に言われてもいるし。
あきゃきゃ(←意味不明・笑)

私の小さなお雛様も、弟の喫茶店に風除室に飾りました。
47年前の、1体の高さが10センチくらいの小さな木目込みのお雛様。
亡くなった祖母が、初孫の私のために精一杯買い求めたもの。
ガラスケースが割れちゃって、
亡くなった父が、ある時、木切れで雛段を作ってくれました。
何がきっかけだったか、というと。
11歳、年の離れた妹の初節句に、七段飾りのお雛様を買い求めた父と母。
それは、当時としてはごくごく普通のもので、
特に値の張るランクのものでも、大きいものでもなかったようですが、
小学生だった私の目には、そのお雛様が、とても羨ましく映りました。
私のお雛様はガラスケースも割れちゃって飾られることもなかったから。
高校生になってから、だったか。
飾られた妹のお雛様の隣りに、私は自分で、私のお雛様を飾りました。
段もなく、毛氈もなく。
これみよがしに、平たく。
まったくもって、反抗期の為せるワザ(笑)
それを黙って見ていた父は、
何かで余った木切れで、段を作り、
和菓子屋の叔母に頼んで毛氈をわけてもらってくれました。
今となっては、形見のひとつになってしまった雛段です。
髪も乱れ、お道具も少しずつ失くしてしまっているけれど、
お顔の綺麗さはまだ残ってる、私の大切なお雛様。
これを飾ると、
父が生きてる間には、イヤなことも思い出したくないことも沢山あったけど、
父は父なりに、不器用に、私を愛してくれてたんだろうな、ってことを思い起こさせてくれます。
と同時に。
「このお雛さまを買ったのは私」だと、孫の私に言い続けた祖母のことも。
祖母にとっては血の繋がらない娘(私の母)が産んだ、
それでも、彼女にとっては初孫だった私に、
かけてくれた精一杯の愛情が、
余裕のない暮らしの中から、自ら選んで買い求めた雛人形だったと。
もろもろ。
他人様には、どうということもない思い出話をしてしまいました。
それもこれも。
きっと、すばちゃんのレンジャー更新が遅れているせいだわ(笑)