キツツキのドラミング

思い付くまま, 気が付くまま・・

公園に『象の墓』?

2015-04-01 09:11:35 | Weblog

昨日は若い母親の無知蒙昧さには驚かされた。横浜市桜木町の高台に野毛山公園がある。気温が上昇して桜も満開になったので広場は家族連れの花見客で一杯だった。ここが公園で高い場所だが近くの一番高い所に『佐久間象山碑』と記した木の案内板あり、その奥に佐久間象山顕彰碑がある。これを見た小学生の娘が若い母親に何かと尋ねた。さすがだ、間髪を入れず答えた「『象の碑』と書いてあるから『象のお墓』でしょう」これを聞いて我が耳を疑った。まァ驚いたね。確かに道路を挟んで野毛山動物園がある。昭和26年(1951)の開園から『はま子』という象を飼育していたが平成15年(2003)59歳で死亡するまで53年間象がいた。昭和32年から16歳若いマリコが加わって2頭になったが同62年にマリコが先に死んでしまった。その記憶があったので『象の墓』が思い付いたのだろうか。その後孫娘を連れた祖父が、佐久間象山は長野県の出身で横浜港を勧めたと説明していた。この顕彰碑は昭和29年(1954)ペリー来朝100年を記念して建てられた。碑の題は『横浜開港の先覚者佐久間象山の碑』 碑文は”安政元年1854年米国の使節ペリーが来朝のおり 松代藩軍議役として横浜村にいた佐久間象山先生は 当時の新思想家であり また熱心な開国論者であった 先生は日本が 世界の先進国から とり残されることを憂え 幕府の要路に対してしばしば欧米諸国との通商交易の必要なことを献策した またその開港場として横浜が最適地であることを強く主張し 幕府の決意を促して国際港都横浜の今日の発展の緒を作った 不幸にして先生はその後京都に遊説中攘夷派刺客の兇刃のために木屋町三条で客死した 元治元年1864年7月11日のことであった 本年はたまたま開国100年の記念すべき年に当るので われわれ有志相はかり その功績をたたえるために ここに顕彰の碑を建て 永く後世に伝えることとした 昭和29年10月1日 佐久間象山顕彰会” とある。これからは歴史に疎い手合いが増えるから、無知な親が子供に説明するだろう。坂本龍馬の碑の前でこれは龍と馬のお墓だよ」無知ほど怖いものはない。写真は碑の一部、下は花見の広場から桜の向こうにランドマークタワーが見える。