キツツキのドラミング

思い付くまま, 気が付くまま・・

長期政権を望むなら・・・

2015-08-18 08:55:21 | Weblog

ノミキン博士や専門バカの学者の意見や偏向新聞の論調とそれに煽動された左翼勢力の反対デモと対峙するのが我が国では長期政権の秘訣のようだ。米ソ冷戦時代、吉田内閣は単独(西側陣営)講和条約を決意した。当時の東大学長南原繁は米国で講演、全面講和を主張、また東大卒業式でも全面講和を述べている。彼は米ソ対立で不可能を承知の上、繰り返していたのは吉田自民党政権打倒を狙っていたからだ。これに腹を立てた吉田茂は1950年の自民党秘密両院議員総会で「永世中立とか全面講和などという事は、言うべくして到底行われないことであり、それを南原学長などが政治家の領域に立ち入って、彼是言う事は、『曲学阿世の徒』に他ならないと言えよう」と南原を非難した。1960年岸内閣は米軍に基地提供するだけの片務の日米安保条約を改正して、日米共同防衛の明文化、在日米軍の配置、装備に対する両国政府の事前協議制度の設置などにより平等条約にした。これに反対した社会党、共産党と左翼系学者、進歩的文化人(流行った)、マスコミが一致協力、労組が市民、全学連が学生等を煽動して、安保廃棄、岸内閣打倒の、いわゆる安保闘争を引き起こした。「安保は日本をアメリカの戦争に巻き込まれる」と反対した。現在と何等変わりがない。歴史は繰り返すのだ。狂乱したデモ隊が国会議事堂を取巻き、ゲバ棒を持った暴徒が警官隊に襲い掛かって議事堂の門に綱を掛けて引き倒し、構内になだれ込もうとした。その頃の警視庁機動隊の装備はお粗末なもので警棒のみの防御では頗る不利だった。その後大学闘争などデモ隊が暴動化して過激になった。暴徒は都電の敷石を割って投石、または火炎瓶を投げ込む、足場の鉄パイプをかっぱらって来て武装、警官隊に殴り掛かるなど、乱暴狼藉の限りを尽くした。これに対抗する為に機動隊の装備が年々改良されアルミ製の盾、催涙ガス弾などを使用して鎮圧が可能になった。1972年、在任期間7年8ヶ月の佐藤栄作総理が引退記者会見で「偏向した新聞は嫌いだ。私は直接国民に語りかけたいんだ」記者達から一斉に不満の声が上がると「いいですよ。どうぞ新聞記者諸君は出て行っても構いません。どうぞ出て行って下さい」記者達が出よう、出ようと退室した。ガランとした会見場で残ったテレビカメラに向かって国民に引退声明した。現在安倍内閣が取り組んでいる安全保障関連法案には偏向マスコミに、学者バカを利用する左翼煽動運動家に操られた市民がデモを繰り広げている。中には女子高生の制服を着たインチキ煽動家が現れ、これに釣られて面白半分に参加している現役もいるそうだ。全面講和と単独講和、安保条約改正など過去にマスコミ、一部の左翼系教授、専門バカが反対した事案は悉く彼等の言い分と異なって、平和が70年続いている。日米安保条約を廃棄していたならば我が日本は、ソ連、中共が力尽くで占領、蹂躙しただろう。左翼学者、マスコミなどに担がれ、その煽動の風に乗った細川政権は佐川との金塗れで倒れ、民主党のルーピーハト、空きカン両政権は沖縄基地問題、東日本大震災では周章狼狽して適切な対策もとれず、ただイラカンの悪癖を発揮したのみ、退陣する他なかった。これ等マスコミを利用し、利用された政権が短期に消滅したのは事実が物語っている。『論語読みの論語知らず』のアホウな憲法学者の論法では『国滅びても憲法9条あり』落語の「お前ら与太郎以下じゃないか」