今日の臨時議会で、副議長に就任致しました。
議長には西沢可祝議員が、監査には鈴木由和議員が就任されました。
議長を支え、二元代表制における議会の役割がさらに発揮できるよう全力で努めてまいります!
私たち市民共同議員団3人の新しい担当は次の通りです。
斉藤ゆうじ議員(4期目)
・市民共同議員団団長
・所属委員会:総務文教委員会
・東埼玉資源環境組合議員
・草加八潮消防組合議員
石田けい子議員(1期目)
・市民共同議員団会計
・所属委員会:建設環境委員会(副委員長)、公報委員会
佐藤のりかず(3期目)
・市議会副議長
・市民共同議員団団員
・所属委員会:福祉子ども委員会
先の五つの投稿、同一人物が別人の応答に見せかけて連投してるのバレすぎ。語彙が乏しくワンパターンだからすぐ分かる。ずいぶん共産党コンプレックスというかトラウマも抱えているらしい。
この同一人物の語彙レパートリーは、「機関幹部」「劣化」「実態」「見ようとしない」「民主集中制」「訴願委員会」「規律委員会」が共通して投稿が繋がっている。
それ以外の言語表現は使えないのだから、頭が悪そうだ、というより、もう精神を病んでるんだろうな。何か他の言葉は書けないのかな。駄目だろうな。
(22:09:11)中間機関幹部の劣化した実態...見たくないものを見ようとしない...
(22:59:33)機関幹部の劣化...更に機関が劣化していくということを繰り返す悲劇しか見えない...
(23:44:20)民主集中に象徴されるレーニン型の組織...訴願委員会、規律委員会も機能停止...おぞましい実態...
(01:36:47)私は民主集中制には反対の立場ではありません...民主集中制は、一歩間違えたら...
(01:49:46)規律委員会、訴願委員会に関しては...
まあ、これからもずっと不名誉なままだと思うけど。改選で落ちたあとも。なにしろ他人の組織と選挙資金と看板名を利用して市議会議員に当選させてもらっておいてから組織を脱退して議員報酬だけは受け取っているのだから。
「人生をかけて所属していた政党として、情けなくなります」と誰かが別のところで書いているが、これは大嘘だな。自分の生活維持のために共産党を利用して議員になっただけだ。
その意味では恩知らずどころか、裏切り者だ。人生をかけて、が聞いてあきれるわ。
選挙資金うんぬんとおっしゃておりますね。気になって、政治資金収支報告書を調べてみました。
佐藤議員は年60~100万円程度、日本共産党に毎年支出しておりました。4年間で300万円程度だとすると市議選にかける費用としてはだいぶ多いんじゃないでしょうか。保守系市議に「選挙っていくらくらいかけるのか」と話を聞いたところ、「全部で150万くらい」と言ってましたので、佐藤市議は自分のお金で選挙戦しているといっても過言でないと思いますが。
政治資金報告書に記載されているのは、佐藤の党に対する寄付額だ。佐藤にとってその財源は、おもに市会議員として受け取る議員報酬であろう。しかもそれは、あくまでも「共産党の市会議員」として受け取った報酬だ。共産党議員の資格で得た報酬の一部を党にいわば返納しているのだ。
ところで市議会議員の収入は、草加市の場合、議員報酬の名目だけでも、現行月額47万円と定められている。
年額100万円の寄付金であれば、それは費目としては、党費ぐらいであろう。
また、「年に60万円~100万程度」とかいう党費+寄付金額の一部が、党財政の中で見て、選挙資金の一部に充当されることがあるかもしれない。ただし、その金額自体は、佐藤個人の選挙のための支出ではない。
「政治資金収支報告書」に記載の、佐藤名義による党への納入額、「4年間で300万円程度」は、その全額が「佐藤個人の選挙資金」に支出されるのではない。
加えて、ある保守系議員が「選挙にかけるのは150万円ぐらい」と言ったのが真実だとしても、それは、この議論にはまったく関係ない。
保守系議員は自分への寄付金と自腹で選挙資金を調達する。共産党の選挙は候補者個人が調達するのではない、組織の財源で供託金を払い、組織の財源で選挙戦を戦う。そこには選挙時の支持者からのカンパも含まれる。
佐藤その他、5名の党員を立候補させて投票日まで選挙活動すれば、当落のいかんは別として、300万円での資金ではまったく足りない。
要するに、共産党の選挙資金の財源は、立候補者個人が党に納めた寄付金だけではない。
「佐藤は保守系議員よりも選挙にかける金が多い」とは、共産党の選挙について無知で、反論も要しない、見当違いの言い草だ。
支持者と市民のカンパや寄付で選挙をたたかい、共産党の名で当選しながら、勝手に共産党を脱退して支持者を裏切るのみか、結果的に党と支持者の浄財を巻き上げ、さらに議員報酬を受け取り続ける。これはまさに裏切り行為であって、不名誉な行為として後にまで記録される、ということだ。
法的にはいざ知らず、道義的には「犯罪」と言って差し支えない。