殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

紅白

2011年01月04日 15時19分37秒 | みりこんぐらし
            「今日見かけた、なんだかお派手なお船…ま、宝船ってことで」


あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いします。


NHKの紅白歌合戦。

以前は本当に楽しみであった。

生きるのがつらかった頃、紅白こそ我が希望のトモシビであった。


「来年は笑って暮らしたい」が、毎年の念願だった私にとって

紅白歌合戦は、厳しい今年に別れを告げる華やかな儀式だった。

蛍の光の合唱で紅白が終わると、画面は“行く年来る年”に切り替わり

遠く知らない町のお寺の鐘がゴ~ンと鳴る。

忌まわしき今年をようよう見送った安堵と、来年への期待で

ワッと泣きだしたいような気分になったものだ。


いい年でありますように…誰でも漠然とそう願う。

そして願ったことなど忘れて、日常を送る。

けれども私の“いい”は細かい。

「どうか夫がマトモになりますように。

 それからあの、できたら夫の家族からきついことを言われませんように。

 あ、そんで、もし可能だったら、夫の親戚から攻撃されませんように。

 仲良くとか、優しくしてとか、大きな望みは持ちません…

 ただ母子3人、そっとしておいて欲しいんですぅ」


私は、願いが聞き届けられるかどうかを

毎年どころか、毎日検証し続けた。

自分が笑うも泣くも、人の言動次第と思っていた。

回りの人さえちゃんとしてくれれば、自分は幸せになれると思い込んでいた。


直接頼んだところで「じゃあ気をつけます」なんて言わないだろうから

天なのか神仏なのか、とにかくそういう所へ遠回しにお願いする。

このココロネで幾年月…

思惑通りの年は、待てど暮らせど、いっこうにやってこなかった。


そうやってついぞ数年前まで、私にとっての「いい年」を待ち焦がれた。

たったこれだけの謙虚な願いが、なぜ叶わないのかと

何年も、何十年も、歯がゆく腹立たしかった。


この状況は、数年前、夫の祖母の死によって激変した。

100才を越えた彼女の死で、まず消滅したのが

義父アツシのきょうだいと、その子供達で構成された血の結束であった。


祖母のあらぬ遺産を巡って、骨肉の争いが生じ

離婚して離れた者まで現われて、おこぼれにありつく権利を主張した。

祖母の葬儀の直後、アツシが娘の次にかわいがっていた姪達は

「財産があるはず」とアツシに詰め寄った。

祖母が老人ホームに入ってから20年近く

祖母の小さな古家に住みついていた未亡人の叔母にも

過去にさかのぼって使用料を要求した。


月に数万の年金で、月に17万必要な老人ホームに入り

100年生きたらどういうことになるかは、誰でもわかろう。

長兄が早く亡くなったため、ずっと次男であるアツシが援助していたのだ。

遺産分けどころか、持ち出しの分を割り勘にして欲しいくらいだ…

とアツシはぼやいていた。


血の結束は、その時点でバラけた。

良くも悪くも結束バンドの役割りをしていた伯母は

その数ヶ月前に他界していたので、修復する者はいなかった。

出せと言われた者は、一人でも多くの味方を欲して

急に私を仲間に入れたがった。

出せと言った者は、遺産が無いとわかると、まったく寄りつかなくなった。

居心地の良い日々は、そこから始まった。


“はからい”は、忘れた頃に絶妙なタイミングで

まず遠い所から徐々に執行される。

この法則めいたものに気づいた最初の出来事であった。


私は多分、早くから入り口の前まで来ていたと思う。

その扉の前で、ずっと足踏みしていたのだ。

近くて手が届きそうだからこそ、いら立ちも倍増だったのではないかと思う。


扉を開けるには「すべて自分次第」という呪文が必要だった。

いい年になればいいなあ…じゃなくて

自分でいい年にするんだ!という気迫が足りなかったのだ。


そりゃ生きていれば嫌なことはあるし、時には災難もふりかかる。

しかし「ああ、また…どこまで私を苦しめれば気がすむの?」と

いちいち立ち止まって苦悶する時間が惜しい。

全力で走って、せいせいしてあの世へ行くには

「ああされた、こう言われた」の受け身ばっかりで生きたらダメなんじゃ。


今になって思う。

いやはや、人の言動を制御するのは

小さな望みなんかではなく、だいそれた野望であった。

すべて自分次第とわかってから、生きることそのものが娯楽に転じた。

ランナーズハイが訪れたのだ。

こうなりゃもう、毎年どころか毎日いい日であるから

いい年、笑える年は、簡単に、確実にやってくる。


だからこそ、過ぎ去った去年がいとおしく、新年が嬉しい。

よって、紅白歌合戦のお力を借りずとも、年越しができるようになった。

さんざんお世話になっておきながら、今ではこの国民的行事を

冷ややかに眺める私がいる。


背が高いばっかりに、ドレスと不釣り合いなぺたんこ靴を履かされる

司会の松下奈緒。

男性歌手って小柄な人が多いので、並んで立つ松下嬢との

対比を懸念しているのだ。

なんてかわいそうな松下奈緒!

長身の女って、何かと不利なのよね。

身につまされるわ。


しかし靴の見返りとして、松下嬢にはピアノ独奏の場が与えられる。

音大のピアノ科出身で作曲もでき、CDも出している松下嬢にとっては

国内外にそれを知らしめるチャ~ンス!

福山雅治の断髪式も盛大に執り行われる。

これで彼は、長くささやかれていたヅラ疑惑を払拭したのではあるまいか。

その年NHKに貢献した人が、あからさまに優遇される形態は

すっかり定着したようだ。


嵐が、ちゃんと歌い踊るところを初めて見た。

歌は口パク疑惑であったが、なるほど人気があるのがわかる。

誰も落ちこぼれることなくダンスがうまくて、まさに男宝塚。

これぞ生きた観光地、歩くディズニーランドだ。

全盛期の勢いが伝わってくる、華やかな舞台であった。

義母ヨシコが、ニノだショウだと夢中になるのも、わかるというものだ。


ドリカムも良かった。

ファンの人には申し訳ないが、本来ドリカムの歌は、私の好みではない。

ボーカルの女性の、年中ヨッパライみたいなところも好きではない。

それでも、良い年がやってくるような、明るいエネルギーを感じた。

最後にスマップの落日を感じ、紅白は終わった。
コメント (34)
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