殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

結局金かよ・その3

2014年06月24日 14時03分48秒 | 前向き論
《キミさん》

22年前、祖父の最期を看取ったのは

当時一緒に暮らしていた70代のキミさんである。

老い2人の仲は穏やかで睦まじく

優しく大らかなキミさんの人柄は、祖父はもとより我々まで

温かく包み込むような雰囲気があった。


キミさんは若い頃にご主人と別れた後、ずっと食堂を経営していた。

加齢により、仕事を引退してからは

娘さん夫婦が店をカラオケスナックに商売変えした。


キミさんの娘さんは、当時40代後半だった。

エッちゃんと呼ばれていたこの人も

ミツさんの娘同様に調子がよく

酒とタバコで枯れた声で、祖父のことを「お父ちゃん」と呼んでいた。

老人世帯は両親のサポートで成立していたが

エッちゃんも店の無い昼間、祖父の家を訪れては

チャキチャキと世話を焼いた。


すでに結婚して子供がいた我々孫は

祖父に呼ばれた時以外、彼らに会うことは滅多になかった。

家というのは、女の機嫌さえ良ければ平穏に回るものである。

他人の生んだ我々は、しょせんオトコの付属品に過ぎない。

付属品が気まぐれに出入りし、小姑として女性にストレスをかけるより

薄情者と呼ばれる方が平和である。

その平和が、ひいては祖父の幸せに通じることを

我々は経験から知っていた。


会いたいとか、身体が心配という自然な肉親の気持ちは

途中からそばに付いた女性にとって、面白くない感情のようだ。

こちらが心配することはすなわち、あんたじゃ信用できないと

言われているように感じて傷ついてしまう…

弱った手や背中に触れたり、血縁者だけで会話することに

かすかな嫉妬や違和感を積み重ねてしまう…

それが他人というものある。


キミさんは、そのようにうがった傾向の人ではなかったが

いつ、何に傷つくかわからないのが他人だ。

ほどほどにうまく立ち回るなんて、できるもんじゃない。

ともすればうっかり湧き上がる肉親の情を抑えること…

逆縁の家に生を受けた我々の、それが努めであった。



キミさんと暮らし始めて3年、祖父は入院し

キミさんに見守られて、2ヶ月後に息を引き取った。

葬式の後、娘夫婦の住む自宅に戻ったキミさんだが

それからわずか5ヶ月後、トイレで倒れ、そのまま帰らぬ人となった。


私と妹がキミさんの死を知ったのは、半月ほど経ってからだった。

お悔やみに行かなければ…

単純にそう思い、日曜日に妹と連れ立って

隣の市の自宅兼スナックを訪ねた。


去年の秋、祖父のなきがらの前で一緒に泣いた

あのエッちゃんは、もういなかった。

顔をこわばらせてよそよそしい、エッちゃんという名の女の人ならいた。


キミさんの仏前に手を合わせていると

エッちゃんのご主人を始め、息子や娘や孫が

ワラワラと仏間に集まってきた。

一緒にお参りしてくれるのだと思ったが、どうも違う。

ソワソワした緊張感が漂っている。


幼い孫が叫んだ。

「来るな!帰れ!」

幼児の憎まれ口に、私は全てを理解した。

躾の悪いガキが発したこの言葉は

たまたまとはいえ、今この部屋に集合している人々の総意なのだ。


来てはいけなかったのだ。

そこで初めて、祖父の遺した現金は

全てキミさんのものになっていたことを思い出す。

祖父の入院中、キミさんとエッちゃんはせっせと銀行を回り

祖父の預金をキミさんの名義に書き換えたり、引き出していた。

両親は銀行の人から聞いて知っていたが、黙認していた。

我々がガラクタと呼ぶ、祖父の骨董や調度品も

一つ、また一つと消え

最後にケヤキ材の碁盤を持ち出したのも知っていたが

誰も関心を持たなかった。


キミさんが急死したので、それらの金品はエッちゃんのものになった。

エッちゃんは、相続権を持つ我々が

その件に触れるのを恐れているのだった。


亡くなったキミさんにお礼を言い、冥福を祈りたいだけの我々には

思いもよらぬことである。

しかし相手が脅威を感じている以上

我々は紛れもなく、招かれざる客なのだ。

民家の周辺に迷い出た、熊のような心持ちであった。


その後、エッちゃんと会うことはなかった。

スナックが潰れ、どこかへ行ってしまったからである。

《続く》
コメント (6)
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