正月休みが明け
工事現場への商品納入が開始された。
年末に交わしたこの契約とは別に
我が社と田中氏は
次の契約を交わす必要があった。
芋の種類に、なると金時や紅さつまがあるように
我が社の扱う建設資材も用途別に種類があり
納入場所や運搬料金がそれぞれ違うからだ。
公共工事の始まりは、こうした契約ごとが続く。
契約の日取りを決めるまでもなく
田中氏が今月の14日に来ると言う。
本来なら、仕事をもらう方のこっちが
都会にある田中氏の会社へ出向くのが当然だが
「本社から変なのが来たら嫌じゃ。
ワシもこう見えて忙しいけんのぅ。
先も長うないし、バカと会う時間が惜しいのよ」
それが理由である。
夫は契約が14日になることと
我が社で行う旨を永井部長に連絡した。
黙っときゃいいようなもんだけど
役員会議の決定で、この工事に関する契約は
営業部の仕事になっている。
これも一応、スジってやつ。
「わかりました」
永井部長はそう答えた。
夫は田中氏と相談しながら単価を決めたり
日程の調整や仕入れ先への交渉を進め
経過を営業部に連絡しながら数日を過ごした。
そして2回目の契約書を交わす日が
明日に迫った13日。
永井部長から夫に電話があった。
「明日の契約は中止にして
改めて15日に営業部が行かせてもらうと
田中社長に連絡してもらえませんか?」
「‥何で?」
夫はいぶかしんだ。
「こっちから行くのがスジでしょう。
あさってなら、僕の身体が空くんですよ」
「自分で連絡しんさいや」
スジを持ち出すわりには、自分の都合を優先する
スジ音痴の永井部長にスジを教示された夫は
腹を立てて電話を切った。
「今さら急にやる気になって、一体何なんだ!」
プリプリ怒る夫。
彼よりもゲスにちょっと詳しい
自称ゲス研究家の私は解説する。
「前回より金額がヒトケタ多いけん
欲が出たんじゃ」
「あれだけ田中のオヤジさんに不義理しといて
平気で会えるとは思えん」
「心配ない、全部あんたのせいになっとる」
「ええ~‥?」
「あんたが何も連絡しないから
全然知らなかったと被害者を装う」
「ええ~‥?」
「ヤツの秘密兵器、永井リセット」
「そんな‥」
「どうせ、ええ話にはなりゃせんわ。
切られてもええじゃん。
ゲスに魅入られたら、あきらめるしかないで」
我々の会話はそこで終わった。
その夕方のことである。
永井部長から夫に電話があった。
田中氏と話して、日程の変更を頼んで断られ
その時、単価のことに触れたらしい。
「利益が少ないので、もう少し単価を
上げてもらえませんか?」
これが秘密兵器、永井リセットに続く
永井部長の必殺技、永井スペシャル。
我々はそう呼んでいる。
彼はこの手をよく使う。
お互い納得して決めた単価を
契約書を交わす直前にしゃしゃり出てきて
50円、100円と、みみっちい金額を持ち出す。
最後に何か決めた者が手柄を得ると信じている
彼の得意技である。
一つ一つ、細かく値切って歩けば
わずかに増えた利益は数字に現れる。
それを「最終的に僕が交渉しました」
と会社で言い、自分が出たから締結したと
都合よく説明すれば、細かい事情を知らない者は
よくやったと思ってしまう。
永井部長はこれを誰よりも熱心に繰り返し
利益追求の情熱を評価されて
42才の若さで取締役にまで上り詰めた。
人数の多い会社は、上に対する気配りと
本人の体温の高さだけが目立ち
実際に誰がどれだけ貢献したなんて
あんまりわからないものだ。
商売人は違う。
「前回泣かせてもらったから
今回ちょっと色つけてよ」と次につなげる。
細かいことを言っていたら
ケツの穴の小さいヤツと思われて、顧客は逃げる。
一時のわずかな利益を欲しがって
次で逃げられたら、二度と利益は生まない。
手綱はゆるく、そしてたくさん持っておくのが
商道というものである。
彼には、このフィーリングが無い。
金の卵を産むニワトリの腹を裂くに等しい
この必殺技を、我が社の取引先にも繰り出すので
今まで何度も恥をかいたり謝ったり、同情された。
正直なところ、合併して一番迷惑なのがこれだ。
しかし我々は今までの経緯から
まさか田中氏に向けて
永井スペシャルは出すまいと踏んでいた。
永井部長がしれっと夫に言うのが聞こえる。
「単価を100円上げて欲しいと言ったら
田中社長が怒ったみたいだから
謝っといてください」
夫は絶句した。
(続く)
工事現場への商品納入が開始された。
年末に交わしたこの契約とは別に
我が社と田中氏は
次の契約を交わす必要があった。
芋の種類に、なると金時や紅さつまがあるように
我が社の扱う建設資材も用途別に種類があり
納入場所や運搬料金がそれぞれ違うからだ。
公共工事の始まりは、こうした契約ごとが続く。
契約の日取りを決めるまでもなく
田中氏が今月の14日に来ると言う。
本来なら、仕事をもらう方のこっちが
都会にある田中氏の会社へ出向くのが当然だが
「本社から変なのが来たら嫌じゃ。
ワシもこう見えて忙しいけんのぅ。
先も長うないし、バカと会う時間が惜しいのよ」
それが理由である。
夫は契約が14日になることと
我が社で行う旨を永井部長に連絡した。
黙っときゃいいようなもんだけど
役員会議の決定で、この工事に関する契約は
営業部の仕事になっている。
これも一応、スジってやつ。
「わかりました」
永井部長はそう答えた。
夫は田中氏と相談しながら単価を決めたり
日程の調整や仕入れ先への交渉を進め
経過を営業部に連絡しながら数日を過ごした。
そして2回目の契約書を交わす日が
明日に迫った13日。
永井部長から夫に電話があった。
「明日の契約は中止にして
改めて15日に営業部が行かせてもらうと
田中社長に連絡してもらえませんか?」
「‥何で?」
夫はいぶかしんだ。
「こっちから行くのがスジでしょう。
あさってなら、僕の身体が空くんですよ」
「自分で連絡しんさいや」
スジを持ち出すわりには、自分の都合を優先する
スジ音痴の永井部長にスジを教示された夫は
腹を立てて電話を切った。
「今さら急にやる気になって、一体何なんだ!」
プリプリ怒る夫。
彼よりもゲスにちょっと詳しい
自称ゲス研究家の私は解説する。
「前回より金額がヒトケタ多いけん
欲が出たんじゃ」
「あれだけ田中のオヤジさんに不義理しといて
平気で会えるとは思えん」
「心配ない、全部あんたのせいになっとる」
「ええ~‥?」
「あんたが何も連絡しないから
全然知らなかったと被害者を装う」
「ええ~‥?」
「ヤツの秘密兵器、永井リセット」
「そんな‥」
「どうせ、ええ話にはなりゃせんわ。
切られてもええじゃん。
ゲスに魅入られたら、あきらめるしかないで」
我々の会話はそこで終わった。
その夕方のことである。
永井部長から夫に電話があった。
田中氏と話して、日程の変更を頼んで断られ
その時、単価のことに触れたらしい。
「利益が少ないので、もう少し単価を
上げてもらえませんか?」
これが秘密兵器、永井リセットに続く
永井部長の必殺技、永井スペシャル。
我々はそう呼んでいる。
彼はこの手をよく使う。
お互い納得して決めた単価を
契約書を交わす直前にしゃしゃり出てきて
50円、100円と、みみっちい金額を持ち出す。
最後に何か決めた者が手柄を得ると信じている
彼の得意技である。
一つ一つ、細かく値切って歩けば
わずかに増えた利益は数字に現れる。
それを「最終的に僕が交渉しました」
と会社で言い、自分が出たから締結したと
都合よく説明すれば、細かい事情を知らない者は
よくやったと思ってしまう。
永井部長はこれを誰よりも熱心に繰り返し
利益追求の情熱を評価されて
42才の若さで取締役にまで上り詰めた。
人数の多い会社は、上に対する気配りと
本人の体温の高さだけが目立ち
実際に誰がどれだけ貢献したなんて
あんまりわからないものだ。
商売人は違う。
「前回泣かせてもらったから
今回ちょっと色つけてよ」と次につなげる。
細かいことを言っていたら
ケツの穴の小さいヤツと思われて、顧客は逃げる。
一時のわずかな利益を欲しがって
次で逃げられたら、二度と利益は生まない。
手綱はゆるく、そしてたくさん持っておくのが
商道というものである。
彼には、このフィーリングが無い。
金の卵を産むニワトリの腹を裂くに等しい
この必殺技を、我が社の取引先にも繰り出すので
今まで何度も恥をかいたり謝ったり、同情された。
正直なところ、合併して一番迷惑なのがこれだ。
しかし我々は今までの経緯から
まさか田中氏に向けて
永井スペシャルは出すまいと踏んでいた。
永井部長がしれっと夫に言うのが聞こえる。
「単価を100円上げて欲しいと言ったら
田中社長が怒ったみたいだから
謝っといてください」
夫は絶句した。
(続く)