お暑うございます。
甲子園が盛り上がっている今日この頃
皆様、お元気でお過ごしでしょうか?
近年の高校野球は打撃が盛んになり
点を取ったり取られたり、見応えがありますね。
でも私の楽しみは、もう一つあります。
応援のブラスバンド。
部活がブラスバンドだったので、ついそっちに耳が行きます。
規模、技術、選曲のセンスなど
見どころ‥いえ聴きどころはたくさん。
球児のみならず、後方の応援団も真剣勝負をしているのです。
私の勝手な基準では、今年は今のところ大阪桐蔭の総合点、高し。
もっとすごいチームが現れるかしら‥と
毎年、甲子園の一回戦は楽しみです。
さて、家族4人が一緒に暮らすようになると
20代後半の義父アツシは、一念発起して起業する。
それまでのアツシは定職を持たなかった。
人に混じってコツコツ働けるタイプでないからだが
材木などの輸出入や、さまざまな業種のブローカーなど
依頼による単発仕事を請け負って生計を立てていた。
つまり真面目や上品とは程遠い。
しかしこれは助走のようなもので
本人にも周囲にも、いずれひと山当てる予感があった。
そういう予感が現実になりやすい時代でもあったので
誰も心配はしなかった。
会社を作るにあたって、資金調達などのお膳立ては全てアツシが行ない
仕上げに6才離れた自分の兄を誘った。
兄はアツシ夫婦とほぼ同時期に結婚していたが
結婚当時、相手は10才年下の16才。
美人ホステスと評判の少女であった。
酒の飲めない兄が、なぜ彼女と知り合ったかは誰も知らない。
いかにワイルドなアツシ一族でも、この結婚は受け入れ難く
兄夫婦は一族から孤立していた。
兄思いのアツシは、この溝を埋めようとしたのだ。
経営には兄嫁と義母ヨシコも加わり、出だしからすこぶる順調だった。
アツシは相変わらず夫にきつく当たったが
時にはおもちゃを買い与えたり、外食にも出かけるようになった。
「お父ちゃん、白いコーヒー、飲みに行こうよ」
夫は父親の機嫌がいい時、そう言って喫茶店に誘った。
喫茶店でアツシはコーヒー、夫は牛乳を飲む。
小さい夫は、自分もコーヒーを飲んでいると信じていたのだった。
生活が安定すると、アツシはまた次々と浮気にのめり込み
ついでにゴルフを覚えてしまう。
夢中になったアツシは、仕事を休んでゴルフに出かけるようになった。
兄夫婦の非難は、ヨシコに向けられた。
ヨシコは板挟みと浮気で、悩み苦しむ日々を送ることになる。
祖母の介護疲れも残っていただろうし、産後の肥立ちも良くなかったのか
重いおたふく風邪を患った後、三叉神経痛になった。
頭や顔がものすごく痛い病気だ。
ヨシコは経理の仕事ができなくなり
やがて気がつくと、会社はいつの間にか兄夫婦に乗っ取られていた。
昔の長男と次男の身分差は徹底しており、届出の際
兄を立てるつもりで代表取締役に据えたのが敗因である。
こう言うと、いかにも兄夫婦が悪そうだが
同じ立場になって考えてみると、やはりどうしようもなかったと言うしかない。
会社が好調だからこそ、遊び回る弟と
寝たり起きたりの義妹をあてにはできない。
切るしかないのだ。
他人や弱い者には喧嘩を吹っかけるアツシだが
兄にだけは逆らえない習性があった。
兄弟喧嘩を避けたかったアツシは、きっぱりと身を引いて無職になった。
この潔い行動に、感銘を受けた年配の友人がいた。
数ヶ月後、アツシはその人の尽力で別の会社を興した。
夫が腕を折られたのは、この狭間である。
兄夫婦に裏切られた無念にさいなまれつつ
一方では会社の立ち上げで慌ただしく
家に帰れば妻が痛い、痛いと床に伏せていた、そんな時期なのだった。
我が子の悲劇を傍観したヨシコだが
三叉神経痛というのは本当に辛い病気だ。
半世紀以上前の当時、ブロック注射は普及しておらず
治療法の無い業病(ごうびょう)と言われていた。
ヨシコは県内外の病院を訪ね歩き、様々な治療を試したが
成果はかんばしくなかった。
私は経験が無いものの、毎晩泣きながら眠っていたのが元で
蓄膿症になったことはあるので、その何分の1かの痛みはわかる。
頭や顔がひとたび痛み始めると七転八倒、子供どころの騒ぎではない。
痛みが収まっている時は、次にやってくる痛みが恐ろしくて怯える。
風が吹いても雨が降っても、大きな音がしても
痛みの引き金になりそうで怖い。
感情を揺らすことが、恐怖なのだ。
私は通院したらケロッと全快したが
あれが何年も続いて治療法が無ければ、誰だっておかしくなる。
我が子を守れなかったことを責められない。
アツシを諌め、温かい家庭を成形し直すという願いが
もしもヨシコにあったとしても、やり遂げることは不可能だっただろう。
アツシの会社は高度成長の波に乗り、急激に売り上げを伸ばした。
面白いように金が入り始めると、ヨシコの病気は少しずつ回復し
会社の経理を手伝うようになる。
これで幸せになれる‥ヨシコは喜んだ。
しかし、そうはいかなかった。
社長になったアツシは仕事に燃えたが、浮気熱の方も絶好調。
30才になるやならずで大金をつかんだのだ。
弾けない方がおかしい。
ヨシコの気が晴れることはなかった。
そして夫が骨折した翌年、今度はお姉ちゃんに悲劇が訪れたのだった。
《続く》
甲子園が盛り上がっている今日この頃
皆様、お元気でお過ごしでしょうか?
近年の高校野球は打撃が盛んになり
点を取ったり取られたり、見応えがありますね。
でも私の楽しみは、もう一つあります。
応援のブラスバンド。
部活がブラスバンドだったので、ついそっちに耳が行きます。
規模、技術、選曲のセンスなど
見どころ‥いえ聴きどころはたくさん。
球児のみならず、後方の応援団も真剣勝負をしているのです。
私の勝手な基準では、今年は今のところ大阪桐蔭の総合点、高し。
もっとすごいチームが現れるかしら‥と
毎年、甲子園の一回戦は楽しみです。
さて、家族4人が一緒に暮らすようになると
20代後半の義父アツシは、一念発起して起業する。
それまでのアツシは定職を持たなかった。
人に混じってコツコツ働けるタイプでないからだが
材木などの輸出入や、さまざまな業種のブローカーなど
依頼による単発仕事を請け負って生計を立てていた。
つまり真面目や上品とは程遠い。
しかしこれは助走のようなもので
本人にも周囲にも、いずれひと山当てる予感があった。
そういう予感が現実になりやすい時代でもあったので
誰も心配はしなかった。
会社を作るにあたって、資金調達などのお膳立ては全てアツシが行ない
仕上げに6才離れた自分の兄を誘った。
兄はアツシ夫婦とほぼ同時期に結婚していたが
結婚当時、相手は10才年下の16才。
美人ホステスと評判の少女であった。
酒の飲めない兄が、なぜ彼女と知り合ったかは誰も知らない。
いかにワイルドなアツシ一族でも、この結婚は受け入れ難く
兄夫婦は一族から孤立していた。
兄思いのアツシは、この溝を埋めようとしたのだ。
経営には兄嫁と義母ヨシコも加わり、出だしからすこぶる順調だった。
アツシは相変わらず夫にきつく当たったが
時にはおもちゃを買い与えたり、外食にも出かけるようになった。
「お父ちゃん、白いコーヒー、飲みに行こうよ」
夫は父親の機嫌がいい時、そう言って喫茶店に誘った。
喫茶店でアツシはコーヒー、夫は牛乳を飲む。
小さい夫は、自分もコーヒーを飲んでいると信じていたのだった。
生活が安定すると、アツシはまた次々と浮気にのめり込み
ついでにゴルフを覚えてしまう。
夢中になったアツシは、仕事を休んでゴルフに出かけるようになった。
兄夫婦の非難は、ヨシコに向けられた。
ヨシコは板挟みと浮気で、悩み苦しむ日々を送ることになる。
祖母の介護疲れも残っていただろうし、産後の肥立ちも良くなかったのか
重いおたふく風邪を患った後、三叉神経痛になった。
頭や顔がものすごく痛い病気だ。
ヨシコは経理の仕事ができなくなり
やがて気がつくと、会社はいつの間にか兄夫婦に乗っ取られていた。
昔の長男と次男の身分差は徹底しており、届出の際
兄を立てるつもりで代表取締役に据えたのが敗因である。
こう言うと、いかにも兄夫婦が悪そうだが
同じ立場になって考えてみると、やはりどうしようもなかったと言うしかない。
会社が好調だからこそ、遊び回る弟と
寝たり起きたりの義妹をあてにはできない。
切るしかないのだ。
他人や弱い者には喧嘩を吹っかけるアツシだが
兄にだけは逆らえない習性があった。
兄弟喧嘩を避けたかったアツシは、きっぱりと身を引いて無職になった。
この潔い行動に、感銘を受けた年配の友人がいた。
数ヶ月後、アツシはその人の尽力で別の会社を興した。
夫が腕を折られたのは、この狭間である。
兄夫婦に裏切られた無念にさいなまれつつ
一方では会社の立ち上げで慌ただしく
家に帰れば妻が痛い、痛いと床に伏せていた、そんな時期なのだった。
我が子の悲劇を傍観したヨシコだが
三叉神経痛というのは本当に辛い病気だ。
半世紀以上前の当時、ブロック注射は普及しておらず
治療法の無い業病(ごうびょう)と言われていた。
ヨシコは県内外の病院を訪ね歩き、様々な治療を試したが
成果はかんばしくなかった。
私は経験が無いものの、毎晩泣きながら眠っていたのが元で
蓄膿症になったことはあるので、その何分の1かの痛みはわかる。
頭や顔がひとたび痛み始めると七転八倒、子供どころの騒ぎではない。
痛みが収まっている時は、次にやってくる痛みが恐ろしくて怯える。
風が吹いても雨が降っても、大きな音がしても
痛みの引き金になりそうで怖い。
感情を揺らすことが、恐怖なのだ。
私は通院したらケロッと全快したが
あれが何年も続いて治療法が無ければ、誰だっておかしくなる。
我が子を守れなかったことを責められない。
アツシを諌め、温かい家庭を成形し直すという願いが
もしもヨシコにあったとしても、やり遂げることは不可能だっただろう。
アツシの会社は高度成長の波に乗り、急激に売り上げを伸ばした。
面白いように金が入り始めると、ヨシコの病気は少しずつ回復し
会社の経理を手伝うようになる。
これで幸せになれる‥ヨシコは喜んだ。
しかし、そうはいかなかった。
社長になったアツシは仕事に燃えたが、浮気熱の方も絶好調。
30才になるやならずで大金をつかんだのだ。
弾けない方がおかしい。
ヨシコの気が晴れることはなかった。
そして夫が骨折した翌年、今度はお姉ちゃんに悲劇が訪れたのだった。
《続く》