殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

週刊ヒロシ・第7弾

2017年08月23日 09時41分57秒 | みりこんぐらし
過酷な環境下で、大人の顔色をうかがいながら育った子供は

精神に何らかの影響を受けやすい。

夫ヒロシもその例外ではなかった。

彼の場合、主な症状は吃音、虚言癖、おどおどした態度

大量の発汗などである。

父親、または父親に似た、声の大きい男性の前では

これらの症状がよく出た。


私の前では‥というよりも、女性の前や

物腰の柔らかい男性の前では出ない。

多くの人は、彼に高評価である。

「優しくて礼儀正しい、とてもいい子」

私もまた、そう思った一人。

だから結婚した。

父親の前と他人の前では別人になることなど、予想だにしていなかった。

夫のこの性質は、結婚後に知った。

どっちが本当の彼かも、当時はわからなかった。

その激しいコントラストの分だけ、彼の持つ闇が深いことも知らなかった。


父親のアツシは、いつも夫にいら立っていた。

どもるといっては叱り、落ち着きがないといっては怒った。

そこへ日夜、夫の姉が様々なワナを仕掛ける。

態度だけでなく、仕事の上でも父親を怒らせようとするのだ。

父親が弟に注目する間は自分の安全が確保されるため

率先して弟を売る作業に励んだ。

暴君の父親を誰よりも恐れているのは、彼女かもしれなかった。


姉の告発により、子供たちや他人の前でボロクソに怒鳴られた後

夫はよく涙を流した。

それを見ると、冷酷な私でも胸が締め付けられる。

「立ち上がれ!共に戦おう!」

彼の浮気がなければ、私はナチスに対抗するレジスタンスのごとく

コブシを突き上げてこう言ったはずだ。

が、よそのおネエちゃんに夢中な男と組んだって仕方がない。

裏切られ、陥れられるのはわかっている。

私は怒りに燃えて本気にならないよう、努めて自制するのだった。


夫はそんな私を見限り、よそのおネエちゃんと現状打破を目論んだ。

ある時は『ビリーブ・マイセルフ(もちろん英語)』

と書いてある、おネエちゃん直筆のメモを後生大事に持ち

つらい時はそれを眺めた。

またある時は、姉を追い出して父親の会社を乗っ取ろうと

無知なカップルなりに画策した。

その様子を見ては「やっぱりこいつと組まなくて良かった」と

胸をなでおろす私だった。


今にして思えば、我々夫婦は完全にすれ違っていた。

ビリーブ・マイセルフと書いて励ましたり、下剋上を企てるのは

もしかしたら私がやるべきことだったのかもしれない。

私はどっちもやらないと思う。

そんな単純なことで解決できる問題でないのは

中に入っているので知っている。

自分を信じて!なんて言ったって、自分の何を信じるのか

夫には皆目見当がつかないだろう。

姉を追い出して会社を乗っ取ったところで

お父ちゃんに怒られて涙が出る息子に

社員や取引先が付いてくるかは、はなはだ疑問。

銀行が夫を認めるかどうかも同じく。

銀行が付かなければ、手形が割れないので商売はできない。


不倫カップルの考えは甘く、夢夢しい。

それでも、うわべの芝居でいい、失敗に終わってもいいから

夫にはとりあえずの希望が必要だった。

方や私は、どうやって夫を助けるか、具体的で確実な案を模索した。

結論がなかなか出ないうちに浮気が始まり、お互いに夫婦を投げるに至った。


助けなくてよかったのだ。

夫は過酷の海で溺れていたかったのだ。

私がうわべで彼の苦労を賞賛し、共に涙を流し、励ましてやれば

夫は自信を得て安心したであろう。


いつまで経っても成長しない‥

いくつになっても若者気分‥

過去30数年、夫に対してそう思ってきたが

彼が幼少時に持てなかった自信や安心を植え付け

人間としてのスタート地点に立たせるのは、もしや私の仕事ではなかっただろうか。

私は憎しみと引き換えに、その仕事を怠ったのではなかろうか。

夫を潰し、成長を阻んでいたのは

父親のアツシというより、私ではないかと思う。

ありゃりゃ。


夫には申し訳ないことをした‥

浮気で意地にならず、彼が望んでいるうちに離婚してやりゃ良かった‥

とまあ、幾分殊勝なことを考えるようになったのは年のせいもあるし

また、死期の迫ったアツシと夫の

当たり前だが本当の親子のような光景に触発されたからである。


ただし、離婚して女房が変わった場合

何もかも失った両親を愛でつつ、介護に勤しめる環境を得られたかどうかは

わからない。

ハタで励ますだけなら猿でもできるが、家を背負い、会社を背負うのは

よその亭主と寝たあげく、妻になりたがる女には無理だからだ。



これで長かった私の旅は、ひとまずの終焉を迎えた。

でも次の旅はもう始まっている。

夫を育て、伸ばす旅だ。

今までも育ててきたつもりだし、多少は伸ばした気もするが

それは私の自己満足で、本当は彼が自分で育ち、伸びたのかもしれない。

あの環境に居ながら、夫が完全に歪まなかったのは

彼が本来持つ明るくて優しい性質が勝ったからだと思う。

今度は父親という漬物石を取っ払った彼の

新たな可能性を見てみたい欲望にかられている。

《続く》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする