お姉ちゃんの退院以降、夫ヒロシの受難は形を多少変える。
夫の弁によれば、母親のヨシコは
ひたすらお姉ちゃんの機嫌を取るようになり
優しかったお姉ちゃんは、暗くて冷たいお姉ちゃんになって
2人が自分から遠くなった気がしたそうだ。
父親のアツシは、相変わらず浮気に励むかたわら
娘には目に見えて甘くなった。
心身に深い傷跡を残した我が子への、父親らしい気持ちの表れであろう。
浮気の方は相変わらずで、夫婦喧嘩は盛んだったが
ヨシコにも以前のような酷い仕打ちはしなくなった。
この現象は、金持ちの仲間入りをして
医者や旦那氏と付き合うようになったためだ。
女房に手を上げる男は、軽蔑されるからである。
アツシが抑えた感情の矛先は、ヒロシに向かった。
『怖い父親と、怯える妻子』
この組み合わせだった頃は、それなりに弱者の結束があった。
しかし今度は
『密着した母娘がひと組に、息子をいたぶる父親と
父親にいたぶられる息子』
それが夫にとっての家庭になり
以後はずっと、このままの環境が続いた。
あわれなり、ヒロシ。
さて、お姉ちゃんの入院中、見舞いに訪れたアツシの末弟が
同じ病室に入院していた女性に一目惚れし
電撃結婚が決まったエピソードがある。
この末弟は無礼横柄、粗野粗暴
アツシ一族の短所を集約したような男だ。
兄の会社に勤めては、いばり散らして怒られて辞め
アツシの会社に入っては、やはり喧嘩になって辞め
食い詰めると、またどちらかへ勤めるのを繰り返していた。
それだけでも相当な甘ったれだが
最も困るのは、アツシや兄の弟であることを随所で吹聴しては
他人に優遇を求めることだった。
そんな困った末弟をアツシが見限れないのは
彼ら4人の弟や妹たちを食べさせ、学校へ行かせたのが
他ならぬアツシだったからである。
バカな子ほど可愛いというやつだ。
アツシの父親は軍人だったが、戦争が終わると腑抜けのようになった。
仕事をせずに浮気をし、時々、駆け落ちをした。
毎回、行き先は決まっている。
生まれ故郷である三重県の実家に帰るのだ。
そこで駆け落ち相手と暮らしたり、あちらで知り合った女性と暮らした。
そして数年ごとに一人でフラリと戻って来て、そのたびに子供が生まれた。
父親は、最初の子であるアツシの兄がお気に入りで
三重県に兄を呼び寄せ、そばに置くことが多かった。
そこで次男坊のアツシが、10代から母親と弟妹を養っていた。
とはいえ若者が普通に勤めていたのでは
自分を含めた6人が食べて行くことは難しい。
彼が思いついたのは、得意の計算と記憶力
生まれつきの勝負勘と度胸を生かした、うってつけのお仕事‥
プロの雀士である。
大人に混じって大勝負を張る、アツシ少年の名は売れた。
「面白い若者がいる」ということで
素封家から自由業まで様々な大人にかわいがられた。
やがてその人たちの依頼で用心棒や運転手をするようになり
そのうち依頼主に代わって国内外へ赴き、商談をまとめたり
今で言う人材派遣のような仕事をするようになった。
この頃の経験や人脈が、後に起業の原動力となる。
アツシが家族に尽くしたのには、ちょっとしたわけがあった。
父親が新型の飲み物を開発して、三重県で工場を始めたことがある。
飲み物はよく売れ、一時期はアツシも呼ばれて手伝っていた。
ある日、兄と一緒に名古屋へ集金に赴いたら、思わぬ大口。
若い2人は大金に目がくらんだ。
旅先で芸者をあげてどんちゃん騒ぎをし、そのために工場は潰れた。
帰郷したアツシは以後、家族を養うことに燃えるのだった。
アツシが会社を始めた頃には、父親の里帰りは無くなっていた。
本人が年老いたのと、実家が代替わりして帰りにくくなったからだ。
そんな父親をアツシは電話番として雇い、小遣い稼ぎをさせた。
電話で注文の入る商売ではないため、電話番は必要なかったが
アツシなりの孝行であった。
私が嫁いだ頃も、お祖父ちゃんは会社に居て
いつもじっと座っていた。
夫によく似た顔形で、おっとりと無口なところも似ていた。
まさか駆け落ち癖まで似るとは、当時は予測していなかった。
ちなみにお姉ちゃんの入院がきっかけで結婚した末弟夫婦は
20年後に離婚した。
原因は末弟の浮気癖と無職、ということになっているが
妻の母親の存在も無関係ではないと思われる。
この母娘は筋金入りの一卵性母子。
そのうち自宅を新築すると自分も引っ越して来て
娘夫婦と暮らすようになった。
末弟が面白くないのは、その言動によって周知の事実だった。
やがて彼は仕事をしなくなり、小売業を営む妻のヒモになる。
お決まりの離婚に至った彼は、家を妻子に明け渡し
当時付き合っていた女性と暮らすようになった。
だが、明け渡したと思っていたのは彼だけで
家は最初から妻の名義だった。
その後、女性と2人で輸入衣料の店を開いた時期もあったが
あっという間に潰れて女性はいなくなり、借金だけが残った。
そして数年後、彼は糖尿病による低血糖のため52才で孤独死した。
浮気、一卵性母子、糖尿病は、アツシの家系の三大キーワードかもしれない。
《続く》
夫の弁によれば、母親のヨシコは
ひたすらお姉ちゃんの機嫌を取るようになり
優しかったお姉ちゃんは、暗くて冷たいお姉ちゃんになって
2人が自分から遠くなった気がしたそうだ。
父親のアツシは、相変わらず浮気に励むかたわら
娘には目に見えて甘くなった。
心身に深い傷跡を残した我が子への、父親らしい気持ちの表れであろう。
浮気の方は相変わらずで、夫婦喧嘩は盛んだったが
ヨシコにも以前のような酷い仕打ちはしなくなった。
この現象は、金持ちの仲間入りをして
医者や旦那氏と付き合うようになったためだ。
女房に手を上げる男は、軽蔑されるからである。
アツシが抑えた感情の矛先は、ヒロシに向かった。
『怖い父親と、怯える妻子』
この組み合わせだった頃は、それなりに弱者の結束があった。
しかし今度は
『密着した母娘がひと組に、息子をいたぶる父親と
父親にいたぶられる息子』
それが夫にとっての家庭になり
以後はずっと、このままの環境が続いた。
あわれなり、ヒロシ。
さて、お姉ちゃんの入院中、見舞いに訪れたアツシの末弟が
同じ病室に入院していた女性に一目惚れし
電撃結婚が決まったエピソードがある。
この末弟は無礼横柄、粗野粗暴
アツシ一族の短所を集約したような男だ。
兄の会社に勤めては、いばり散らして怒られて辞め
アツシの会社に入っては、やはり喧嘩になって辞め
食い詰めると、またどちらかへ勤めるのを繰り返していた。
それだけでも相当な甘ったれだが
最も困るのは、アツシや兄の弟であることを随所で吹聴しては
他人に優遇を求めることだった。
そんな困った末弟をアツシが見限れないのは
彼ら4人の弟や妹たちを食べさせ、学校へ行かせたのが
他ならぬアツシだったからである。
バカな子ほど可愛いというやつだ。
アツシの父親は軍人だったが、戦争が終わると腑抜けのようになった。
仕事をせずに浮気をし、時々、駆け落ちをした。
毎回、行き先は決まっている。
生まれ故郷である三重県の実家に帰るのだ。
そこで駆け落ち相手と暮らしたり、あちらで知り合った女性と暮らした。
そして数年ごとに一人でフラリと戻って来て、そのたびに子供が生まれた。
父親は、最初の子であるアツシの兄がお気に入りで
三重県に兄を呼び寄せ、そばに置くことが多かった。
そこで次男坊のアツシが、10代から母親と弟妹を養っていた。
とはいえ若者が普通に勤めていたのでは
自分を含めた6人が食べて行くことは難しい。
彼が思いついたのは、得意の計算と記憶力
生まれつきの勝負勘と度胸を生かした、うってつけのお仕事‥
プロの雀士である。
大人に混じって大勝負を張る、アツシ少年の名は売れた。
「面白い若者がいる」ということで
素封家から自由業まで様々な大人にかわいがられた。
やがてその人たちの依頼で用心棒や運転手をするようになり
そのうち依頼主に代わって国内外へ赴き、商談をまとめたり
今で言う人材派遣のような仕事をするようになった。
この頃の経験や人脈が、後に起業の原動力となる。
アツシが家族に尽くしたのには、ちょっとしたわけがあった。
父親が新型の飲み物を開発して、三重県で工場を始めたことがある。
飲み物はよく売れ、一時期はアツシも呼ばれて手伝っていた。
ある日、兄と一緒に名古屋へ集金に赴いたら、思わぬ大口。
若い2人は大金に目がくらんだ。
旅先で芸者をあげてどんちゃん騒ぎをし、そのために工場は潰れた。
帰郷したアツシは以後、家族を養うことに燃えるのだった。
アツシが会社を始めた頃には、父親の里帰りは無くなっていた。
本人が年老いたのと、実家が代替わりして帰りにくくなったからだ。
そんな父親をアツシは電話番として雇い、小遣い稼ぎをさせた。
電話で注文の入る商売ではないため、電話番は必要なかったが
アツシなりの孝行であった。
私が嫁いだ頃も、お祖父ちゃんは会社に居て
いつもじっと座っていた。
夫によく似た顔形で、おっとりと無口なところも似ていた。
まさか駆け落ち癖まで似るとは、当時は予測していなかった。
ちなみにお姉ちゃんの入院がきっかけで結婚した末弟夫婦は
20年後に離婚した。
原因は末弟の浮気癖と無職、ということになっているが
妻の母親の存在も無関係ではないと思われる。
この母娘は筋金入りの一卵性母子。
そのうち自宅を新築すると自分も引っ越して来て
娘夫婦と暮らすようになった。
末弟が面白くないのは、その言動によって周知の事実だった。
やがて彼は仕事をしなくなり、小売業を営む妻のヒモになる。
お決まりの離婚に至った彼は、家を妻子に明け渡し
当時付き合っていた女性と暮らすようになった。
だが、明け渡したと思っていたのは彼だけで
家は最初から妻の名義だった。
その後、女性と2人で輸入衣料の店を開いた時期もあったが
あっという間に潰れて女性はいなくなり、借金だけが残った。
そして数年後、彼は糖尿病による低血糖のため52才で孤独死した。
浮気、一卵性母子、糖尿病は、アツシの家系の三大キーワードかもしれない。
《続く》