元気になったヨシコは、趣味の手芸に没頭するようになった。
和裁教師の娘であるヨシコは手先が器用で
和洋裁を始め、刺繍、編物など
彼女の手仕事はことごとくプロ並みだった。
余談になるがヨシコは娘の頃、洋裁学校に通っていた。
昔の若い女性は茶道、華道、琴のお稽古ごとに加え
家事手伝いの者は昼間、働く者は仕事を終えた夜
洋裁学校へ行く人が多かった。
島には洋裁学校が無いので、ヨシコは週に何度か
仕事を終えたその足で船に乗り、本土の学校へ通った。
そんな島娘たちを船着場で待ち構え、からかったり
ナンパを目論む若者たちがいた。
人々が家路を急ぐ夕方、港でタムロできる若者といったら
勤勉でも品行方正でもないのは明らかである。
アツシもその一人だった。
華やかな印象で、伊達こきのヨシコは目立った。
長身で、田舎には珍しいモデル並みのプロポーションを持ち
これまた伊達こきのアツシも目立った。
2人が惹かれ合ったのは、必然かもしれない。
「アツシさんが通ると、若い女の子はキャーキャー騒いだものよ」
私に当時のことを話して聞かせる、昔のお嬢さんたちがたくさんいた。
罵詈雑言を吐き続けたためか
私は四角い顔に進化したアツシしか知らないが
数々の証言によれば、若い頃は高倉健に似ていたらしい。
ちなみに彼の子孫は、その遺伝子を継承していない。
馴れ初めはともかく、ヨシコは亭主に浮気される苦しみを手芸に注いだ。
そうするしかないのだ。
文句を言えば、怒鳴られるか殴られる。
2人で遠い町へ行った帰り道、車の中で口論になり
知らない場所で助手席から突き落とされたこともあった。
路肩へ転げ落ちている間にアツシは走り去り、途方に暮れて歩いていたら
たまたま親戚が通りかかって家にたどり着いた。
テレビを見ていたアツシは、帰りが早かったことに驚いたという。
‥そういう問題?
このような思い出話のあれこれをヨシコから幾度となく聞かされ
私の頭の中には、いつもクエスチョンマークが飛び回るのだった。
油断ならない危険な男、アツシだが
見切りをつけるには惜しいゼニが彼にはあった。
帰る実家は無く、助けてくれる人もいない。
福祉も充実していなかった。
我慢して好きな物を買う方が、ヨシコには得策であった。
その頃、主婦の間では編み物が流行した。
ヨシコも夢中で編んだ。
編物は一度仕上げた作品をほどき、別の物に編み変えることができる。
デザインが気に入らなかったり、着なくなったお父さんのセーターを
子供2人分のセーターに編み変えたりするのだ。
昔の毛糸はウール100パーセントで高価だったこともあり
編み変えはごく一般的に行われていた。
編み変えの際、ほどいた毛糸はチリチリのラーメンみたいになっている。
これをまっすぐにしなければ、まともに編むことはできない。
そこで石油ストーブの力を借りる。
点火したストーブの上に、水を張った金だらいを乗せ
天井からチリチリ毛糸の束をぶら下げるのだ。
昭和中期の家庭で、よく見かけられた光景である。
ストーブの熱で金だらいの水は沸騰し、蒸気になる。
その湯気は、ぶら下げられた毛糸に吸い込まれる。
このまま何時間か放置すると、蒸気で蒸されたチリチリ毛糸は
フワフワでまっすぐな形状に戻る。
ヨシコもこの作業をした。
ただし狭いアパートの居間で、それは行われた。
祖母一人、孫一人という究極の少人数で育った彼女は
スペースと人数の割合から生じる危険予測の面において
少々疎いところがあった。
ある日、その居間で10才のお姉ちゃんと8才の弟がふざけ合っていた。
活発なお姉ちゃんはストーブにつまづき
金だらいの熱湯をひっくり返してしまった。
重度の火傷を負ったお姉ちゃんは市外の大病院に搬送され
治療や皮膚の移植で、通算半年の入院を余儀なくされる。
ヨシコは病院のお姉ちゃんに付きっきりとなった。
ここで浮上するのは、8才だった夫ヒロシの身の振り方。
父親のアツシは子供の面倒を見たり
見よう見まねで家事をするような人物ではない。
ヒロシはアツシの兄夫婦に預けられた。
最初の会社の件でゴタゴタした兄夫婦だが、そこは兄弟。
弟一家のピンチを聞いて、快く引き受けてくれた。
家が近所で、子供2人はそれぞれ同い年。
家でも学校でも顔を合わせるため
ヨシコがクッションとなって行き来は続いていたのだ。
ヒロシも懐いており、預け先としては申し分ないはずだった。
伯父の家に引き取られたヒロシだが、慣れた家でも
面倒を見てもらうとなると扱いは違った。
そこの子供は女の子だけなので、ワンパクな男の子の免疫が無かったらしい。
たくさん食べると驚かれて、嫌味を言われた‥
何をしても叱られた‥
おいしい物があると、自分のいない間に無くなっていた‥
いつも夫婦で、アツシとヨシコの悪口を言っていた‥
人生で、この半年が一番辛かった‥
今もあの一家に良い感情は持てない‥
骨折話から徐々に昔のことを口にするようになった夫は
私にとつとつと話した。
父親は会いに来ず、再び巡ってきた単身生活を満喫していた。
夫は捨てられたような気持ちになったという。
やっぱりタイムマシンがあるなら
当時に戻って夫を引き取りたいと思った。
やがてお姉ちゃんは退院し、夫は自分の家に帰った。
アツシはまた、どこかのおネエちゃんと別れ
家族は三たび合流した。
今度こそ、夫は幸せな子供として生きられただろうか。
もちろん、そうはいかなかった。
《続く》
和裁教師の娘であるヨシコは手先が器用で
和洋裁を始め、刺繍、編物など
彼女の手仕事はことごとくプロ並みだった。
余談になるがヨシコは娘の頃、洋裁学校に通っていた。
昔の若い女性は茶道、華道、琴のお稽古ごとに加え
家事手伝いの者は昼間、働く者は仕事を終えた夜
洋裁学校へ行く人が多かった。
島には洋裁学校が無いので、ヨシコは週に何度か
仕事を終えたその足で船に乗り、本土の学校へ通った。
そんな島娘たちを船着場で待ち構え、からかったり
ナンパを目論む若者たちがいた。
人々が家路を急ぐ夕方、港でタムロできる若者といったら
勤勉でも品行方正でもないのは明らかである。
アツシもその一人だった。
華やかな印象で、伊達こきのヨシコは目立った。
長身で、田舎には珍しいモデル並みのプロポーションを持ち
これまた伊達こきのアツシも目立った。
2人が惹かれ合ったのは、必然かもしれない。
「アツシさんが通ると、若い女の子はキャーキャー騒いだものよ」
私に当時のことを話して聞かせる、昔のお嬢さんたちがたくさんいた。
罵詈雑言を吐き続けたためか
私は四角い顔に進化したアツシしか知らないが
数々の証言によれば、若い頃は高倉健に似ていたらしい。
ちなみに彼の子孫は、その遺伝子を継承していない。
馴れ初めはともかく、ヨシコは亭主に浮気される苦しみを手芸に注いだ。
そうするしかないのだ。
文句を言えば、怒鳴られるか殴られる。
2人で遠い町へ行った帰り道、車の中で口論になり
知らない場所で助手席から突き落とされたこともあった。
路肩へ転げ落ちている間にアツシは走り去り、途方に暮れて歩いていたら
たまたま親戚が通りかかって家にたどり着いた。
テレビを見ていたアツシは、帰りが早かったことに驚いたという。
‥そういう問題?
このような思い出話のあれこれをヨシコから幾度となく聞かされ
私の頭の中には、いつもクエスチョンマークが飛び回るのだった。
油断ならない危険な男、アツシだが
見切りをつけるには惜しいゼニが彼にはあった。
帰る実家は無く、助けてくれる人もいない。
福祉も充実していなかった。
我慢して好きな物を買う方が、ヨシコには得策であった。
その頃、主婦の間では編み物が流行した。
ヨシコも夢中で編んだ。
編物は一度仕上げた作品をほどき、別の物に編み変えることができる。
デザインが気に入らなかったり、着なくなったお父さんのセーターを
子供2人分のセーターに編み変えたりするのだ。
昔の毛糸はウール100パーセントで高価だったこともあり
編み変えはごく一般的に行われていた。
編み変えの際、ほどいた毛糸はチリチリのラーメンみたいになっている。
これをまっすぐにしなければ、まともに編むことはできない。
そこで石油ストーブの力を借りる。
点火したストーブの上に、水を張った金だらいを乗せ
天井からチリチリ毛糸の束をぶら下げるのだ。
昭和中期の家庭で、よく見かけられた光景である。
ストーブの熱で金だらいの水は沸騰し、蒸気になる。
その湯気は、ぶら下げられた毛糸に吸い込まれる。
このまま何時間か放置すると、蒸気で蒸されたチリチリ毛糸は
フワフワでまっすぐな形状に戻る。
ヨシコもこの作業をした。
ただし狭いアパートの居間で、それは行われた。
祖母一人、孫一人という究極の少人数で育った彼女は
スペースと人数の割合から生じる危険予測の面において
少々疎いところがあった。
ある日、その居間で10才のお姉ちゃんと8才の弟がふざけ合っていた。
活発なお姉ちゃんはストーブにつまづき
金だらいの熱湯をひっくり返してしまった。
重度の火傷を負ったお姉ちゃんは市外の大病院に搬送され
治療や皮膚の移植で、通算半年の入院を余儀なくされる。
ヨシコは病院のお姉ちゃんに付きっきりとなった。
ここで浮上するのは、8才だった夫ヒロシの身の振り方。
父親のアツシは子供の面倒を見たり
見よう見まねで家事をするような人物ではない。
ヒロシはアツシの兄夫婦に預けられた。
最初の会社の件でゴタゴタした兄夫婦だが、そこは兄弟。
弟一家のピンチを聞いて、快く引き受けてくれた。
家が近所で、子供2人はそれぞれ同い年。
家でも学校でも顔を合わせるため
ヨシコがクッションとなって行き来は続いていたのだ。
ヒロシも懐いており、預け先としては申し分ないはずだった。
伯父の家に引き取られたヒロシだが、慣れた家でも
面倒を見てもらうとなると扱いは違った。
そこの子供は女の子だけなので、ワンパクな男の子の免疫が無かったらしい。
たくさん食べると驚かれて、嫌味を言われた‥
何をしても叱られた‥
おいしい物があると、自分のいない間に無くなっていた‥
いつも夫婦で、アツシとヨシコの悪口を言っていた‥
人生で、この半年が一番辛かった‥
今もあの一家に良い感情は持てない‥
骨折話から徐々に昔のことを口にするようになった夫は
私にとつとつと話した。
父親は会いに来ず、再び巡ってきた単身生活を満喫していた。
夫は捨てられたような気持ちになったという。
やっぱりタイムマシンがあるなら
当時に戻って夫を引き取りたいと思った。
やがてお姉ちゃんは退院し、夫は自分の家に帰った。
アツシはまた、どこかのおネエちゃんと別れ
家族は三たび合流した。
今度こそ、夫は幸せな子供として生きられただろうか。
もちろん、そうはいかなかった。
《続く》