『伯爵家の長女メアリー』
私はイギリス製のドラマが好き。
さすがはシェイクスピアの国らしく
筋書きが巧妙で役者がうまいのに加え
お金と手間暇をかけて、非常に丁寧に作られているからだ。
その上、重厚な建造物や調度品に
美しいイングリッシュガーデンまで見物できるという
おまけもついてくる。
中でも『ダウントンアビー』は別格。
豪華絢爛、きゅうくつな制約、複雑な人間関係とくりゃ
私の大好物だ。
この物語は日本で言えば大正時代くらいの伯爵一家と
その使用人たちを描いたストーリー。
「世界中がひれ伏した」
「エリザベス女王も絶賛」
そう聞けば、見てみたいじゃないか。
で、見た。
ドラマどころか、始まる前の映像とテーマ音楽で早くもひれ伏す。
ほの暗い画面、物悲しくも何かが起こりそうなBGМ…
物差しを使い、晩餐のカトラリーの配置を計測する下僕の手元…
メイドがランプのほこりを払う羽ばたき…
お呼びがかかって鳴らされるベル…
窮屈で重苦しい空気の中から浮かび上がる、威厳と華麗…
そりゃ、女王様も絶賛するはずだ。
ドラマの舞台、ダウントン屋敷は伯爵の家柄。
貴族の爵位は、上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順なので
3番目の身分ということになる。
かの有名なドラキュラ伯爵と同じ階級だ。
吸血鬼ドラキュラはルーマニアの話らしいけど
重々しい正装と洗練された身のこなしは英国貴族と似通っている。
彼は高貴な身分を利用して美女をたぶらかし
自分の城へ誘って血を吸う。
城を持っているのも貴族の証である。
ドラキュラがボロをまとった安アパートの住人であれば
次々にええとこのお嬢様と出会うチャンスは無いため
通り魔で終わる。
爵位を持つ由緒正しき紳士が、持ち家ならぬ持ち城へ誘うからこそ
美しくも恐ろしい魅力的な物語になるのである。
話がそれたついでに、シンデレラのことも話しておきたい。
継母にいじめられる、かわいそうなシンデレラが
舞踏会で王子様に見初められて結婚するストーリーは
誰でも知っている。
けれどもこのお話、公的な身分制度が無くなった現代の日本では
「貧しくても前向きに頑張ってりゃ、幸せになれる」
という教訓話に成り下がってしまっている。
だから、だから…
どこの誰とは言わないが、変な男の子がお姫様を引っかけて
シンデレラ・ボーイと呼ばれても、国民は平気でいられるのだ。
違~う!
シンデレラは元々貴族の娘だ。
貴族だから、王族と婚姻を結べる立場にある。
最初から身分の釣り合いが取れていて
その身分にふさわしい教育を受けているので誰も反対しない。
この肝心な点を無視して、シンデレラは語れないのだ。
野心家のゲスが運や手練手管で貴人と結婚しても
シンデレラとは形容できないのである。
これを踏まえてダウントンアビーを見ると
人はどうだか知らないが、私は面白い。
貴族の世界と使用人の世界において
厳格に存在する各々の身分差を理解していれば
伯爵の家族と大勢の使用人たちで織りなされる
エピソードの一つ一つがより感慨深いものになる。
複雑な人間関係を丹念に描いたドラマなので
一口でストーリーを説明するのは無理だが
まず、伯爵夫妻に娘が3人という家族構成を聞いただけで
後継者にまつわるゴタゴタが避けられないことはすぐにわかる。
当時の貴族は、男子しか爵位と資産を相続できなかったからだ。
それらを次世代へと繫ぐためには、まず娘を親戚の男子と結婚させ
さらにその若夫婦が男の子を作る必要がある。
そして成人した男の子に、改めて継承させるのが唯一の方法。
貴族よ、伯爵様よ…とあがめられながらも
一家の命運を未来の娘婿にゆだねるしかない苦悩は
庶民が想像するよりもはるかに強いと思われる。
とはいえ爵位の継承は、単に自分たちのためだけではない。
貴族所有の農地を耕す小作人を始め
領地に暮らす多くの領民を安心させることに繋がる。
どんな組織でもそうだが、トップが変わると下の者は不安を感じる。
むやみに不安を与えることを避けるのも、人の上に立つ者の務めであろう。
貴族は確かに数々の特権を持つが、特権に相当する厳格な義務もついて回る。
尊敬と引き換えに、民の規範であることも求められるが
優遇と引き換えに、継承を安定させることは最も重要な義務だ。
特権とセットになっている義務を粛々と受け入れる…
それがノブレスオブリージュ。
うちは女の子だけだから、特権を使って法律を変えるように持って行って
女子でも継承できるようにしたい…なんて発想は無い。
真の高貴は特権だけをむさぼらず、義務をはたす努力を惜しまない。
真の高貴は、義務を回避するために画策しないのだ。
あれ?どこかのおうちの悪口みたいになりそうだから
まだお話ししたいけど、今日はこのへんで。
おほほ、ごきげんよう。