入社してみると、意外に使えた女性運転手のヒロミ。
会社の雰囲気が明るくなり、夫は満足そうだ。
とはいえ、油断は禁物。
ヒロミは底抜けに明るくて素直な分、物事の善悪をあまり考えず
損得に左右されるところがあるのを私は知っている。
手放しで喜ぶわけにはいかなかった。
ヒロミと私が親しくしていた昔、彼女の子供が通う幼稚園に
町のチンピラの子供も通っていた。
妻子にはボロを着せ、自分は幼稚園の行事に
黒ミンクの毛皮を着込んで登場するような男である。
何度目かの結婚なので、本人は初老でも子供は小さかったのだ。
ヒロミはそのチンピラを「親分さん」と呼んで持ち上げ
親しくまとわりついていた。
ヒロミの友だちであり、私の妹のような存在だったミーヤは
その様子を心配していたものだ。
やがてその男は殺人事件に巻き込まれて死亡したため
交流は終了したが、あのままであれば
ヒロミはいけないお薬の1本や2本、打たれていたかもしれない。
あの頃から20年近く経っているが、人の性根というのは
年さえ取れば変わるようなものではない。
そんな子なので、油断はできないのだ。
現に会社では、例の佐藤君がヒロミを取り込もうと狙っていた。
持病の頭痛を理由に休むため、別の支社に飛ばされたが
女性運転手の神田さんがパワハラとセクハラ事件で辞めた後
空いたダンプに乗せるために藤村が呼び戻した、我が社のガンである。
人と人を操っては揉めさせ
自分は素知らぬ顔で眺めるのがライフワーク。
うちの息子たちが距離を取るようになったため、彼は仲間を欲していた。
その佐藤君、最近、ヒロミの引越しを手伝う約束をしたらしい。
彼氏との同棲を決めたヒロミは、この盆休みに彼氏の家へ移るのだ。
業者を雇わずに済むので、ヒロミは大喜び。
が、引越しをタダで済ませるには、トラックが必要になる。
そこで佐藤君が提案。
「会社の3トンダンプを黙って借りよう」
会社には大型の11トンダンプの他に、小回りのきく3トンダンプがあった。
貸してと頼んだら、夫が断るのを佐藤君は知っている。
彼が先月頼んだ際、バッサリ断られたのだ。
私用で使って事故が起きた場合、保険が下りないばかりか
会社が管理責任を問われるからである。
だから黙って借りようと、うちの長男の前で言う佐藤君。
それを聞いて、単純に喜ぶヒロミ。
夫も長男も、完全にナメられている。
長男から聞いた私が夫にチクったら
「あいつの会社か!」
と、ものすごく怒っていた。
夫がどんな対処をするかは、まだ未定である。
ところで、あの藤村はどうなっているのか。
昨年末、パワハラとセクハラで女性運転手から訴えられ
ついでに出入り業者との癒着や経費の無駄遣いが発覚し
この春、ついに営業所長の肩書きを剥奪された藤村である。
彼はヒラの営業マンになったので
今後は本社営業部の指示で動くため、こちらに用は無いはずだ。
それでも藤村は未練タラタラで、しばらくは毎日来ていた。
もう関係無いはずなのに、どうして来るのだ…
一同は怪訝に思ったが、藤村の気持ちはわかるような気がする。
本社から営業に行って来いと言われても
今まで営業なんかしたことが無いんだから、行く所が無い。
時間を潰すために、こちらへ来てしまうのだ。
さらに、なまじ今までいい思いをしたばっかりに
それが忘れられず、何としても返り咲きたい気持ちがあるだろう。
しかし、返り咲くにはチャンスが必要。
毎日顔を出して状況を把握しておかなければ、そのチャンスを逃してしまう。
いずれにしても、彼は毎日来なければならないのである。
藤村は毎日来ては、引き継ぎと称して
営業所や会社の運営に口を出していたが
藤村の代わりとして、こちらに再赴任した松木氏はことごとくブロック。
松木氏も藤村と同じく仕事ができない分
転がり込んで来た現在の地位を守ろうと必死だった。
藤村の訪れは永遠に続くかと思われたが、1ヶ月余りで終わった。
ひょっこり来た河野常務との鉢合わせが、2回続いたからだ。
「おまえ、何でここにおるんじゃ?」
1回目、常務は彼にたずねた。
「あの…引き継ぎが…」
「……」
常務は黙って藤村を睨みつけたという。
2回目は、おはようございますと挨拶した藤村を完全無視。
実は3回目もあるところだった。
「近くを通るけん、寄るわ」
常務から夫に電話があった。
夫は松木氏にそれを伝え、そばにいた藤村もこれを聞いた。
藤村は「スマホを家に忘れた」と言いだし、急いで会社を出たため
鉢合わせは免れる。
その日以来、藤村は来なくなった。
藤村が来なくなると、面白い現象が起こった。
会社宛に取引業者からの宅配便が、来るわ来るわ。
お菓子、果物、漬物、肉、ジュースその他…
こんなに物をもらっていたのだと、皆が驚いた。
仕事をやると吹聴しては、贈り物をねだっていたらしい。
納采の儀か横綱昇進で使うような大きな鯛が5匹
クール便で届いた時は、一同、驚くよりも呆れた。
もちろん、どの品も皆で山分けする。
藤村はこれらを受け取るため、這ってでも会社に来る必要があった。
送り主は、藤村が所長でなくなったのをまだ知らないのだ。
驚いたのは、贈り物だけではない。
6月には、本社から支給される作業服が夫に届いた。
数年ぶり、正確には藤村が着任して以来5年ぶりのことである。
息子たちを含む社員には毎年支給されていたが、夫のだけ、なぜか無かった。
着るものに不自由しているわけではないので夫は無関心だったが
こうなってみると、夫のは藤村が着服していたとわかる。
他の社員のものはサイズが違うが、夫と藤村は同サイズなので
奪われていたのだろう。
先月の27日、土用の丑の日はもっと驚いた。
本社からパートを含む全社員に一尾ずつ、ウナギの蒲焼きのプレゼントがあった。
初めてのことに、喜ぶ一同。
が、実はこれ、初めてではなかったらしい。
毎年1月5日に行われる全社挙げての新年会が、コロナのために
去年から中止になっている。
その代わりということで、土用のウナギは去年も配られたという。
今年入ったスガっちとヒロミを除く、皆が思った。
「藤村がガメた…」
本社から送られたウナギをヤツが着服したのは、間違いなかった。
というのも去年の同じ頃、本社からクール便が届いたのを
長男が目撃していたからである。
長男はウナギとは知らなかったが、藤村はなぜか慌てて
「俺たち本社付きの上役だけ、ウナギがもらえるんだ」
そう口走ると、クール便を車に運んでどこかへ行き
その日は戻ってこなかったという。
本当にセコい男だ。
野心のみならず、このような得をするためにも
そして、それらの悪事を隠すためにも
藤村はこちらに詰めて番をしたかったと思われる。
《続く》
会社の雰囲気が明るくなり、夫は満足そうだ。
とはいえ、油断は禁物。
ヒロミは底抜けに明るくて素直な分、物事の善悪をあまり考えず
損得に左右されるところがあるのを私は知っている。
手放しで喜ぶわけにはいかなかった。
ヒロミと私が親しくしていた昔、彼女の子供が通う幼稚園に
町のチンピラの子供も通っていた。
妻子にはボロを着せ、自分は幼稚園の行事に
黒ミンクの毛皮を着込んで登場するような男である。
何度目かの結婚なので、本人は初老でも子供は小さかったのだ。
ヒロミはそのチンピラを「親分さん」と呼んで持ち上げ
親しくまとわりついていた。
ヒロミの友だちであり、私の妹のような存在だったミーヤは
その様子を心配していたものだ。
やがてその男は殺人事件に巻き込まれて死亡したため
交流は終了したが、あのままであれば
ヒロミはいけないお薬の1本や2本、打たれていたかもしれない。
あの頃から20年近く経っているが、人の性根というのは
年さえ取れば変わるようなものではない。
そんな子なので、油断はできないのだ。
現に会社では、例の佐藤君がヒロミを取り込もうと狙っていた。
持病の頭痛を理由に休むため、別の支社に飛ばされたが
女性運転手の神田さんがパワハラとセクハラ事件で辞めた後
空いたダンプに乗せるために藤村が呼び戻した、我が社のガンである。
人と人を操っては揉めさせ
自分は素知らぬ顔で眺めるのがライフワーク。
うちの息子たちが距離を取るようになったため、彼は仲間を欲していた。
その佐藤君、最近、ヒロミの引越しを手伝う約束をしたらしい。
彼氏との同棲を決めたヒロミは、この盆休みに彼氏の家へ移るのだ。
業者を雇わずに済むので、ヒロミは大喜び。
が、引越しをタダで済ませるには、トラックが必要になる。
そこで佐藤君が提案。
「会社の3トンダンプを黙って借りよう」
会社には大型の11トンダンプの他に、小回りのきく3トンダンプがあった。
貸してと頼んだら、夫が断るのを佐藤君は知っている。
彼が先月頼んだ際、バッサリ断られたのだ。
私用で使って事故が起きた場合、保険が下りないばかりか
会社が管理責任を問われるからである。
だから黙って借りようと、うちの長男の前で言う佐藤君。
それを聞いて、単純に喜ぶヒロミ。
夫も長男も、完全にナメられている。
長男から聞いた私が夫にチクったら
「あいつの会社か!」
と、ものすごく怒っていた。
夫がどんな対処をするかは、まだ未定である。
ところで、あの藤村はどうなっているのか。
昨年末、パワハラとセクハラで女性運転手から訴えられ
ついでに出入り業者との癒着や経費の無駄遣いが発覚し
この春、ついに営業所長の肩書きを剥奪された藤村である。
彼はヒラの営業マンになったので
今後は本社営業部の指示で動くため、こちらに用は無いはずだ。
それでも藤村は未練タラタラで、しばらくは毎日来ていた。
もう関係無いはずなのに、どうして来るのだ…
一同は怪訝に思ったが、藤村の気持ちはわかるような気がする。
本社から営業に行って来いと言われても
今まで営業なんかしたことが無いんだから、行く所が無い。
時間を潰すために、こちらへ来てしまうのだ。
さらに、なまじ今までいい思いをしたばっかりに
それが忘れられず、何としても返り咲きたい気持ちがあるだろう。
しかし、返り咲くにはチャンスが必要。
毎日顔を出して状況を把握しておかなければ、そのチャンスを逃してしまう。
いずれにしても、彼は毎日来なければならないのである。
藤村は毎日来ては、引き継ぎと称して
営業所や会社の運営に口を出していたが
藤村の代わりとして、こちらに再赴任した松木氏はことごとくブロック。
松木氏も藤村と同じく仕事ができない分
転がり込んで来た現在の地位を守ろうと必死だった。
藤村の訪れは永遠に続くかと思われたが、1ヶ月余りで終わった。
ひょっこり来た河野常務との鉢合わせが、2回続いたからだ。
「おまえ、何でここにおるんじゃ?」
1回目、常務は彼にたずねた。
「あの…引き継ぎが…」
「……」
常務は黙って藤村を睨みつけたという。
2回目は、おはようございますと挨拶した藤村を完全無視。
実は3回目もあるところだった。
「近くを通るけん、寄るわ」
常務から夫に電話があった。
夫は松木氏にそれを伝え、そばにいた藤村もこれを聞いた。
藤村は「スマホを家に忘れた」と言いだし、急いで会社を出たため
鉢合わせは免れる。
その日以来、藤村は来なくなった。
藤村が来なくなると、面白い現象が起こった。
会社宛に取引業者からの宅配便が、来るわ来るわ。
お菓子、果物、漬物、肉、ジュースその他…
こんなに物をもらっていたのだと、皆が驚いた。
仕事をやると吹聴しては、贈り物をねだっていたらしい。
納采の儀か横綱昇進で使うような大きな鯛が5匹
クール便で届いた時は、一同、驚くよりも呆れた。
もちろん、どの品も皆で山分けする。
藤村はこれらを受け取るため、這ってでも会社に来る必要があった。
送り主は、藤村が所長でなくなったのをまだ知らないのだ。
驚いたのは、贈り物だけではない。
6月には、本社から支給される作業服が夫に届いた。
数年ぶり、正確には藤村が着任して以来5年ぶりのことである。
息子たちを含む社員には毎年支給されていたが、夫のだけ、なぜか無かった。
着るものに不自由しているわけではないので夫は無関心だったが
こうなってみると、夫のは藤村が着服していたとわかる。
他の社員のものはサイズが違うが、夫と藤村は同サイズなので
奪われていたのだろう。
先月の27日、土用の丑の日はもっと驚いた。
本社からパートを含む全社員に一尾ずつ、ウナギの蒲焼きのプレゼントがあった。
初めてのことに、喜ぶ一同。
が、実はこれ、初めてではなかったらしい。
毎年1月5日に行われる全社挙げての新年会が、コロナのために
去年から中止になっている。
その代わりということで、土用のウナギは去年も配られたという。
今年入ったスガっちとヒロミを除く、皆が思った。
「藤村がガメた…」
本社から送られたウナギをヤツが着服したのは、間違いなかった。
というのも去年の同じ頃、本社からクール便が届いたのを
長男が目撃していたからである。
長男はウナギとは知らなかったが、藤村はなぜか慌てて
「俺たち本社付きの上役だけ、ウナギがもらえるんだ」
そう口走ると、クール便を車に運んでどこかへ行き
その日は戻ってこなかったという。
本当にセコい男だ。
野心のみならず、このような得をするためにも
そして、それらの悪事を隠すためにも
藤村はこちらに詰めて番をしたかったと思われる。
《続く》