殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

デンジャラ・ストリート 老博打

2023年08月25日 13時47分51秒 | みりこんぐらし
義母ヨシコを相手に、1年がかりで取り組んでいたギャンブルがある。

先日、その結果が出て私が勝った。

勝利の美酒に酔いしれる。


ギャンブルの内容とは…

昨年の3月末、隣のおばさんが

広島市内に住む息子さんの家へ引き取られて行ったことに端を発する。

その息子さんは、私と同い年。

一流大学を出て一流企業に就職した、おばさんご自慢の子供である。


ご主人亡き後、おばさんは8年ほど一人暮らしを続けながら

息子夫婦が実家に戻ってきて同居する日を指折り数えて待った。

息子さんと両親は、どちらかが一人になったら夫婦で実家へ帰り

残された親の面倒を見る約束をしていたからだ。

20年ほど前、息子さんが広島市内に家を買うと言い出した時

おばさん夫婦はその約束を交わした上で、家の頭金を出していたのだった。


けれども息子さんは、何だかんだと理由をつけて帰らなかった。

仕事が忙しい、奥さんが仕事を始めた、子供が結婚した

孫が生まれた、自治会の役員が回ってきた…

奥さんが更年期障害という、わけわからん理由もあった。


親を理屈で説き伏せるのは、優秀な子供がよく使う手だ。

おばさんは息子さんが述べる同居できない理由を信じようと

努力している様子だったが

気持ちのコントロールに苦しんで、よく泣いていた。

辛くなるといつもうちへ来るか、こちらが呼ばれるので

私はその状況を逐一知っている。


合間で息子さんは、同居できない代わりに頻繁に実家へ通うと約束した。

しかしそのためには、今の車ではしんどいのだと言う。

おばさんはねだられるまま、ご主人の遺産で高級車レクサスを買い与えた。


彼は最初のうち、その新車で毎週帰って来た。

おばさんは来れば来たで喜んで泣き

帰れば帰ったで遠い帰り道が心配だと泣いた。

しかし3ヶ月もすると、仕事が忙しくなったということで

あまり帰って来なくなった。

なまじ頻繁に顔を見られる期間があったために、おばさんの苦しみは増した。


「大きな会社の責任ある立場だから、うちの息子がいないと困るらしいのよ」

おばさんは自分に言い聞かせるように、たびたび私にも言ったものだ。

が、本線を外れて枝葉の会社に飛ばされていることは

おじさんの葬式で見た献花の名札で察知できた。

ついでに、息子さんが絶対に帰って来ないのも知っていた。

優秀な彼が高校生の頃、下着泥棒の常習犯だったと聞いたことがあるからだ。

そのような過去を知られている町へ、帰って来るわけないじゃんか。

あれこれ方便を使って実家に帰るのを引き延ばしながら

おばさんがいなくなるのを待っているとしか、私には思えなかった。


息子を待ちわびるだけではいけないと思ったおばさんは

近所や老人会の集まりへ積極的に参加するようになった。

しかしご主人が厳しい人で、あまり外へ出してもらえなかった彼女は

人の集まりに慣れてない。

それでもいっぱしにセンターを獲りたい気持ちはあるらしく

大きな袋にアルバムを入れて来ては、会場で皆に見せるようになった。

孫たちの結婚写真や、次々に生まれたひ孫たちの写真だ。

「うちの幸せを見せびらかすみたいで申し訳ないんですけど

よろしかったら見てやってください」

行事の進行を無視して始まるアルバム披露には、必ずこの言葉を添える。


孫やひ孫どころか、子供すら結婚してない人はけっこういるし

司会進行を邪魔される世話人にも、この行為は大不評。

それまで隣同士として、おばさんに合わせていたうちのヨシコも腹を立て

おばさんは近所で孤立するようになった。


やがておばさんは、90才に近づいた。

息子さんがいよいよ帰る決心をしたそうで、有頂天だ。

しかし、それにはハードルが。

こちらへ帰るためには広島の家を手放すことになるが

ローンがまだ残っているので売れない…

息子さんに言われたおばさんは、残りのローンを一括で払ってやった。


しかし息子さんは帰って来ず

「そんなに一人が辛いなら、ひとまずこっちへ来たら?」

と言い出した。

息子さんの車と住宅ローンの完済でご主人の遺産を使い果たし

老後資金が尽きたおばさんは、毎日が不安でどうしようもなくなり

とうとう折れて、息子さんの家へ行くことに決めたのが去年の3月。

おばさんは着替えを入れたバッグ一つ持って、引き取られて行った。


それから3ヶ月後、夏服を取りに帰ったおばさんはうちに寄って

「息子夫婦にとても良くしてもらっている」

と嬉しそうに話していた。

家が売りに出されたのは、それからすぐのことだ。

時々、風を入れに帰って来ると言っていたが、とうとう諦めたのだ…

ヨシコと私はそう話した。


その時、私は言った。

「いつまで息子さんの家に居させてもらえるかね?」

するとヨシコが激高。

「最後までに決まっとるじゃないの!」

「どうだかね…」

うすら笑いで答える私に、ヨシコはなおも言う。

「あんたらみたいなのばっかりじゃないわっ!

息子さんはしっかりしとるけん、ちゃんと責任持って世話するよっ!」


聞き捨てならぬ暴言を吐いたヨシコに

「じゃあ賭けようや。

おばさんが最後まで家で面倒見てもらえるかどうか」

そう提案した私。

「いいわよ!受けて立つ!」

ヨシコも鼻息荒く同意し、負けた方が焼肉を奢ることに決まった。


私が息子さんを怪しむ理由は、はっきりしている。

引越しの時、ヨシコと一緒に餞別を持って挨拶に行った我々に

彼は言った。

「熱帯魚を持って帰れないから、水槽ごと、お宅で引き取ってもらえませんか」

最初のうちは彼が帰るたびにせっせと世話をしていた熱帯魚だが

何年か経つと飽きて放置され、ドロドロの水槽で生き残っているのは

2〜3匹の“コケ食い”と、水草から生まれた小汚いエビだけ。

何が熱帯魚じゃ…そんなモン、誰がいるっちゅうねん。


即座に断ると

「困ったなあ…お宅に引き取ってもらえないとなると

川へ放すしかない…」

いやらしい言い方は、おばさんに似ている。

「川へ放したら死んでしまいますよ。

広島で飼われるのが一番いいと思いますけど」

「うちの家内は魚が嫌いでね。

引き取ってもらえないんだったら、死なせるしかないんですよ」


膠着状態のところへ、昼休みで帰って来た長男が挨拶に訪れた。

息子さんはすぐにターゲットを変更。

長男に話を持ちかけ、長男は引き取ると言った。

この子がOKなら、私はかまわない。

世話をするのは彼だ。


さっそくドロドロをうちへ運ぶ。

運ぶのを手伝いながら、息子さんは念を押した。

「うちは水槽も機械も、かなり良い物を買ってますからね」

こっちはシブシブもらってやるというのに

向こうときたら、高価な品をうちへくれてやると言いたげな上から目線である。

さすが一流大卒の秀才、言うことが官僚めいて吐き気がするぞ!


これが、その水槽。

長男がドロドロを綺麗にし、グッピーを飼って約1年半が経過している。


とまあ、そういうことを平気でやる人が

根気のいる親の世話なんか続くものか…というのが私の予測。

そして実際に私の住む高齢者密集地帯、名付けてデンジャラ・ストリートでは

子供に引き取られて行った親たちのほとんどが

さほど日をおかずに老人ホームへ入った。

ヨシコはヨシコで、親の世話は子供の義務だから

最後まで子供が面倒を見るのは当たり前だと言い張る。

嫁姑はお互いの威信をかけて、このギャンブルに臨んだのであった。




そして話は冒頭の先日に戻る。

その日は転居以来初めて、隣のおばさんから電話があった。

家がどうなっているかを知りたいらしい。


「あ〜ら、4月に若い一家が買って、もう住んでるわよ」

最後の頃はおばさんと決裂して仲が悪くなっていたヨシコが

嬉しそうに報告。

おばさんは家を売りに出したことも、家が売れたことも知らなかったので

かなりショックを受けていたそうだ。


それからおばさんは、現在の状況を話した。

今年の4月から、老人ホームで暮らしているという。

おばさんは目が少し悪かったので、そっちで介護認定を受け

全て息子さんの主導で、気がついたら入所の運びとなっていたそうだ。


今度はヨシコがショックを受ける番。

絶句するヨシコに、おばさんは泣きながら言った。

「老人ホームは良くしてくれるから不満は無いけど

年金も手持ちのお金も全部、息子が管理していて

お菓子を買ったり歯医者へ行くお金も無いの。

長生きなんて、するもんじゃないわね」

お金が必要な時は、私より二つ年下の娘さんに連絡して立て替えてもらい

後で娘さんはお兄さんから実費をもらうことになっているのだそう。


おばさんとの電話が終わった後も、しばらく立ち直れないヨシコ。

「あんたの言うた通りじゃったわ…」

素直に負けを認めた。

気の毒なので、焼肉を食べに連れて行った。
コメント (10)
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