今年、私はある特殊能力を身につけた。
それは、「見て見ぬふりができる」というもの。
窓ガラスは見える部分や手が届く範囲だけを磨き
部屋や庭も同じく部分的に掃除。
あとは見て見ぬふりだ。
以前は、だらしない性格なりに頑張っていた。
が、年寄りの世話に明け暮れた今年は、それどころじゃない。
自分の身体は自分で守らなければ。
見て見ぬふりって、案外できるもんだね。
さて私は相変わらず週に3回、デイサービスの送り出しに通い
合間で用事があれば実家へ行く日々である。
そんな先日、実家の母サチコが通うデイサービスから連絡があった。
彼女が色々とやらかしてくれるので
このところ、施設から電話やメールで頻繁に連絡が来る。
連絡を受けた私は指示に従うか、謝ってばっかりだ。
今回は、デイサービスに常駐する看護師からの電話。
「お母様のお尻に“褥瘡(じょくそう)”ができているのを
入浴の時に見つけました。
早めに皮膚科を受診してください」
それを聞いた私は、自然に緩む口元を押さえきれぬまま
看護師に確認した。
「褥瘡というのは…“床ずれ”のことですよね?」
「はい、床ずれです。
お尻の仙骨(せんこつ)の上に、小さいのができています。
広がると長引くので、軽いうちに皮膚科を受診して
塗り薬をもらってください」
床ずれ…今の私の耳には麗しい単語だ。
なぜなら、この生活が終わる兆しに聞こえるからである。
昔は老人や病人に床ずれができたら、◯期が近いと言われたものだ。
病院の厨房に勤めるようになると、それは昭和までの話で
現代は良い塗り薬があるため、一概に終わりとは言えないことを知った。
それでも、終わりに向かう道しるべのように感じてしまうじゃないか。
クックックッ…。
連絡を受けた翌日、足取りも軽く実家へ赴く。
「あんさん、床ずれができとるそうじゃないの」
サチコに言うと
「へ?知らんで?どっこも痛いも痒うもないで?」
「皮膚科へ行こうや」
で、私が勤めていた近所の病院に連行。
その日は週に一度、大学病院から皮膚科の先生が来る日だった。
床ずれの箇所の確認はしない。
私にお尻を見せるなんてサチコは嫌だろうし、私も見るのは嫌だ。
待合室で待つこと、2時間半。
ずっと座っていると、こっちが床ずれになりそうじゃ。
サチコは待つのに飽きて、通りかかる看護師を呼び止めては文句を言う。
「ちょっと!忘れとるんじゃないのっ?」
年寄り、特に認知症だと気が短くなるものだ。
ようやく順番が来て、診察室に入る。
看護師がサチコのズボンを下げ
医師が尻の肉をかき分けて患部を探した。
つまり彼女の床ずれは、探さなければ見つからないほど小さいらしい。
「これは…」
そして彼は絶句。
おお!いよいよ道しるべか!
医師は、私の方を向いて言った。
「あると言えばありますけど…
小さいし、もうほとんど治っています」
彼が指差した先には数ミリの、点のようなカサブタが一つ。
私は密かに失望するのだった。
「お薬は必要無いと思いますが、一応、出しましょうか?」
お願いします…私は答えた。
施設から病院へ行けと言われたら、行かないといけないのだ。
塗り薬は家と施設用の2個もらって、受診した証拠を提示するのだ。
何度も言うけど、介護施設って
利用者の家族に徒労を強いるのが好き。
こないだも
「お母様の小指の先に、青いアザのようなものができています。
ドアか何かで詰められたのかもしれません。
必要であれば外科を受診してください」
と連絡があった。
翌日見たら、小指の爪の付け根が1ミリぐらい青くなっている。
本人は気づいておらず、痛くもないと言うので放置した。
細かい観察は老人のためというより、施設の保身のためだろう。
保身と言ったら語弊があるが、利用者やその家族の中には
ごく小さなことにイチャモンをつけるのが生き甲斐の
クレーマーがいると聞く。
責任回避のために、小さな事象も見逃さないのは
介護従事者にとって技術の一つかもしれない。
私の心に小さく灯った希望…床ずれは、空振りに終わった。
《完》
サチコさんの高すぎるプライドが、彼女を造り上げ、歳を重ねてありのままを見せるしかなくなると、みんなが怖がって離れていく・・・
人間、謙虚が一番ですね。
いつかは我が身。呪文のように唱えておきます。謙虚謙虚ホ~ホ謙虚。
今はサチコを諦めて、円滑な介護を続けるために
私の矯正へと軌道修正した感が否めません。
プロって、こうなんですね。
そそ、みんなが怖がって離れていく。
で、本人は寂しい寂しい。
これぞ生き地獄ですな。
ホ〜ホ謙虚!笑わせていただきました!
晩年を決定付けるのは、謙虚さなんだと思います。