しかしデデキント切断と同じように、直前過去と直後未来の中点が必ずしも今とはならない。仮に今というものに微小な幅があったとしても、それは中点をもち、有理数のような悟性の対象であるはずで、過去か未来かのどちらかの見る世界に帰属するはずである。したがって中点のようなものが今と定義したこと自体が誤りであって、今は過去や未来とは全く性質の異なる存在である。なぜなら過去も未来も存在しないが、今は存在するのであるから。 . . . 本文を読む
末次一郎の天皇陛下万歳の発声は見事な戦後カタルシスの契機であった。この逸話を現場に居て、それを神話的に再構成した石原慎太郎の文章表現力もさることながら、君臣一体の真の愛国の瞬間に涙を浮かべないものはいないだろう。この原始的公(オオヤケ)の感情を奪うことは罪深い。1968年10月23日、日本武道館で政府主催の「明治百年記念式典」で『天皇陛下万歳』を発声した人物以下、『歴史の十字路に立って 戦後七十年 . . . 本文を読む