「意思決定についての文献のほとんどが事実を探せという。だが、仕事のできる者は、事実からスタートすることなどできないことを知っている。誰もが意見からスタートする」(ドラッカー名著集(1)『経営者の条件』)
意見と疑問はあらゆる実証の端緒である。事実はその補助にすぎない。
経営は事実の解釈ではなく、意見の実証である。
感性は疑問の母、疑問は意見の糧である。
だから、最も重要な経営資源は疑問を発する人、人材、人の感性である。
次に重要な資源は疑問である。それでは疑問とは何か。
自明と思う感性を説明することほど困難なことはない。
疑問の前に疑問は無い。
つまり
疑問のない状態の自明を信ずる感性の摂理が疑問の台頭を封印している。
はじめは、ただ違和感、座りの悪い情緒があるだけである。
摂理の破綻、構図の矛盾が感性の上の疑問を理性の上の疑問に押し上げる。
と言えばわかったような気分になる。
しかし違和感を感じる感性は、同じ形では継承者に自覚できない。
疑問そのものに言葉の光は届かないのだ。すくなくともその始まりには。
リーダーまたは経営者は様々の見解や意見を持つ事が義務づけられている。
何らかの方向性を何らかの出発点から、己の対決課題を導かなければならない。
疑問を出発点としていない経営者は信用できない。
創意と疑問は表裏のものであり実証の意思がある限り第二、第三の疑問が生じて不思議ない。ドラッカーの言う仕事のできるものとは創意の持続する者をさしている。
この疑問を持つ感性は人に備わったものなので、経営資源は後継者に委譲できない。
その時代にはその時代にふさわしい新しい感性、新しい疑問というものが続々出てくる。
勉強してこれをなんとかできるものではなく、むしろ勉強は邪魔になる。だから多くの感性が同じものを見て同時に疑問を発する事の出来るコアシステムが必要になるのだ。(続く)
変化はコントロールできない。できることは、その先頭にたつことだけである。経営者は全ての問題を解決する必要はない。対決問題を選ぶ活動が経営である。