日本の会社で管理職や取締役、社長などに就いている数は欧米に比べて、段違いに低いといわれております。今、現在も女性をバックアップする仕組みができておらず、社会で存分に活躍できないということなのかもしれません。
これからは偏見も含めて?「家庭」の話を絡ませていきますが、どうでしょうか?数少ない日本の女性管理職や女性取締役の方々に旦那さんはいるのでしょうか?子供は何人いるのでしょうか?「そんなこと関係ないでしょ!」と言われるかもしれませんが、「より素朴な人間」という視点で考えると、人間の第一の目的は何でしょかね?「文明の発展」「科学技術の進歩」「思想哲学の進化」...。これからお話しすることは「文明の発展」に少しかかわってくるのですが、さて人間はこの先どうやって生き延びていくことができるのでしょうか?その第一条件はみなさんなんだとおもいますか?話はちょいと脇道に外れるかもしれませんが、今地球は「人口爆発」を起こしておりまして、アフリカや南アジアでは顕著であります。それが北半球だとうんと人口は少なくなって、それどころか「減少傾向」です。この『赤道』で分けられているという原因は何か?南半球でもオーストラリアは違ってきますが、南半球の多くの国は「発展途上国」で北半球の多くの国」は先進国であたっりする現実です。文明が発達、科学技術が進歩する、国が成熟期(この言葉は個人的に嫌いですが)に入ってくると、人口は減少傾向にあることはわかっていて、それは声高らかに「男女同権」という発言の中で「女性の社会進出」正確に言えば「女性の男性社会への進出」が叫ばれてきます。日本でもご多分に漏れす、1980年代以降「職業婦人(古っ)」「オフィースレディ(ちょい古)」と言われてきて、男性社会への進出が始まってきて当初は「お茶汲み」「事務的作業」「男性社員の補助的立場」となっていたのが、「嫁入りまでの腰掛の就職」という言葉も聞かれなくなりました。「結婚してからも、『家事・育児』の両立」で頑張ってきて、さらに社会の中で上を目指すとなれば「男性の家事分担、子育て分担」もここ十年ばかりで多くなってきているようです。
子供は生まれて勝手に大きくなるわけではないので、やはり「親の愛」が必要で、たとえば親の愛を受けないまま育つと考えに偏りが生まれて大人になってから修正が難しくなったり、身体的な成長にも影響するといわれています。
やはり、昔からの人間の営みを先進的な社会で捻じ曲げて、男女の役割分担の『掟』を破って、その犠牲になっているのは大事な「子供」なんじゃないでしょうかね?家庭環境に恵まれないと、その子供が結婚ののち離婚するパーセンテージも倍くらい違うといいます。「女性の男性社会への進出」で女性の晩婚化、少子化に拍車がかかって、最近発表された「日本の出生率」はやはり上がることなく、減少の一途を辿っております。
こういうことは「文明の発展」「科学技術の進歩」「思想哲学の進化」で解決できるでしょうかね?晩婚ののち、出産した子供に障害がある可能性は高くて、厳しく言えば「勝手な親の事情で子供が『高齢出産の犠牲』になっている」といえます。もちろん、男性に責任がないとは言いません。しかし、「子供を産む」「子孫を多く残す」という生き物としての「本来の目的」は今や失われようとしております。「女性の権利を侵害している」とおっしゃる方、「人間という生物が後世生き残るための『努力』はされていますか?」。自己満の行き着く先は、この地上から人間がいなくなることに積極的(主導的)に加担していることに間違いありません。市町村によっては、第一子、第二子、第三子と増えれば増えるほど、役所から金銭的な面や子育てのための環境整備に支援が行くところもあると聞きます。本来の役所の大事な役目の一つと思いますがいかがでしょうか?
哲学や経済の難しい本を読んでいても、この問題の答えは出てこないと思いますよ。