狂人の頭の中

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徳兵衛の狂人日記 「『自助・共助・公助』では、貧困を脱することはできないのか?の一考」

2021-04-15 21:33:08 | 狂人の頭の中
私、徳兵衛は「元 生活保護受給者」でした。
「生活保護」といえば「不正受給の温床」というイメージが一般的には強いようです。生活保護受給者の中で「不正受給者」は居るには居ますが、その割合は全体の件数の内、約2.7%、金額でいうと0.45%(平成27年度)。ということになっています。もちろん、不正受給は許されることではありませんが、「生活保護受給者=不正受給者」というのは大きな誤りであると言うことは間違いありません。漫才師さんの親が子どもが扶養できるにも関わらず、受給し続けたことにより、騒ぎになって、それに安倍政権が乗っかって大幅な削減が行われました。(安倍政権以前より削減傾向にありました)漫才師さんはTV復帰してご活躍のようですし、安倍政権も退陣して、今は安倍さん自身がニュースになることも少なくなりました。しかし、「生活保護受給者=不正受給者」というイメージは擦り込まれたままのようです。(アホめ!)受給していた時に思ったのは「正直、この金額では生活が苦しい」ということです。相当な「やりくり算段」をしないといけないのです。私はまず食費を大きく削りました。これは健康問題に直結しています。栄養状態が悪くなれば、生活保護から医療扶助を受けて受診しなければならず、これまた国からお金を出すことになります。「悪循環」ですよね。この二十年間で「食費、衣料の価格、交通運賃は10%、光熱費は20%」上がっています。しかるに生活保護費は減少傾向になって反比例状態です。・・・以上が現状です。
さて、今回取りあげたいのは「生活保護受給レベル世帯を脱する方法」です。なんだか幸せになりそうでしょ!?問題は就労さえ難しくする程度の支給レベルであることです。なにせ就職面接に着ていくスーツさえ買えない、面接会以上に行くための電車賃にさえ困る有様の支給額です。現政権の菅総理大臣の口癖は『自助・共助・公助』ですが、自助は無理ですし、今の日本は「一億総中流社会」から「一億層下流社会」へと転落しています。これでは家族が面倒見切れません。面倒見る時はその家族が貧乏にならなきゃならん。そして菅総理大臣が「セーフティーネットがある」と野党の追及を突っぱねていますが、この「セーフティーネット」があまり機能しておらず、「生活保護から卒業」が難しく「国が墓穴を掘っている」状態にあります。ここは生活保護受給金額を上げて「生活保護から卒業」を促すことです。菅総理がいう「公助」を頼る前に自助なり共助でフォローできなくなっている社会の仕組みが無いことも一因といわれています。そして、公助に頼った時にたちまち世間の冷たい目にさらされてしまう社会のあり方、風土。生活保護受給者が少ない都道府県として富山、福井、長野、岐阜、石川、山形、山梨といった順です。私の見方では一人世帯の少ない、家族のつながりが密接である、狭い社会性というところだと思います。最初の二つは「共助」を受けやすい環境であること、三つ目に上げた「狭い社会性」はいわゆる「となり近所の目」が届きやすく、「噂が広がりやすい」、「村八分」という生活しにくい環境にすぐに落ち込んでしまう可能性が高いことです。このことは「心的困窮」につながり、ただでさえ公的相談事業所につながりにくい現状の中で「さらなる困窮」につながっていく要素があるということです。社会は「生活保護者への当事者性を持て!」とまではいいませんが「社会に『生活保護受給者』がいるんだ」という理解が広がっていくことを願います。




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狂人の頭の中 「池江璃花子選手の『努力は必ず報われる』について一考察」

2021-04-13 21:37:37 | 狂人の頭の中

池江璃花子選手が水泳 日本選手権ですばらしい復活劇を見せてくれた。同時に東京オリンピックの出場権も獲得し、本人も感無量と言ったところだったし、日本の多くの人間は感動した。池江選手がレース後のインタビューに答え「~自分がすごく自信が無くても努力すれば必ず報われるんだな、と思いました。~」レース直後の心境を思えば当然の感想と言えよう。Twitterで陸上の競技選手である藤光兼司選手は「本当にすごい!!すごく勇気をもらいますね、本当におめでとうございます!!。」と祝福。数日後に「~しかし『努力=報われる』という考え方だと、大半の人は報われない事になる。正しい努力とはいったなんなのか?」とも投稿している。それに答える形で池江選手は「確かに深く考えさせられる言葉ですね...。~どんな人も努力はしていると思います。ただ、その努力という定義は難しいな、と思います。本気で目指してきたことをたとえ達成できなかったとしても、その努力はきっと誰かが見ていて、誰かが勇気をもらえるのではないでしょうか?~(各本文抜粋)」と返信している。私はあるときInstagramで上がっていたプロ野球で選手/監督として活躍された故 野村克也さんの言葉を思い出した。野村さんはプロ野球へ「テスト生」として入団、その後活躍し「戦後初の三冠王・平成最多勝監督」など輝かしい戦績のある方であり「名将」とうたわれた。野村さんは「努力の先にあるものに価値があるのであり、その努力そのものに価値はない。という言葉を残している。野村さんの身の上、体験から来る含蓄のある言葉である。本人が例えばスポーツで努力を積み重ねてきて、優勝できなかったとします。しかし、そのことはその後、社会に出て様々な難関の前に立った時に役に立つのではないか?と思う。
私自身、空手を長くやってきていても病気でついこの前まで稽古を中断していたし「もう関わりたくない」という思いが強くした時期もあった。35年あまり、私が今まで胸を張って言えるような努力をしてきたのか分からないが「一生懸命やってきても結果が悲惨なこともある。それを『運命』という言葉を装飾、諦めてはならない。」と思う。実際、後進の指導や私自身の稽古に夢中であった時に,空手の事故にあって、その後長く『後遺症』に悩むことになった。その影響で郷里を離れ、その道場も今は芳しくなくなっていることには責任を感じざるを得ない。みんな様々なバックグラウンドを抱えながら、あるいは抱えない人も空手に打ち込んだ人の中で優勝の名誉に浴することができるのは極々一部である。私のことはいっか・・・。
ただ、今回の池江選手の件に関していうと、レース直後に優勝という結果を得た人に「レースの前からインタビューの答えを考えておけ」というのは酷な話しである。ここは日頃思っていること、今までの苦労をして、今得た結果の率直な感想と受け止めた方が良いだろう。
陸上の藤光選手の言わんとするところは「スポーツエリートの心構え」と言うところかもしれません。池江選手にはすばらしいセンスとすばらしいスタッフと環境があったであろうし、スポンサーが付いていたことで金銭的にも他の選手より練習に割く時間は多かったであろし、例えば池江選手が「バイトしながら、水泳の練習していました。」という環境ならば、今回の結果は得られなかっただろう。池江選手が投稿した「~努力は必ず誰かが見ていて勇気づけられるのでは?~」というのは、若いなりゃこその発言でしょう。「誰にも知られず・・・」という人は世間に掃いて捨てるほどある。まぁね、世間には持つ者、持たざる者の二種で成り立っていて、スポーツは当事者たちには眼前で明瞭に示されると言うところがあります。勝利は累々たる屍の上に立つ」ちゅうことですわ。
勝利に恵まれた方々には頭の片隅にこのことを置いておいて欲しい。






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徳兵衛の狂人日記 「『同調圧力』と『規律』」

2021-04-10 17:42:59 | 狂人の頭の中
タイトルは難しそうですが、心配要りません!私もよくわかっていないので!
『緊急事態宣言』が敷かれて、すぐに出てきたのが『自粛警察』。これは警察がそうしているのではなくて、市井の人たちが「国が取り締まらないのであれば私が!」という訳からぬ自責感で街中で不用意に出歩いていると見られる人に注意したり発展すると暴力沙汰という穏やかでない手段に出る方もいるようです。これはコロナ禍になる前に『東京五輪』の前に『禁煙』が呼びかけられ、店舗内や外でもある一定のエリアでの路上喫煙の禁止がされて、この時も『自粛警察』が出動してもめ事になっていましたね。このようなことは、法で禁止されたもの以外の『行動自粛のお願い』という程度の事であっても他人に対して「私がしているのだから、あなたもしなさい!」という今の言葉で言うと『同調圧力』を掛けて統制を取らせようとする行為。これは全くの独り善がり、と一刀両断出来ないところにミソがあるように思えます。『お願いレベル』のことだと行政は取り締まれない、しかし行政から『お願いの要請』は出ている。このなんとも言えぬ曖昧模糊な日本人らしい白でも黒でも無いグレーなところが生まれるので「自分に従えば間違いないから、私の言うことを聞きなさい。」ということになっているのかな?と。
私はやや『自粛警察気味』や『同調圧力的』なところがあるのかもしれませんが「感染が蔓延するといけないから、強い『自主規制』を強いていかなければいつまでも混乱が続きますよ。」と言いたいのです。ですが、私の場合はせいぜいこのブログで言うくらいで人に直接強く言ったり(弱くも言いませんが)することは無いので、あくまでも「自主規制」なことです。日本とヨーロッパの国を比べるとフランスやドイツは結構厳しめのように思えます。アメリカはユルユルね。なんというか「自由国のはき違え」ですよね。子どもみたい。(毒)お題にした『同調圧力』は『規律』から漏れる人を一人たりとも許さず、「漏れた人は私が成敗する」くらいの意気込みです。『規律』は自分で自分を制御するという事なんだと思います。それが誤認を元に自己制御すると大変ですよね、今の日本人のようです。しかし、言いますよね「欧米に比べると感染率/者、死亡率/者は少なく、規律も比べると守られている。」と。下見たってしょうがないですよね、日本は根絶させたわけじゃないのに。
今は「強い変異種」が出てきて、次の波「第四波到来」なんていっております。若者はTwitterなんかみてても外出や旅行に出ている人も多いように思えます。私の住んでいる京都も人出が増えているようです。籠もっていたらストレス貯まるしね、夜中に散歩くらいが丁度よろしいかと思います。





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狂人の頭の中 「まん延防止の切り札は結局のところは『個人の自覚』」

2021-04-04 13:30:15 | 狂人の頭の中
国は新たに『まん延防止等重点措置』 という『緊急事態宣言』の
前段階の措置を設けて各都道府県に向けて対処をお願いしております。
あすから、近畿では兵庫・大阪、東北では宮城において施行される。
私の住んでいる京都では「自主規格」というのか、自粛のお願いをしている。
21時までの営業時間の繰り上げなどです。

前々回のブログでも似たようなことを書いたのですが・・・
大阪府知事の吉村氏などは「マスク外食」を強く呼びかけるなど、
この自覚を言っております。一般の方々は「夜の外食さえ自粛すれば・・・」
などとはき違えている方が多いようで、外食そのものが感染の大きな原因なので
その昼夜の別は関係ない。また人通りの多いところへの外出も同じです。

もはや国も都道府県も「万策尽きた」という感はぬぐいきれない。
なにせ国民全体の自覚は薄れ、上記のようなはき違えや「私は感染しない」
というバカな勘違いをしているからだ。また、民放のTVでは食に関する
いわゆる「グルメリポート番組」が盛んに放映され、外食意欲をかき立てている。
私が外歩きをしていると、どこで聞きつけたのか外食店に長蛇の列を成して
いる店舗もあった。「緊急事態宣言/まん延防止等重点措置」では
もはや対応しきれず、私は冗談で思うのは「外出禁止措置」で
『食糧の配給制、外出した者は逮捕、または銃殺措置』などと言っている。
これは半ば冗談では無く、もはやそこまでの「脅し」をしなければ、
ならず各個人の警戒が「雲散霧消」と化している現在では外圧でなければ
「新型コロナ収束または減退は実現不可能」という段階まできている。

現段階では国のやる気はそがれているように思え、ただただ「都道府県任せ」
という気分がまん延しているように思え、今以上の強制的措置は
「人権の侵害で憲法違反」という盾で「ワクチン待ち」という感があるように
思える。ワクチンが「国民全体、二度の接種」が実現するには恐らく
年をまたぐ事が予想され、その前に国民全体の大半が感染して抗体を持つ
のではないかという冗談も出てきそうである。「接種が年をまたぐ」ということは
「集団免疫」を獲得するのは年末になる可能性が大で、「集団免疫信奉者」も
この現実を受け止めないわけには行かないだろう。また「新型コロナ軽症説」も
重い後遺症を持つ患者さんを前に同じ事が語れるのかということも首を
傾げざるを得ない。今までこのブログで書いてきたとおり、インフルエンザとの
違いをいうとすれば、2021年1月の感染者数は直近5年間と比較すると
1/1000でその感染力差は歴然である。ただ考慮しなければいけないのは、
「インフルエンザの診療控え」である。これは「今受診すれば、コロナに
感染するのではないか」ということで自然治癒者がいる可能性がある。この場合は
これは軽症の場合のみと言うことがで前提であるが。

菅内閣はこの様な状態を踏まえても、まだ「経済活動とまん延防止の両輪」
という『良いとこ取り』の政策を進めるのだろうか?この有様でドンドンと
感染者が増えるのを「座して待つ」のでは無く、
「まん延防止等重点措置➔緊急事態宣言➔XXXXX」という緊急事態宣言より
さらに強制力を持つ措置が必要で無いかと思う。そこまでしなければならない
理由は「国全体にまん延した新型コロナ警戒に関する『意識の弛緩』」である。
この強烈な措置と同時に行わなければならないのは、当然「業務停止に関する保障」
であることは言を待たない。これは閉店同様の事業に給付金を出す必要は無く
まん延前の事業収益や純利益に比例して給付するべきであり、
「給金の『まき散らし』」は必要ないし、税金の無駄遣いである。
その上、個人にたいしての保障も「毎月の給付金」が必要である。

これまで好き勝手に書いてきましたが、このブログを「外出先」や
「さて、ブログ見たからちょっと外まで・・・」ということは避けていただきたい。
「外出は必要最低限」と「私だけは感染しない」という訳のわからぬ
『うぬぼれ』は勘弁いていただきたい。






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コメントをくれた「大林秀雄(偽 小林秀雄)さん」へ

2021-04-02 21:02:51 | 狂人の頭の中
以前の記事でコメントをくれた大林秀雄(偽 小林秀雄)さん。
コメントの意図を把握せず、私がコメントをしてしまったようです。
訂正させていただきます。
お褒めの言葉を否定的なコメントと勘違いしていたようです。

ただ、高齢の方なのでしょうか「きちがい」と言う言葉を使っていらっしゃる。
この言葉は現在「差別的な言葉」とされておりますのでこの一点だけ
私から言わせていただきます。


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