狂人の頭の中

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この時期に考える「『南京大虐殺事件』、書籍『南京への道』から」

2020-08-17 01:44:26 | 狂人の頭の中
最近はあまりTVを見なくなったのですが、
どの年も8月6,9,15日向けの特番を放映しておりましたね。
言わなくても解るとは思いますが広島原爆投下の日、長崎原爆投下の日
そして敗戦記念日ということなのです。

本文に入る前に「南京大虐殺は無かった。」という妄言はこの期に及んで
止めていただきたく思います。

本書は7月後半あたりから読み出しました。
本田勝一 著「南京への道」なのですが、この著作の中身は主に現地に赴いて
当時の南京城とその周辺に住んでいた方、もしくは動員でたまたまその地に居た
現地の方のインタビューで構成されております。

このインタビューに関しては読んだ感想でありますが信憑性が高いものが多い
と感じました。
日本軍が南京攻略のために・・・
というよりは、その前に「なぜ、日本軍は南京を目指したのか?」という
ところから説明したいと思います。当時南京は蒋介石 国民党総裁が首都として
いた土地であり、日本帝国軍は中華民国樹立を目指す国民党を掃討すべく
首都 南京へ向けて戦闘を交えながら進軍していたのであります。
その進軍途中において日本帝国軍は国民党軍が退却した後に逃げ遅れ、
捕まることを恐れた兵士が軍服を脱ぎ捨てて民間人の衣服を着て
潜んで「ゲリラ活動」や本軍へ合流すべく移動するという
※「便衣兵」(当時の国際法では「便衣兵」は法違反とされていた。)が
潜んでいて日本帝国軍を疑心暗鬼に陥らせていたことと、
日本帝国軍兵士の精神状態の限界などから、虐殺が行われていったと
されている。
なかでも、女性に対しては年齢を問わず「強姦」が行われ、事後には必ずと
言っていいほど惨い殺され方をされており、一人の女性に対し10人は
下らぬほど輪姦し、陰部に棒状のものを突き刺し死亡させたり、
妊婦を強姦した際には強姦後に腹を割いて胎児を取り出し、
母子ともに刺殺、または銃殺した例も珍しくなかったと、中国人や従軍した
記者、日本帝国軍人が証言していることから真実であろうと思われる。

中には「今のうちにここから去れ」と中国人を逃してくれる兵士も
いたようであるが、このような例は希有だったと思われる。

大量に次々と虐殺されていく中国人。その遺体の処理は確かに現地の中国人も
狩り出されたのは確かであるが、また日本帝国軍人が行った。

当時の国際法では捕虜や難民の扱いに対しては厳格に規定されており、
人道的な扱いが軍隊に求められた。しかし、日本帝国軍は自軍の食料状態も
困窮を極めていたことから、この法を破り餓死を含む虐殺や強奪をすることで
食糧難をやりくりしていたようである。

戦後、中国は「南京大虐殺で30万人が日本帝国軍に死亡した。」と
されているが、中国、欧米でも人数はまちまちではっきりしていないのが
現状で、今年「戦後75年」を迎え、日中国共に当時現場に居合わせた
人々が減る中、正確な数値を導き出すのは皆無と言っていいだろう。
しかし、「戦時国際法の遵守」の有無というよりも戦争に至った経緯を
検証するべきであり、また虐殺事件を忘れず記録を残し関心を持ち続ける
ことが肝要であるとつくづく思い知らされた。

ちなみに本書は絶版になっており「資料に値する」とされる書物の多くが
絶版の憂き目に遭っていることが悔やまれる。Webサイトで探してみても
程度の良い書籍でも低価格で手に入ることから、関心の低さが窺えることは
非常に残念であります。

「南京大虐殺」ということを調べようと資料を探す時に、
気をつけておきたいのは、あまりにも著者の意見が入りすぎていたり、
第三者の裏付けが無い資料が多く載っているものは回避していただきたいと
思います。
言い逃れは出来ないにせよ「戦場という名の狂気渦巻く修羅場」という
異常な空間において起こった悲劇。私は引き続き資料をひもといて
この頭のなかに叩き込んでいきたい。


合掌










狂人の頭の中 「終戦の日に向けて『戦艦大和に見る日本海軍』について考える」のこころだぁ~

2020-08-10 03:03:57 | 狂人の頭の中
BS TBSだったかな、「戦艦 大和」を特集してやっておりました。
途中から見たのですがひたすらに賛美しているところに違和感を感じた。
武蔵や大和が建造された時期には、世界の海戦は戦闘機を中心とする戦闘に
変わっており、巨大戦艦の時代はすでに終わっていたといわれております。
資源が無い日本が身を削って作った巨大戦艦。
装甲も並外れて厚く、魚雷などで横っ腹をやられても自動排水というのが
採用されて戦艦としては最先端を行っていた。
巨大戦艦に憧れる気持ちはわかりますが、注ぎ込んだ資材で何機の航空母艦と
戦闘機が作れたかと思うと、どちらが現実に即していたのかと考えさせられる。

日本海軍と言えば「山本五十六」という名前を思い出す方も多いだろうと思う。
今の大方の見方を顕著に表す言葉として「陸軍は空想家、海軍は現実家」といわれる。
しかし、最後には陸海軍共に「空想家」になってしまった。
山本五十六は「真珠湾攻撃」前に「一年は暴れて見せます」といったと言われている。
この言葉の裏側には「一年経ってメドが立たなければ敗戦する」ということだ。
しかし現実は厳しかったようで1942年5月に行われた「珊瑚海海戦」あたりから
戦況は連合国軍側に有利になっていくところをみると、旧日本軍は半年足らずしか
優位を保てなったということである。
話を端折るようだが終戦となる1945年8月15日まで日本は負け続けることとなる。

話は横道に逸れますが、旧日本軍が大陸に乗り出して戦線を拡大していく途中まで
軍隊の装備品は第二次世界大戦前の日露戦争当時のものを使っていた。
戦争を始める前からこんな事だから、満州事変がいかに突発的非可逆的な
アクシデントであったかを物語っていると言えよう。
このことには旧日本軍参謀、参謀本部という存在が大きなネックとなって
泥沼の大陸戦争へはまっていく大きな要因となることも現在では明らかになっている。

一言でいってしまえば、「身の程を知らずに風呂敷を広げすぎた」このことに尽きる。













障害者 働きに出る「再々就職活動」

2020-08-09 15:18:41 | 障害者働きに出る!
先の病院を電撃退職して早一ヶ月が過ぎました。
いつまでもボーッとしているわけにもいきませんので
もっか「再々就職活動」に励んでおります。ハイ
私の場合は主にネットの「障害者就職サイト」を活用しております。
しかし、この「コロナ禍」で求人を控えている企業も多く、難儀しております。
ですが、一件面接を受けました。
ですが、面接を受けて思ったのですがどうやら私が望む業種ではなく
ガッカリしました。
まだ、採用とも不採用とも言われていないのですが
採用の通知があったらお断りしようと思っております。

健常者でさえ、就職、再就職が難しい今の状況下で障害者ならばなお厳しい。
「知的・身体・精神」とおおざっぱに分けた障がい区分の中で
まだまだ「精神障害」の枠は狭く、認知度も低いのが現実です。
さらに「高次脳機能障害」や「難病」といわれる方は、
国の障害者区分にも入っていないのです。

現実は非常に厳しい(~_~;)

まぁボチボチやっていきますよ。