最近はあまりTVを見なくなったのですが、
どの年も8月6,9,15日向けの特番を放映しておりましたね。
言わなくても解るとは思いますが広島原爆投下の日、長崎原爆投下の日
そして敗戦記念日ということなのです。
本文に入る前に「南京大虐殺は無かった。」という妄言はこの期に及んで
止めていただきたく思います。
本書は7月後半あたりから読み出しました。
本田勝一 著「南京への道」なのですが、この著作の中身は主に現地に赴いて
当時の南京城とその周辺に住んでいた方、もしくは動員でたまたまその地に居た
現地の方のインタビューで構成されております。
このインタビューに関しては読んだ感想でありますが信憑性が高いものが多い
と感じました。
日本軍が南京攻略のために・・・
というよりは、その前に「なぜ、日本軍は南京を目指したのか?」という
ところから説明したいと思います。当時南京は蒋介石 国民党総裁が首都として
いた土地であり、日本帝国軍は中華民国樹立を目指す国民党を掃討すべく
首都 南京へ向けて戦闘を交えながら進軍していたのであります。
その進軍途中において日本帝国軍は国民党軍が退却した後に逃げ遅れ、
捕まることを恐れた兵士が軍服を脱ぎ捨てて民間人の衣服を着て
潜んで「ゲリラ活動」や本軍へ合流すべく移動するという
※「便衣兵」(当時の国際法では「便衣兵」は法違反とされていた。)が
潜んでいて日本帝国軍を疑心暗鬼に陥らせていたことと、
日本帝国軍兵士の精神状態の限界などから、虐殺が行われていったと
されている。
なかでも、女性に対しては年齢を問わず「強姦」が行われ、事後には必ずと
言っていいほど惨い殺され方をされており、一人の女性に対し10人は
下らぬほど輪姦し、陰部に棒状のものを突き刺し死亡させたり、
妊婦を強姦した際には強姦後に腹を割いて胎児を取り出し、
母子ともに刺殺、または銃殺した例も珍しくなかったと、中国人や従軍した
記者、日本帝国軍人が証言していることから真実であろうと思われる。
中には「今のうちにここから去れ」と中国人を逃してくれる兵士も
いたようであるが、このような例は希有だったと思われる。
大量に次々と虐殺されていく中国人。その遺体の処理は確かに現地の中国人も
狩り出されたのは確かであるが、また日本帝国軍人が行った。
当時の国際法では捕虜や難民の扱いに対しては厳格に規定されており、
人道的な扱いが軍隊に求められた。しかし、日本帝国軍は自軍の食料状態も
困窮を極めていたことから、この法を破り餓死を含む虐殺や強奪をすることで
食糧難をやりくりしていたようである。
戦後、中国は「南京大虐殺で30万人が日本帝国軍に死亡した。」と
されているが、中国、欧米でも人数はまちまちではっきりしていないのが
現状で、今年「戦後75年」を迎え、日中国共に当時現場に居合わせた
人々が減る中、正確な数値を導き出すのは皆無と言っていいだろう。
しかし、「戦時国際法の遵守」の有無というよりも戦争に至った経緯を
検証するべきであり、また虐殺事件を忘れず記録を残し関心を持ち続ける
ことが肝要であるとつくづく思い知らされた。
ちなみに本書は絶版になっており「資料に値する」とされる書物の多くが
絶版の憂き目に遭っていることが悔やまれる。Webサイトで探してみても
程度の良い書籍でも低価格で手に入ることから、関心の低さが窺えることは
非常に残念であります。
「南京大虐殺」ということを調べようと資料を探す時に、
気をつけておきたいのは、あまりにも著者の意見が入りすぎていたり、
第三者の裏付けが無い資料が多く載っているものは回避していただきたいと
思います。
言い逃れは出来ないにせよ「戦場という名の狂気渦巻く修羅場」という
異常な空間において起こった悲劇。私は引き続き資料をひもといて
この頭のなかに叩き込んでいきたい。
合掌